ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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トマークタスの提案




「ブリアールで第二夫人の夜会を開いてはどうだ?」 

 トマの発言にロシェルの指が止まり、旋律が終わる。 

「トマ、いきなりだな」 

 私はテーブルにカップを置いて軽く睨む。 

「私はもう少し経ってから催すつもりだった」 

「ふん…」 

 トマは顎髭を撫でながらロシェルに視線を向けた。再び、旋律が始まりロシェルは意識をこちらから離したと察する。だが、口を開かないトマに意味を理解した。 

「ロシェル、レナとダフネを連れて庭を歩いておいで」 

 私の言葉にロシェルは頷き、鍵盤蓋を静かに下ろした。 

「はい」 

 ゆるくうねる銀色の髪を揺らしながらロシェルが部屋から出ていくのを見つめ、閉められた扉の音を聞いてからため息を吐く。 

 扉の前に立つエコーの頷きを確かめ、ニヤニヤ顔のトマを見る。 

「幸せそうだな、ジェイ」 

「ああ。トマ、誰と賭けをして負けた?」 

「ははは!ジェイ!私が負けた?誰にだ?」 

「王太子か……カサンドラか」 

 トマはわざとらしく驚いた顔をした。 

「…さすが私の友。カサンドラだ」 

 コモンドールの邸で接触がなかったようだから興味はないと思っていたが。 

「ブリアール公爵家の茶会にアラント夫人が招かれるか…を賭けてな…負けた」 

 頭をガクッと下げた友を睨む。トマがどっちに賭けたかなど興味はないが。 

「…私はステイシーが招かないだろうと予想していたが」 

「私もなんだよ!アラント家の内情は明るみに出た。ロシェルを考えるならアラント夫人は呼ばん。そんな愚かなことはしない…と思ったがな…ジェイ」 

 そのせいで騒ぎが起き、ステイシーはアラント夫人に立腹したようだと、本邸を任せているスタンから聞いた。酷い噂に心を痛めているアラント夫人に慈悲を与えたのに無断で娘を伴い、離邸に突撃した。その結果、ブリアール公爵家の手を煩わせた。立腹の内容はこんなものだが、こんな行動に出るほど生家の者が心配しているにも関わらず顔も見せない第二夫人の態度は如何いかがなものかと使用人に愚痴をこぼしたとも聞く。 

「トラヴィスが甘やかしすぎたせいだな。考えが浅い」 

 トラヴィス・トールボット…ブリアールを敵対視することは気にならないが、攻撃的になられるとこちらも動かざるを得ない。 

「トマ、お前の賭けに私たちは巻き込まれるのか?」 

 私は構わないがロシェルを巻き込むことは許せない。 

「ジェイ、カサンドラに負けた…は、まぁ建前だ。実はな、カサンドラの犬がトールボットの情報を仕入れてな。関係あるのはブリアール公爵家だと餌を振られては…な」 

「それは弱点か?」 

「…知られたくはない…だろうな」 

 それほど重要ではないと言うことだ。 

「証拠は?」 

「証人、だなぁ」 

「信頼に値する者だろうな」 

「まあな」 

「カサンドラが捕まえているのか?」 

「まぁ、あそこは関係ないからなぁ…証人の身も安全と言ってな」 

「…夜会か」

 トールボットの弱点など特に欲しくはないが、ロシェルに関して流れ始めた、新たな噂をどうにかしたいとは思っていた。 

 ディオルドを離邸に留めているせいで、おかしな噂が出回り始めた。 野蛮な公爵は女を知り、気に入った使用人を加えて離邸で囲み、夜な夜な第二夫人と共にいかがわしい行為に耽っている。コモンドール公爵家で開かれた夜会以降、姿を見せない第二夫人はブリアール公爵家で働く使用人も見ていないほど人前に出すことができない状態ではないか、などだ。 

 離邸でなにが起きているのか見当もつかない者たちがあることないこと言いふらす。 大きな邸には多くの人が働く。その数は正確に把握できないほどだ。全員の背景を調べきることは不可能な数。彼らの中にはトールボットの配下もいる。 

「ロシェルの存在を知らしめるか」 

 私の言葉にトマが嬉しそうに頷いた。 

「ロシェルは元気に過ごしている。ディオルドと仲良くとな。アラント家にいた時よりも幸せだと見せてやればいい」 

 前回の夜会では不十分だったか。 

「ついでにジェイ、踊ったらどうだ?」 

 トマの言葉に頬が緩む。 

「そうだな」 

 踊れるだろうな。そしてジェイデン・ブリアールがロシェルを気に入っている、と噂が真実と皆が目にすれば……不愉快な噂が広がることはないだろう。 

「はは!楽しみだな」 

 悪戯を思いついたような顔をするトマに頬が緩む。 

 トマは私がいない人生をどう生きるのだろうか? 




