紅葉-くれは-

菊池まりな

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第150話 戻ったはずの朝

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朝だった。
山際の空が白み、鳥の声が遠くで重なる。
森の入口に立つ春香たちは、確かに“外”に戻っていた。

──はずだった。
「……寒い」
美奈が小さく呟く。
季節外れの冷気が、地面から立ち上っている。

祐真は周囲を見渡し、眉をひそめた。
「夜が、終わってない……」
空は明るい。だが、太陽がない。
光はあるのに、影の向きが定まらず、時間が進んでいないような感覚。

春香は、両手の重みを確かめる。
右手に、美桜。
左手に、紅葉。
確かにいる。
温度も、呼吸もある。

──それなのに。
「……ねえ」

紅葉が、不安そうに春香を見上げた。
「ここ……変だよね」

「うん……」
春香は頷く。

村の道のはずなのに、音が足りない。
犬の鳴き声がしない。
遠くの車の音もない。
“生活の気配”が、抜け落ちている。

美桜が、春香の服の裾を引いた。
「……おそと、なの?」

その問いに、春香は一瞬言葉を失う。

「……そうよ。お外。ちゃんと帰ってきた」
そう言い聞かせるように答えた。

だが、美桜は首を傾げた。
「でも……においがちがう」

祐真が、はっとして地面に膝をつく。
土を掴み、指で確かめる。
「……湿りすぎてる。  雨は降ってないはずなのに」

美奈が、家々の並ぶ方向を指さした。
「……見て」

村の家々が、少しずつ歪んでいる。

壁が、ほんのわずかに傾き、

窓の位置が、記憶と合わない。

“似ているが、同じではない”。

春香の胸に、嫌な予感が広がる。
「……完全には、戻れてない」

その言葉に、祐真が歯を噛みしめた。
「境界だな。  森の外だけど、現実の内側じゃない」

美奈が呟く。
「……“名を呼ばれなかった子”がいたでしょう」

春香は、あの少女の姿を思い出す。
名前を持たず、
それでも“帰り道”と呼ばれた存在。

「彼女が残した“空白”が……  この場所を、ずらしてるのかもしれない」

そのとき──

遠くで、カラン……と音がした。

鈴の音。

春香の心臓が跳ねる。

「……今の……」

紅葉が、顔を強張らせる。

「聞こえた……。
 私が消えた夜……あの音……」

音は一度きりではなかった。

カラン……
カラン……

規則的ではない。

誰かが、歩きながら鳴らしている。

美桜が、そっと言った。

「……だれか、まってる」

祐真は即座に前に出る。

「近づくな。  戻り切れてない今、下手に応じたら──」

だが、音は逃げない。

むしろ、“気づかれた”ことを喜ぶように、少し近づく。

春香は、深く息を吸った。

「……行かないと」

「春香さん!」

「大丈夫」

春香は、娘たちの手を握り直す。

「今度は、置いていかれない。“呼ばれたから行く”んじゃない。“確かめるために行く”の」

美奈が静かに頷いた。

「この境界を越えないと、ほんとうの朝は来ない……」

鈴の音の先に、霧が立ち込めている。
その向こうに、
まだ語られていない“最後の理由”がある。


森は終わっていない。
ただ、形を変えただけだ。
五人は、再び足を踏み出した。
本当の帰還は、
まだ先にある。
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