紅葉-くれは-

菊池まりな

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第99話 足跡が消えた朝

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美奈は、気づけば祐真にもたれかかったまま眠っていた。
 小屋の隙間から差し込む朝の光で、ようやく夜が明けたのだと知る。

 祐真はほとんど眠れなかったようで、目の下に深いクマをつくりながらも、美奈が起きたのを見て小さく息をついた。

「……大丈夫か、美奈」

 声は疲れきっていたが、確かな優しさがあった。

「……夢じゃなかったですよね……あの声」

「ああ。俺も聞いた」

 祐真は板で塞いでいた入口をそっと外し、外の様子を窺う。
 朝の光が射し込むと、あの夜の気配は嘘のように霧散していった。

 ──しかし。

「……なんで?」

 祐真が眉をひそめた。
 美奈が外へ出ると、彼の視線の先には異様な光景が広がっていた。

 足跡が、一つもない。

 昨夜、確かに小屋の周囲をぐるぐると歩き回っていた不気味な足音。
 土が柔らかい場所も多く、踏み跡が残っているはずだった。

 なのに。

「……何も、残っていません……無風だったのに」

「あいつの跡だけじゃない。俺たちの足跡まで……全部消えてる」

 美奈は思わず祐真の腕にしがみついた。

「そんな……どうして……」

「誰かが意図的に消したのか……だとしたら、昨夜のうちに何者かが近くまで来ていたことになる」

 祐真は森の奥の方を警戒するように見つめる。
 木々が揺れ、風が動く──
 それだけなのに、どこか“こちらを見ている”気配が濃い。

 そして、美奈は気づいてしまった。

「……祐真さん。見てください」

 指差したのは、小屋から少し離れたところ。
 葉が落ちて土が露出した地面に、ただ一つだけ跡が残っていた。

 小さな、裸足の足跡。

 それは森の奥へ続き、湿った土の中にくっきりと刻まれている。
 子どものものだ。
 または──

「……美桜ちゃん?」
 美奈は口を押さえた。

 だが祐真の表情は、さらに鋭く強張る。

「いや……位置がおかしい」

「位置……?」

「小屋からの距離……あの子が歩いたにしては近すぎる。
 まるで──昨夜、俺たちのすぐそばにいたみたいだ」

 美奈の背筋が凍る。

(じゃあ……あの声……“返して”って言ったのは……)

 子ども。
 20年前に消えた美桜。

 しかし──それだけでは終わらなかった。

 祐真は足跡の端をしゃがんで見つめ、手で軽く触れた。
 指先についた土を見て、息を呑む。

「……美奈。これは……まだ湿っている。乾いていない。
 つまり──」

 足跡は昨夜ついたばかり。

 美奈は震えながら言った。

「じゃあ……美桜ちゃんは、生きて……?」

 しかし祐真は、首を横に振った。

「……違う。生きていたら……こんな足跡にはならない」

「え……?」

「土の沈み込みが浅すぎる。軽すぎる。
 これは……“重さのない足跡”だ」

 美奈は思わず後ずさる。

「重さの……ない……?」

「生きている人間じゃない。
 触れられるけど重さのない……あれは、そういう“存在”なんだ」

 確信を持った声ではなかった。
 だが、美奈には祐真が昨夜の出来事をごまかしたり、否定したりする余裕がないほど追い詰められているのが分かった。

 二人が凍りついたように立ち尽くしていると──

 茂みの奥から、誰かが駆け寄ってきた。

「美奈! 祐真さん!」

 春香だった。
 息を切らし、顔は青ざめ、手には何か布を握りしめている。

「春香さん……どうしてここに?」

「……見つけたの……家の前に落ちてたの……紅葉の……っ」

 春香が差し出した布を見た瞬間、美奈の目が大きく見開かれた。

「それ……紅葉が、秋祭りの夜に持っていた──“巾着”……!」

 紅葉が失踪した夜、屋台で買った小さな赤い巾着。
 中にはお守りが入っていたはずだ。

 春香の手の震えは止まらず、祐真がゆっくり受け取る。

 巾着は──泥で汚れていた。

 しかも。

 泥は、ついさっき触れたかのように湿っている。

 祐真は巾着の裏側を見て、凍りついた。

 そこに、濡れた小さな手形がついていた。

「……この手形……サイズが……」

 美奈の声が震える。

「紅葉……じゃない」

 春香は、喉をかきむしるように叫んだ。

「美桜……なの……?
 あなた……また……私の子を……連れていったの……?」

 森の奥から、風が吹いた。

 まるで返事をするかのように。
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