紅葉-くれは-

菊池まりな

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第100話 祟りの手形

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「……返してよ……返してよ……!」

 春香の叫びは森の静寂を裂いた。
 その声に怯えるように、木々の枝がざわりと鳴る。

「春香さん、落ち着いて──!」

 祐真が肩に手を置いたが、春香は振り払うように震えた。

「だって……だって……! この手形……っ」

 彼女は巾着の裏についた“濡れた小さな手形”を指さした。
 祐真も美奈も直視するのがつらいほど、その形はあまりに幼く、あまりに不自然だった。

 ──3歳児の手のひら。

「紅葉じゃない……。
 こんなの、紅葉の手の大きさじゃない……!」

 春香は地面に膝をつき、巾着を胸に抱きしめる。
 美奈はそっと寄り添い、祐真は周囲へ警戒を向けた。

「春香さん……この手形。
 紅葉ちゃんのじゃないなら、誰がつけたんでしょう」

 美奈の声は震えていた。
 聞きたくない答えが、今にも返ってきそうで。

 春香は、堰を切ったように言った。

「美桜よ。あの子……戻ってきたんだわ……」
「春香さん、それは……」

「違うの、祐真さん……わたし、知ってるの。
 美桜は“呼ばれた”のよ。
 あの日……あなたと遊んでいたでしょう?
 美桜は、森に呼ばれたの。『遊びにおいで』って……」

 思い出すように、春香は遠い森を見つめる。

「──紅葉も同じ。
 あの子も『呼ばれた』のよ……!」

(呼ばれた……?)

 美奈の脳裏に、紅葉が消える前に口にした言葉が蘇る。

 ──「呼ばれてるみたいなの。森の奥から……」

 その瞬間、祐真の顔も青ざめた。
 彼自身の胸の奥に、20年前の記憶が波のように押し寄せてくる。

 美桜が突然、ふっといなくなった。
 振り返ったとき、森の奥へ進む小さな背中を見たような気がした。
 呼ばれるように歩いて行った──そんな“感覚”だけが残っている。

「……春香さん。
 美桜ちゃんの失踪は、事故や事件じゃなかった……と?」

「ええ。あれは“あの森”のせい。
 あそこには、昔から……“子どもを呼ぶ影”がいるって……」

 祐真は眉をひそめた。

「子どもを呼ぶ、影……?」

 春香は、巾着を握りしめたまま口を開いた。

「……美奈ちゃんも聞いたことあるはずよ。
 この村には、昔から“ある祟り”が伝わっているの」

 美奈は一度首をふりかけ──
 しかし、ふと思い当たり、血の気が引いた。

「まさか……“赤鞍(あかくら)の祀り”……?」

 春香は頷いた。

「そうよ。
 秋祭りの夜、赤いものを身につけた若い娘や子どもが……“森に連れていかれる”という噂。
 誰も本気にしなかった。私も……。
 でも……美桜が消えたのは、ちょうど秋祭りの日だった」

「……紅葉も、です」
 美奈が小さく震えた声で言った。

「紅葉も、秋祭りの夜に消えました」

 木々がざわり、と風もないのに揺れた。
 春香は顔を上げ、森の奥を睨む。

「美桜と紅葉……二人とも、“赤に関わり”があった。
 美桜は赤い上着を着ていた。
 紅葉は……赤い柄の巾着を持っていた……!」

 祐真は、腕を組み、低い声で呟いた。

「……つまり。
 “赤をまとった者”が、この森の祟りの標的になる──」

 そう言った瞬間、美奈の背筋に氷のような寒気が走った。

「待って……じゃあ……紅葉は……“最初から狙われていた”ってことですか……?」

「ええ。
 美桜のときと同じ。
 あの森は、毎年秋祭りの夜に“生贄”を求めるのよ……」

「春香さん、その伝承……誰から聞いたんですか?」
 祐真は声を潜め、問う。

「──古沢住職よ。
 あの人、昔から知っていたの。
 ずっと……言わなかっただけ……!」

 春香が叫び終えると同時に、森の奥から──
 ひゅう……と低い笛のような音が聞こえた。

 祐真と美奈が一斉に振り向く。

 音は風ではない。

 誰かが吹いている。
 呼んでいる──誰かを。

 春香の手の中の巾着が、かすかに震えた。

「……返して……」
「……返して……」

 三人が声の方向を見つめた。

 そこには──
 誰もいなかった。

 だが確かに、耳元で囁いた。

 『返して。あの子を。赤い娘を──』

 春香は巾着を抱きしめ、震えながら叫ぶ。

「紅葉は、渡さない……!
 二度と、あなたなんかに……渡さないっ!」

 その瞬間、足元の土が“ずるり”と沈んだ。

 生き物のように──手のように──
 三人の足首を掴もうと、黒い土が蠢いた。
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