紅葉-くれは-

菊池まりな

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第114話 森底の気配

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 子どもの足跡が残る“裂け目”の前で、三人はしばらく動けなかった。

 森は静かすぎた。
 風の音すら止まり、まるで森全体が息を潜めてこちらを見ているような圧迫感があった。

 美奈が腕を抱え、震える声で言う。

 「……ここ、紅葉と来たことなんてない。
 だけど……どうしてだろう。すごく……嫌な感じがする。
 この場所、紅葉……知ってたのかな……?」

 春香が、美奈の背中をそっと支えた。

 「美奈ちゃん。無理に思い出さなくていいのよ。
 でも……くれはは、あなたに何か言ってなかった? ここに来る理由になるようなことを」

 美奈は唇を噛み締め、目を閉じた。

 「……“どこかから呼ばれる夢を見た”って……たしかに言ってた。
 だけど、夢の話だと思って……」

 春香の表情がゆっくりと強張っていく。

 「……美桜も……同じことを言ってたの。
 “森の奥で、お姉ちゃんが呼んでるの”って……。
 あの日、美桜は……その言葉を最後に……」

 祐真は二人の会話を聞きながら、地面に視線を落とした。
 その目はつねに何かを計算するように動き、ある一点で止まる。

 「……誰かが掘り返した跡が、まだ続いてる。
 足跡の向こう。あの木の根の下だ」

 春香が息を呑んだ。

 土の色が、そこだけ新しく見えた。
 雨に濡れていないのに、ぬらりと黒光りするような湿り気がある。

 祐真が小型ライトを取り出し、そっと照らす。

 光が土の奥の“隙間”を舐めた瞬間、美奈が息を止めた。

 「……なに、あれ……」

 掘り返された土の奥──
 そこに、 細い指先のようなもの が埋まっていた。

 春香が青ざめ、祐真の腕にしがみつく。

 「っ……人間……? まさか、美桜……?」

 美奈は首を振る。

 「違う……もっと……違う……
 なんか……すごく小さい……」

 祐真は声を抑えながらも、震えを隠せずに言った。

 「これは……人間じゃない。
 形は似てるけど……細すぎる。骨……なのか……?」

 森の空気が、一気に冷たくなった。

 誰も触れていないのに、土の裂け目の奥がぼそりと崩れた。

 その瞬間──
 裂け目の底から、低く湿った声のようなものが漏れた。

 “……ぁ……れ……”

 三人は一斉に身を固くした。

 声は、風が木々を揺らす音に似ていた。
 だが明らかに、風とは違う。

 “あれ……かえ……して……”

 春香が泣きそうな声で祐真にしがみつく。

 「待って……やだ……聞きたくない……聞こえる……!
 声が……声がする……!」

 美奈も耳を押さえるようにかがみこむ。

 「祐真さんっ……なにこれ……! 紅葉? 美桜ちゃん? 誰の声なの……?」

 祐真だけが声の正体を探るように裂け目を睨みつけていたが、
 その頬も、額も、じっとりと汗で濡れていた。

 「……違う。二人じゃない。
 これは……もっとずっと昔から森にいる“何か”だ」

 春香の全身が震えた。

 「どうして……どうして“あれを返せ”なんて……
 うちの子たちを……返せって……言ってくれればいいのに……」

 美奈が顔を上げ、涙目で叫ぶ。

 「返すって何を!?
 紅葉は何も持ってないよ! 私だって……!」

 森が返事をするかのように、ざわざわと木々を揺らした。
 だが風は吹いていない。

 それは、まるで 森全体が喉を鳴らして笑っている ような音だった。

 祐真が二人を庇うように立ち、はっきりと言った。

 「ここは危ない。今すぐ引き返す。
 “何かを返せ”と言うなら……紅葉さんが“その何か”を持たされてしまった可能性がある」

 春香は泣きながら首を振った。

 「そんな……紅葉は……そんなもの……!」

 そのときだった。

 裂け目の奥から、
 “ちりん”と、小さな鈴の音がした。

 紅葉が秋祭りの時に髪に結んでいた、あの赤い紐の鈴と──同じ音だった。

 春香の顔から血の気が引いた。

 美奈も、崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

 祐真は、裂け目の方へと一歩踏み出した。

 「……紅葉さんは……ここに来た。
 そして……これを落としたんじゃない。
 “ここに置かされた”んだ……」

 森が、また、笑った。
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