36 / 211
本邸の客
「閣下、あれに悪意はありますかね?」
「ガガ、邸の広さを知らんのか?わざわざ離邸の近くを歩くなど悪意しか見えん」
俺は上階から外を眺めている。
ステイシーの招待客が茶の席を離れて庭に出たと報告を受けて上がった。着飾った夫人らとそれを囲む使用人が離邸に近づくのを見ていた。ステイシーがこちらに誘ったのか、それとも招待客が願ったのか。
「お…アラント夫人は生垣を気にしていますね」
気になったとしても、生垣に手を突っ込み荒らすなどはできんだろ。頭がおかしくなったと思われるだけだ。
「この角度だと唇が読めんな」
中には日傘を差している者もいる。
「あぁ…大旦那様…あんなにくつろいでいらっしゃる」
ガガの言葉に庭に視線を移す。木陰に広げた敷布にいる二人は遠い昔どこかで見たことがある恋人同士のようだ。
「あ…ロシェル様が生垣の向こうに気づきましたね」
アラント夫人の甲高い声が俺にもかすかに届く。
「ステイシー様が伯爵家の夫人を招くことは稀です」
ガガの隣に立っていたアプソが呟いた。
「あぁ…普段は付き合わんな」
「縁戚になったのですから一度くらいは誘っても不自然なことではないです、が…」
今日の茶会でステイシーがアラント夫人を気に入ったなら次がある、とアプソは言いたいんだろう。
「あの生垣を突破したら殴れ」
「ふは!閣下!夫人が死にます!」
阿呆なガガだ。死なん程度に殴ればいい。
「女性を殴れなど…そんなことを聞かれては野蛮の噂が事実になりますよ」
呆れたような口調のアプソの言葉の後、俺は見たくもないものを見てしまった。それを見たのは俺だけではなかった。ガガとアプソが窓へ近づき、体を屈めて覗いている。ガガなど大げさに口を覆い、もごもごとなにか言っている。
「あ…あれはヤバい…大旦那様は外でも…あらららら…木陰だから本邸から見えないと言っても…我らには…あらら」
ただの口づけではないものをしている。
「…ロシェル様はなにを考えているのでしょうね」
「どういう意味だ…アプソ」
「年若い令嬢が祖父ほど年の離れた男性にあんなことを許すのです。本心では嫌がっていても理性でなんとか我慢していたら…」
「いたら、なんだ?」
「女性の心は読めないな…と」
「あの娘は父上を慕っている」
「息苦しい家から助け出してくれたのです。慕うことは必然ですが、あの行為を受け入れることとは別だと思います」
「トールボットの新しい愛人にも同じことが言えるな。嫌でも跳ね除けられん。跳ね除けたら」
この生活が終わる。
「二人とも目が節穴ですねぇ。ロシェル様は大旦那様を好いていますよ。瞳が語っています」
ガガの言葉に陽を反射させる頭を見る。微妙に光が当たって不快だ。
「瞳が語るだと?瞳がどうやって話す?阿呆が」
「ガガにもそう見えましたか。実は私にもそう見えましたが確信が持てませんでした。二人の年の差は四十です。四十年の差は大きい。いくら恩を感じても…と考えていました」
アプソにもあの娘の瞳がそう語っているように見えるのか?意味がわからん。
「あれ?エコー…が大旦那様から離れますね…閣下…」
二人の邪魔にならない場所で警備をしていたエコーの動きは俺も捉えていた。
エコーの向かう先に視線を向けると、数人の使用人が集まっていた。本邸と離邸を繋げる通路がある所だ。
「…誰か来たか…アプソ、見てこい」
「はい」
アプソの姿が見えなくなり、窓から離れる。
「閣下も行くのですか?」
「ああ」
覗きは終いにする。
「執務室へ戻るぞ」
「はい。しかし、ロシェル様にピアノの才能があったとは。仕事中に流れるとつい聞き入ってしまって」
ガガの言う通り、あの娘の弾く音は心地がいい。俺には音楽のことなど理解できないが、上手いことはわかる。あの旋律に集中すると心地よい眠気が訪れる。夜、弾いてくれれば酒の力を借りんでも眠れると思った。
「あの部屋に近づくな」
執務室から遠くないあの部屋には入るなと父上から言われている。
「一度くらい弾いている姿を見たいもんです」
「よせ」
粗暴なガガをあのピアノに近づけたくはない。傷でもつければ大騒ぎになる。
俺が執務室に戻り、書類を読んでいる時、アプソが頭をかきながら入った。
「どうした?」
「…チュリナ・アラントが離邸に入ろうと暴れました」
貴族令嬢が暴れたなどにわかには信じがたいが、アプソの髪と上着が乱れている。
「なぜ臭い娘がいる?」
「くさ…?……ファミナ・アラントと共に入ったようですね。招待されてはいませんがブリアール公爵家は姉の嫁いだ家、ステイシー様は追い返すことはしなかったようです」
「なんと騒いだ?」
書類に文を書き込みながら尋ねる。
「ロシェル様に会わせろ。ブリアール公爵家の者を呼べと。私がディオルド様の側近と伝えますと爵位を聞かれました。正直に男爵位と申しましたら話にならないと」
「それでどうした?」
「あれでもロシェル様の妹、使用人たちは触ることをためらっており…」
「殴っていいと言ったろ」
「エコーが手刀で気絶させました」
ガガが書類を落とす音が聞こえた。
「見られていないだろうな?」
「それは…」
「誰に見られた?」
「騒ぎに気づき駆けつけたジェレマイア様が」
ジェレマイアか、ならば気にせんでいいな。
「ガガ、探ってこい」
興味津々にアプソの話を聞いていたガガは嬉しそうに頷き、部屋から駆け足で出ていった。
「探ってこいって…あの図体では目立ちますよ」
「本邸には奴の女が数名いる。そいつらから聞く」
ガガが戻るまで俺は二時間待った。
「遅すぎるだろ」
執務机越しに立つガガを見上げる。
「閣下、とても楽し…なかなかな騒ぎでした」
