アンケート

菊池まりな

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第81話 足音の主

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旧病院の薄暗い廊下に、硬質な靴音が反響していた。

 「カツン……カツン……」

 規則的で冷ややかな響きは、まるで心臓の鼓動を模倣しているかのように、美佳たちの胸に圧迫感を与える。



 「止まれ」

 純が低く命じると、全員が息を呑んだまま動きを止めた。

 玲はわずかに腰を落とし、翔は懐から小型の端末を取り出して空間をスキャンする。ユリの指先はいつでも術式を展開できるよう震えていた。



 靴音は徐々に近づき、やがて廊下の角の向こうに影が映る。



 美佳は無意識にポケットを握りしめていた。そこには、彩音から託された「鍵」が入っている。冷たい金属の感触が、かろうじて彼女を現実に繋ぎ止めていた。



 影が一歩、また一歩と伸びてくる。

 廊下の蛍光灯がちらつき、白と黒の縞模様が影を歪ませる。その輪郭は人のようでいて、どこか奇妙に揺らいでいた。



 「……誰だ」

 純の声が鋭く廊下を貫く。しかし返事はない。



 かわりに、靴音がぴたりと止んだ。

 空気そのものが張り詰め、音を失ったかのような静寂が落ちる。



 次の瞬間、低くかすれた声が闇の奥から響いた。

 「……やはり、来たか」



 美佳の背筋が凍る。

 その声は男とも女ともつかない。機械を通したように歪み、しかし妙に感情を孕んでいる。



 翔が小さく舌打ちした。

 「……自己紹介もしねえとはな。お前が“橘誠二”か?」



 返事はない。ただ、影がゆっくりとこちらへ動き出す。



 美佳の指先がさらに鍵を握りしめる。なぜだろう、その影が“鍵”を求めているような直感があった。



 玲が囁く。

 「美佳、後ろに下がって」



 だが、影は彼女を真っすぐに見ていた。灯りに照らされるたび、目のような光がちらつき、美佳の胸を射抜く。



 「……やはり、お前か」



 声は、確かにそう言った。

 その瞬間、美佳は理解した。これはただの幻でも、過去の亡霊でもない。自分を知っている“何者か”が、確かにそこにいるのだ。



 息が詰まりそうな緊張の中、純が一歩前に出る。

 「だったら確かめさせてもらう。お前が“誰”なのかを」



 影と純の間に、濃密な気配が走った。



 そして、廊下の蛍光灯が一斉に消え、闇が一行を包み込む──。
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