 部屋を出されたのは初めてだった。私に聞かせたくない話をするのね。 

「ロシェル様」 

「はい」 

 私の向かう先を気にしているレナに返事をする。

 生垣に近づくつもりはないから離邸の庭の奥へ足を進める。 

 ブリアール公爵家に嫁ぎ数カ月、社交と言えるものは一度しかしていない。本来、茶会を開いたり、赴いたりするのが夫人のすることだとわかっていても、慣れないことには怖気づく。ジェイデン様に守られてばかりで情けないとも思うわ。 

 物思いにふけりながらあてもなく歩いていると金属音が聞こえ、そちらに向かう。 

「止まれ、ガガ」 

 生垣で作られた壁の向こうから聞こえた声にディオルド様だと理解した。 

 荒々しい足音が近づき、生垣の端から姿を見せたディオルド様はトラウザーズとシャツというとても簡素な格好で、手には剣を持っていた。 

「なにをしている」 

「ごきげんよう、ディオルド様」 

 私は膝を曲げて挨拶をし、汗を流す険しい顔を見上げる。明るい日差しの下で見るディオルド様が久しぶりで、ある変化に気づいた。隈が前より薄くなっている。 

「散歩です」 

 ディオルド様を見るのは夜会以来だった。 

「ロシェル様ですか」 

 ディオルド様の後ろから顔を出し、身を乗り出したガガ様の頭に視線を奪われる。 

「か…髪が…」 

 短いけれど鮮やかな赤い髪がある。私は不躾にも凝視してしまった。 

「はは!閣下が私の頭が光って眩しいと文句を言いまして。ここは戦場でもないので明るい髪色でも問題ないかと剃ることをやめてみました」 

 快活に笑いながら鮮やかな髪を撫でるガガ様を見上げる。 

「お似合いですわ」 

 確かにガガ様の眉の色は鮮やかな赤だもの。戦場では目立つから剃っていたのね。でも戦場でも剃られた頭は光ると思うけれど… 

「ありがとうございます。女性にはなかなか好評です」 

 ジェイデン様以外と会話するのは久しぶりだった。 

「一人か」 

 ディオルド様が私とガガ様の間に入り、シャツの袖で流れる汗を拭いながら、険しく見下ろしている。 

「陛下がいらっしゃって…」 

「それでも離れなかったろ」 

 ジェイデン様と、と言っているのよね。 

「お話があるそうです」 

「ふん」 

 ディオルド様は両手で髪をかき上げ、後ろに流した。 

「剣の稽古ですか?」 

「ああ」 

「そうなんですよ。閣下が汗を流したいとおっしゃって」 

 訓練ができる場所が離邸にあることを知らなかった。 

 いつまで…いつまでディオルド様を離邸に留めておくのかしら?陛下の提案をジェイデン様が受けるなら、またディオルド様に付き合ってもらわないとならない。ああいう場は好まないと知っているだけに申し訳ないわ。 

「ピアノが上手いな」 

「ありがとうございます」 

 ディオルド様の執務室に届いてしまうと案じていたけど、褒められたなら不快には感じなかったのよね。 

「そうです!ロシェル様のピアノは閣下を居眠りに誘うほどですよ」 

「黙れ」 

 ディオルド様は足を振り、ガガ様を蹴った。ドッと音が聞こえたけれどガガ様の体は揺れなかった。騎士とはこんなふうに鍛えられているのかと感心する。 

「宵の天使」 

 ディオルド様の言葉に頷く。 

「古い曲ですが、ご存知でしたのね」 

「ああ。図書室に楽譜があったか」 

「はい。紙は色あせるほど古いものでしたが、旋律が美しくて…」 

 初めて見るディオルド様の表情に言葉が止まる。悲しみのような憂いを抱いた表情はお父様がお母様の絵を見ている時のものと似ていた。 

「宵に会える天使は幻ではなく本物」 

「そうなのですか?」 

「作曲した者が…そう言ったらしい」 

 そんな逸話があるなんて知らなかった。でも… 

「楽譜に名はありませんでした」 

「…書いた者は平民だ。名を残せなかったか」 

「平民の…そうですか」 

 どこかの貴族家に支援を受けている音楽家や芸術家は多いわ。その中の一人かしら?でもそれなら名は残せる…ブリアール公爵家が支援していたなら尚更。

「忘れろ」 

 私が顔を上げるとディオルド様の真剣な臙脂色の瞳が見ていた。 

「わかりました」





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