紅葉-くれは-

菊池まりな

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第105話 戻れぬ夜道

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森を抜けた瞬間、三人は同時に振り返った。

 ……静寂。

 追ってくる気配は──ない。
 だが、森の奥からは、確かに誰かが覗いているような“重たい視線”だけが残っていた。

 春香は荒い息をつきながら、祐真の服の袖を掴んだ。

「祐真さん……あれ、やっぱり……美桜なの……?
 私……あの声、聞き覚えが……」

 祐真は首を振る。
 震えは、否定のためではなく、自分を落ち着かせるため。

「……わからない。でも、ひとつだけ言える。
 あれは、生きている人間の動きじゃなかった。
 春香さんの思い出の中にいる美桜とは……違う」

 春香の表情が崩れる。
 その肩に手を置いたのは美奈だった。

「春香さん……落ち着いて。
 紅葉ちゃん、あんなのに連れていかれたんじゃないよ。もっと……もっと違う理由があるはず」

 美奈の言葉は震えていたが、それでも必死に前を向いていた。

 だが、祐真だけは気づいていた。
 “違う理由”という言葉が、どれほど脆い希望かを。



 三人は灯籠の消えた参道をゆっくり下る。
 夜はすでに濃く、月が雲に隠れれば足元すら見えない。

 そのとき、美奈がふいに立ち止まった。

「……ねぇ、これ……前に誰か通った痕じゃない?」

 ライトの先、参道の砂利がわずかに乱れている。

 春香も覗き込む。

「誰かが……引きずられたみたいな形ね……」

 確かに、細くえぐれた線が地表を斜めに走っていた。
 靴跡ではない。
 人間が歩けば、もっとまばらで広い痕になる。

 まるで、

 腕を引っ張られ、ズルズルと地面を擦って引きずられたような──。

「紅葉……?」
 春香の唇が震える。

「違う。サイズが合わない。
 もっと……小さい」
 祐真が低く言う。

 また、美桜だ。
 20年前の“あの日”の痕と似ている。

 春香は口元を押さえた。

「どうして……? どうして美桜の痕が今……?」

 祐真は息を吸い、覚悟を決めたように言った。

「春香さん。
 ……20年前のあの日、美桜が消えたとき……僕も、あそこにいた」

 春香と美奈が驚いたように祐真を見つめた。

「え……祐真さん、あの日のこと……覚えて……?」

「断片的に……最近は特に、鮮明になるんだ。
 “誰かに呼ばれた声”……
 あれが、美桜の方に向かって……」

 祐真は言葉を切る。

 その記憶は、未だ確信を持てない曖昧な影のようだった。
 だが、森で聞いたあの“名を呼ぶ声”が、祐真の過去の蓋をこじ開けていた。

 春香は、祐真に一歩近づいた。

「祐真さん……お願い。
 その記憶を全部、話して。
 紅葉を助けるには……きっと必要だから」

 祐真はしばらく迷っていた。

 だが──そのとき。

 ザ……ザッ……

 参道の後ろ。
 三人が通ってきたばかりの闇から、乾いた足音がした。

 美奈が祐真の背中に隠れ込む。

「いま……絶対に誰かいた。
 春香さん!? 見た!?」

 しかし春香は、蒼白な顔で一点を見つめていた。

 参道から少し外れた藪の向こう。
 月が雲から顔を出し、淡い光が草を照らす。

 暗がりの中に……
 “子どもほどの影”が立っていた。

 背丈は、三歳児ほど。
 首は不自然に傾き、髪が湿って頬に張りついている。

 周囲に誰もいないはずの夜道で、
 その影だけが、動かずじっとこちらを向いていた。

 春香の喉がかすれた。

「……み……お……?」

 影は、ゆっくりと首をまっすぐに戻した。
 ぎ……ぎぃ……と骨の擦れるような音を立てて。

 そして──

 影が、笑った。

 歪んだ、口角のない笑顔。
 そこだけが、異様にひきつっていた。

「走れ!!」
 祐真の叫び声が闇に響いた。

 三人は再び駆け出す。
 背後からは、重たい何かを引きずるような音が迫ってきた。

 ザ……リ……
 ザ……リ……
 ザ……リ……

 まるで“地面に触れた何か”を引きずりながら──。

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