紅葉-くれは-

菊池まりな

文字の大きさ
153 / 155

第152話 呼び場の正体

しおりを挟む
霧が完全に晴れきらないまま、五人は森の奥へ進んでいた。
鳥の声は確かにある。
風も、朝の匂いもする。
それでも──
「……戻ってる感じがしない」
美奈が、足元の落ち葉を見つめながら言った。

祐真は地面に残る、かすかな窪みを指差す。
「同じ場所を通ってない。 でも……近づいてる」

「何に?」
紅葉の問いに、祐真は答えなかった。

代わりに、美桜がぽつりと言う。
「……“いちばん最初”」

空気が、ぴんと張り詰める。

春香は、その言葉の意味を理解していた。
「……この森に来た、最初の日」

木々の隙間が開け、視界が一気に広がった。
そこにあったのは──
小さな空き地。
観光地でも、祭りの会場でもない。
ただの、何の変哲もない場所。

だが中央には、
古く、割れた石の台座が残っていた。
「……何もない」
美奈が言う。

「いいえ」
春香は、台座を見つめたまま首を振った。
「“あった”のよ」

春香は一歩前に出た。
「昔、この森には祠があった。 子どもを守るための……」

紅葉が息を呑む。
「守る……?」

「迷わないように。 帰れるように」

祐真が続ける。
「でも、祠は壊された。 理由は単純だ」
視線を上げ、木々を見渡す。
「邪魔だった。 開発のために」

美奈が静かに言う。
「……祠が壊れて、 役割だけが残った」

「そう」

祐真は頷く。
「守るものはなくなった。 でも“守る”という意志だけが、ここに縛り付けられた」

そのとき、空気が歪んだ。
風が止まり、音が消える。

台座の上に──
影が落ちる。

人の形をしているが、顔がない。
「……来た」
美桜が、春香の手を強く握る。

影は声を持たないまま、
直接、頭の中に響かせた。
──帰れない子を……
──置いていくわけには……

紅葉が震える声で言う。
「……だから、連れていったの……?」
影が、ゆっくり頷く。
──ひとりでは……
──迷う……

春香は、前に出た。
「違うわ」
はっきりと、言い切る。

「“帰れない子”なんて、いなかった。 いたのは──帰したくなかった大人の想い」
影が、揺れる。

「私は……」 春香の声が震える。
「美桜を失うのが怖くて、 この森に縋った」

美桜が顔を上げる。
「ママ……」

「その声が、あなたを縛った。 守るふりをして、閉じ込めた」
影が、初めて後ずさった。

祐真が続ける。
「ここは“呼び場”じゃない。 執着の溜まり場だ」

美奈が一歩前へ。
「終わらせましょう。  守る役目は、もう──人が引き継ぐ」

紅葉が、台座に手を伸ばす。
「……私は、戻ってきた。 それで、充分でしょう?」

影は、ゆっくりと薄れていく。

だが、最後に──
春香だけを見た。

──……それでも……
──置いていくのか……

春香は、はっきり頷いた。
「ええ」
微笑みながら。

「一緒に“生きる”から。 閉じ込めるんじゃなくて」

風が、吹き抜けた。

台座が、静かに崩れ落ちる。

森の奥から、長く続いていた重さが抜けていくのが、誰の目にも分かった。

鳥の声が、一斉に戻った。

美桜が、空を見上げる。
「……もう、呼ばれてない」

祐真が、息を吐く。
「終わったな」

だが──
紅葉が、ふと振り返った。
「……ねえ」

誰もいないはずの森の奥。

「“次”が、いないって……
 誰が、保証するの?」

沈黙。

春香は、ゆっくり答えた。
「私たちがする」

五人は、互いに頷き合う。

守るのは、森じゃない。
記憶と、選択だ。

そのとき──
遠くで、鈴の音がした。

ほんの一度だけ。

祐真が苦く笑う。
「……完全な終わりは、ないらしい」

春香は、歩き出す。
「それでいい。 だからこそ、目を逸らさない」

朝の光が、森を照らし始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...