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第三話
しおりを挟む公衆トイレで見知らぬ男に脅され、信じられない位に激しく乱れた夜。
男は雪菜のあられもない恥ずかしい姿を満足するまで写真に収めると、意外なほどにあっさりと、感じきって動けもしなくなった女を置いてその場を去っていった。
「連絡先交換しといたから、旦那にばらされたくなけりゃちゃーんとお返事してね♡」
それだけを言い捨てて。
「ふぅ…」
もう何度目かわからないため息が、他に誰もいない寝室に響く。
あの夜から夫の仕事が急に忙しくなってしまい、それに伴って出張に行ってしまう期間が格段に延びた。
よりによってこのタイミングで、と雪菜は恨めしく思わずにはいられなかった。
夫との優しくて愛の感じられる交わりさえあれば、あの一夜の事も忘れられるはずだと、信じたかったのだ。
しかし夫は2人の生活のために忙しく働いてくれているのだ。
それなのに私はなんて自分勝手で浅ましいことを考えてしまうのだろう、すぐに自分の考えを恥ずかしく思い自己嫌悪に苛まれた。
そんなお綺麗なことを思っていても、雪菜の肉体は新たな刺激を貪欲に求め続けていった。
夫以外の男を知ってしまってからというものの、彼女は一日も欠かさず自慰に耽っていた。
日中はもちろん、最近は夜中ですらこの家には雪菜1人きりだ。
自分以外誰もいない一軒家、欲望を抑える必要のない状況に気づいて仕舞えば、もう抑えてはいられなかったのだ。
寝室だけでなく風呂場やリビングなど至る所で、あの日使った玩具を咥え込んでは無想した。
愛する夫の姿ではなく、軽薄な男が自分を見下ろして笑った、あの瞬間を。
今この場でも、誰かが雪菜の乱れる声を聞きつけていたとしたら?
何事かと心配してうちの中にまで入ってきたら、こんな厭らしい姿をすべてみられてしまったら?
玄関の扉さえ閉めていなければ、十分起こりうるハプニングだ。
その人も雪菜が男を誘っているのだと勘違いして、無理矢理にでも抱かれてしまうかもしれない。
あの男のように粘ついた獰猛な瞳で何もかもを暴かれることを想像しては、滑稽なくらい必死に腰を振って絶頂するのだった。
夫以外の剛直に貫かれることを想像して自分を慰めるなんて、彼と結婚した時には思いつきもしなかっただろうに。
しかしあの日味わった快楽の味は、どうやっても忘れることが出来ないのだ。
禁断の蜜は雪菜の体だけでなく、清らかだった心も中毒にしてしまっていたのだった。
貞淑な妻の姿は剥がれ落ち、ただの女となった雪菜は底の見えない欲望の渦へと、抵抗もできず呑み込まれていく。
辛うじて雪菜が踏みとどまっていられるのは、夫という楔があるからだ。
「でも、裕二さんはこんな女がお好きなのよ…」
雪菜は夫の名を呼んで、全ては彼の為だからと嘯いてみせた。
その言葉が薄っぺらい建前であることは、誰の目にも明らかだと言うのに。
ヴヴ、と机の上に置かれたスマートフォンが新着メッセージの存在を告げる。
『やっほー、俺に会えなくて泣いていない?』
笑っている動物のスタンプと共に送られてきたメッセージは、何も知らない人が見れば恋人同士の戯れみたいな内容だった。
表示されたアイコンを目にして、雪菜はびくっと大げさに身を震わせた。
そこにあったのは確かにあの日、見知らぬ男と交わっている最中に撮られた自分の写真であったからだ。
雪菜の顔はマスクに覆われているし、胸元より上の部分でトリミングされているので、すぐにこれが性交の最中に撮られたものだとわかる人はいないだろう。
でもこれを不特定多数の人間が見ているなら、だれかは気づいてしまうかもしれない。
慌ててその写真を使わないでと返信する。
『あは、じゃあこんなのは?』
次々に送られてくる画像の全てが、あの日に撮られた写真だった。
『どうでもいいからさ、今度の日曜。
そうだな、20時にあの公園にきてね♡』
続けて送られてきた文面から、男がアイコンを変えるつもりなどないのだと理解したが、それを責めるより先に一方的に取り付けられようとしている約束の方に注意がむく。
『無理よ、その日は夫がいるの』
それは嘘だったが、断る方便としてそう伝えた。
夫にバレるとなると大事になって躊躇するかも、と期待したのだがすぐに帰ってきた返事は期待にそう物ではなかった。
『わかってる?命令すんのはこっち、雪菜さんが出来るのはおねだりだけだよ。
あの日散々教え込んであげたっしょ』
『旦那がどうとかは自分でどうにかしてね』
これ以上口答えしてはネットにあの写真が流されるかもしれない。
夫だけでなく会社、家族全てにバレてしまったら、雪菜はもうここで暮らしてはいけないだろう。
雪菜は抵抗することを諦め、わかりましたとだけ返事を送る。
どうしてあの日あんなことをしてしまったのだろう。
自分の運命がどうしようもなく惨めなものになる可能性を間近に感じ、雪菜は後悔に苛まれて両手で顔を大手ため息を吐いた。
隠されている唇の端が、うっそりと歪な笑みを浮かべていることに、彼女自身は気づいていなかったけれど。
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