戦場を離れてから随分経っている。ガガは刺激に飢えている。
「始めろ」
俺の言葉にガガは満面の笑顔から真顔に変えた。
「どういうことなの!?」
ガガの発した甲高い声にアプソの体が跳ねた。
「チュリナ!チュリナ!ロシェルの指示でこんなことに!?ああ!なんて酷い!」
「あ…の…」
口を挟んだアプソに向かい、手を広げ待てと伝える。
「この時点でチュリナ嬢は目覚めていません。エコーが気絶させたあと、ジェレマイア様が速やかに運ばせました。その後使用人がファミナ夫人に伝えに行き、大騒ぎが始まります。続けます。ブリアール公爵令息様!一体なにがありましたの!?説明をしてください!」
アプソは間抜けな顔でガガを見ている。
「チュリナ嬢は我が家で働く者に手を上げた。興奮して喚き、ロシェル夫人を出せと詰め寄り…いきなり気を失ったのだ。夫人…チュリナ嬢がなぜ離邸に向かい騒ぎを起こしたのか…私も問いたい」
「ガガ、ジェレマイアの声真似が上達しているぞ」
俺が褒めればガガはにんまりとした。
「娘が手を上げた?そんなことをするわけが………私が見たのだ。この目で」
ガガはジェレマイアの台詞の部分は目を見開き話した。
「…ブリアール公爵家がロシェルと会わせてくれないからですわ…チュリナは姉と話せていません。最近はシモンズの兄と甥のバロンも連絡が取れず…そのことについてロシェルがなにか…知っているのかと話していましたのよ。ここで夫人は涙を払う仕草をしますが、涙を見た者はおりません」
シモンズと連絡が絶たれたか。アイザック・シモンズはこちらの要求通り動いたというわけだ。ロシェルが知っている…あの娘が動いたせいでと言いたかったか?
「シモンズ子爵と貴女のことは私どもにはわかりません。ロシェル夫人は…あの夜会以降、外には出ていない。離邸で父と過ごしています。ジェレマイア様は落ち着いて対応されていました。では、続けます。家族にも会わせないなんて!ロシェルはアラント家とブリアール公爵家を繋ぐ存在ですわ!社交をしないなんて夫人の役割を放棄しています!わたくしだって…わたくしだって…娘の元気な顔を見たいのです。ここで夫人は泣き崩れるように床に座りました。その時、チュリナ嬢が目を覚ましました」
「アプソ、ガガに水をやれ」
息継ぎも少なく話しては喉も渇くだろ。
「閣下…やさし…」
ガガの呟きは無視をして、飲み終わるのを待つ。
「では続きを。え…ここ…ロシェル!私はロシェルに!ロシェルに会わせなさいよ!ソファに寝かされていたチュリナ嬢は混乱して大声で叫び、近くに立っていたジェレマイア様に掴みかかり、我に返りました。あ…ら…え…?ジェレマイア様…?ここは?ジェレマイア様…が私をソファに寝かせたのですか?とチュリナ嬢は別人かと思うほど態度を変え、もじもじし始めました。なかなか面白い女性ですね」
「ガガ、長すぎる。最終的にどうなった?」
「エコーの所業は有耶無耶になり、アラント伯に対し、チュリナ嬢の奇行の苦言を伝える…となり、夫人は奥様に弁明しようとしましたが、奥様はその場におらずジェレマイア様も虫けらを見るような目つき。二人は逃げるように帰りました。見応えのある場面でした」
ステイシーは面倒を避けたか。これで再びアラント夫人を招くなら…ロシェルを厭っているということだな。
あなたにおすすめの小説
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。
ベールを上げた新郎は『君じゃない』と叫んだ
ハートリオ
恋愛
結婚式で新郎に『君じゃない』と叫ばれたのはウィオラ。
スピーナ子爵家の次女。
どうやら新郎が結婚する積りだったのは姉のリリウム。
ウィオラはいつも『じゃない方』
認められない、
選ばれない…
そんなウィオラは――
中世ヨーロッパ風異世界でのお話です。
よろしくお願いします。
第一王子様が最後に選んだのは、妹ではなく私だったようです
睡蓮
恋愛
姉であるオルシナと、妹のマリーシア。マリーシアは小さな時から周囲の人物を次々と味方につけ、オルシナの事を孤立させていった。マリーシアに対しては誰もがちやほやと接してくるのに、オルシナに対しては冷たい態度を取る者がほとんどで、それがこれから先も続くものと思われていた。そんな中、二人のもとに一通の手紙が届く。差出人はフォルグ第一王子であり、二人のうちのいずれかを婚約者として迎え入れるということが書かれていた…。
「退屈な女だ」と婚約破棄されたので去りましたが、翌日から国政が止まったそうです。え、私はもう存じませんけど?
にたまご
恋愛
公爵令嬢クラーラは、ユリウス王太子殿下に婚約を破棄された。
「退屈な女だ」「何の取り柄もない」と。
否定はしない。
けれど殿下が知らないだけで、通商条約も予算案も外交書簡も、この国の政務の大半を六年間匿名で回していたのは──この「退屈な女」だ。
婚約破棄の翌朝、宰相補佐官のレオンが焼き菓子と四十二件の緊急報告を携えて公爵邸を訪れる。
「貴女がいなくなった王宮は、控えめに申し上げて、地獄です」
──存じません。私はもう、ただの無職ですので。
死ぬまでに叶えたい十の願い
木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」
三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。
離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する——
二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。