陰陽師・恭仁京上総の憂鬱

藤極京子

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第五章

 九、亡霊

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 深夜の学校は不気味だ。
 上総は壮介と非常灯だけが照らす廊下を歩いていた。
 校長と教頭が付き添うと申し出てくれたが、二人に何か遭ってはいけない、と断った。
 六徳会の元関係者も同行するとは伝えていない。伝えてしまえば、人の良い校長とて良い顔はしないのは目に見えて分かっている。
 『気配がするが……これは君の識神かい?』
 左京と右京が姿を消して側にいた。
 二人も壮介が一緒に来ると聞かされた途端顔色を変えたが、恭仁京家当主のめいに逆らえない。普段もう少し離れた場所から見守っているが、今回はすぐ後ろを着いて来てくれている。
 『僕に識神はいないです』
 『そう、なのか?』
 はい、と笑った。
 左京は上総にではなく恭仁京の家に仕え、もっと云えば健司が主だ。
 右京は、面白そうだから、という理由で恭仁京家にいる。母の綾乃になついているのは確かだ。
 だから上総には識神はいない。
 二人がいるから事足りてしまう。
 そう説明すると、なんとも複雑そうな顔をして隣の男は上総から顔を外した。
 陰陽師なのだから、識神の一人はいた方が良いのは上総も分かっている。いなければ、陰陽師の実力も無い、と公言してしまっているようなものなのだ。
 問題はない、とやはり上総は笑う。
 『実際僕は半人前ですし』
 左京も右京も識神以上の力で上総を助けてくれるのだ、そこに新たに別の識神を迎え入れることは上総には出来ない。
 『そうか』
 今度は納得した顔で上総の頭を撫でてくれた。
 『!!』
 『す、済まない』
 慌てて手を引っ込めたが、上総は嬉しそうに首を振って応えた。
 久し振りだ。
 健司も壮介も上総の頭をよく撫でてくれた。
 だから、嬉しくなった。
 『それよりも、こちらは旧館か? 私は何度か深夜の学校を訪ねたことがあるが、この校舎、少し妙だな』
 『ええ、問題の怪談は窓から見える向こうの校舎ですが、旧館も霊が随分と多いですね』
 視線を向ければ必ず霊の存在がある。
 別段何かをしてくる訳でもない。
 寧ろ隠れようとして、隠れきれていないといった状態だ。
 『怯えているのか? 私がいるから?』
 最初そうも思った。
 幽霊達にとっては自分を祓えてしまえる天敵の人間が二人も堂々歩いているのだ、それは生身の人間でも怖くて隠れるであろう。
 そういう理由で怯えて隠れようとしているのかと思っていたのだが、それにしても見る幽霊見る幽霊、漏れなく全てが微弱な空気を震わせ怯えていた。
 『やたら数が多いのも気になるが……まずは理科室に行ってみなければ』
 上総の予想が外れていなければ、理科室の幽霊は健司だ。
 何故そのような形で出て来るのかは不明だが、会って訊けばいいだけのこと。
 上総が東京で見た最後の光景は、彼の死を予測する。そこにこの怪談騒動だ。少なく見積もっても、健司はもうこの世の者ではなくなってしまっていると考えてもおかしくはない。
 唇を噛んだ。
 そうであったとしても、諦めるつもりは上総には毛頭無い。
 本当に十年前そもそも死んでいるのだとしたら、現在において健司の持ち物が残されている筈がないのだから。
 旧館の渡り廊下を通り、新館に向かう。
 旧館のおどろおどろしい雰囲気とは違って、まだ真新しさの残る新館は怪談らしきものが存在していないらしい。
 音楽室も美術室も旧館から移動したばかりなのだ。
 元あった教室に怪談はそのまま残り、更に子供達の噂を掻き立てている、と校長は苦笑していた。
 窓から見る向こう側の旧館は確かに上総の目から見れば、ウヨウヨとがさ迷っている。
 が、新館には何も無い。
 『もしかしたら……』
 『理科室の幽霊がいるから、元々いた幽霊達が旧館に移動している?』
 二人は新館に移動した途端同じ意見を持った。
 ――畏怖?
 邪気のない幽霊達はこちらを見ながら怯えている。
 ――何故? それじゃ、先生じゃない?
 健司ならば幽霊とも仲良くなってしまうのだろうが、慣れ親しんだ棲みかを手離してでも旧館に逃げたとなれば、別の幽霊の気さえする。
 もう一度旧館に戻って情報収集した方が良さそうだ、と踵を返して近くの理科室からを感じた。
 『――っ!!』
 後はもう何も考えなかった。
 『恭仁京君!?』
 壮介を無視しひた走り理科室のドアを乱暴に開けると、靄がかった理科室はヒンヤリと冷えきり幽霊の姿を朧気にしていた。
 『!!』
 言葉に出来ない。
 教室の奥。
 真っ白な姿。
 『――瑞雪っ!!』
 狼でなく人型の瑞雪が振り返る。
 『ご当主……漸く、か』
 ホッとしている表情は珍しい。
 神の眷族の神々しい気配を纏い、瑞雪は上総に歩み寄った。
 こんな大物がいては、小さな幽霊達は確かに怯えてしまう。
 上総は苦笑いして、瑞雪との距離を縮めた。
 『久しいな、ご当主。変わりないか?』
 『うん、僕は』 
 云いたいことが分かるのだろう。瑞雪の狼の耳が可愛らしく伏せられた。揺れていた白い尻尾も元気なく垂れ下がってしまっている。
 『吾主のことであろう? 気を病ませているのだな。済まぬことをした。吾はお前を探しておったが、主の思い入れの強い場所にしか行くことは出来ぬ故、ここで待つしかなかった』 
 『そうだったんだね。先生らしいや』
 生徒思いの健司らしい。
 しかし、思い入れの強い場所が恭仁京家でも壮介と暮らす自分の家でもないのは、何だか寂しい気持ちには上総はなった。
 『ご当主、今から主の元へ来てもらいたいが、宜しいか?』
 『!』
 『主は吾等の世界……天界にいらっしゃる』
 『て、天界に?』
 『神の住まう世界だ――と、云っても主がいらっしゃるのは天界の低階層だがな』
 『え……と、よく分かんないけど、先生に会えるなら行きます! 連れて行ってください!!』
 『私も行くぞ』
 後から来た壮介は瑞雪に臆することなく割って入って来た。
 『……構わぬ』
 あっさり許可した瑞雪の表情は上総の時とは違い、何かを圧し殺しているような複雑さを持っている。
 怒りと悲しみがごっちゃになった、そんな複雑な。
 壮介も気付いている。
 『健がいなくなったのは、私のせいなのだな?』
 『主は違うとおっしゃるであろう。それにお前に会うことを吾主は望むであろうしな』
 『……そうか』
 今度は壮介が云い得ぬ表情をした。
 『二人共、会えはするが、心して掛かれよ』
 『え?』
 それ以上教えてくれず、瑞雪は二人の人間に背を向けた。

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