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第一章
その手に光るもの
しおりを挟む思わず体を強張らせたふたりの前でしばし階段を見上げていたバロンは、追手が来ないことに安堵のため息をはくとゆっくりと視線を牢へ向けた。
そこには鍵束を握りしめ、アレクと向き合っているロイムの姿がある。
アレクは怯えるような表情を浮かべ、一方のロイムはにらみをきかせた好戦的な表情だ。
バロンはパンパンと汚れた衣服をはたきながら鼻先で小さく笑い、ふたりをにらみつけた。
「おいおい……てめえら何する気だ? まさか逃げるつもりじゃねえよな?」
追い詰められた野獣のような目つきで、距離をつめてくるバロンにアレクは思わず息をのむ。
「おまえはここで終わりだ。さっさと捕まりやがれ」
だがロイムはそんなバロンに怖気づくこともなく向かい合った。
「はっ、冗談だろう? おまえらを買うのにどれだけ払ったと思ってやがる? とくにそっち……アレク。おまえは俺なしじゃ生きられない。そうだよなあ?」
ねっとりとした声でバロンはにやりとした笑みを貼りつけ、舐めるような視線をアレクに向ける。そんなバロンの視線から隠すように、ロイムはふたりの間に立ちふさがった。
「てめえなんかいなくてもアレクは生きていける。俺がいるからな」
「そうかい。それじゃあ、おめえを殺せば済むじゃねえか」
階段に続くドアに鍵でもかけてきたのか、上からはドンドンッと誰かが体当たりでもしているような音が響いている。きっとバロンを追ってきた警備隊だろう。その音を聞きながらアレクは必至に心の中で叫ぶ。
(早くきて!)
「俺が可愛がりたいのは、おまえじゃなくてアレクなんだよ」
バロンは腰からすっとナイフと取り出してロイムに刃先を向けた。それを見たロイムの顔がこわばる。
「……おいおい。俺にも金を出したんだろう? 殺しちゃっていいのかよ」
「ふん。額が違うんだよ、バカが。『バレリアの呪い』にかかったアレクがおまえと同額だと思ってやがんのか? そいつをうまいこと使えば世界だって手に入るかもしれねえんだ。面倒くせえ正義感なんざ捨ててさっさとよこすんだな」
「断る」
ロイムが答えるや否や、はなから答えなんぞ聞く気もなかったのか、バロンは一瞬で間合いをつめ、ロイムの体にナイフを突き出した。だが読んでいたようにロイムは軽やかにステップを踏んでナイフをかわし、遠心力を利用しつつ体を回転させて力強くバロンの手元を蹴り上げた。
「うっ……」
キン……と硬質な音を立ててナイフが地面に落ちる。バロンは悔しげに顔を歪ませて手首を押さえ、その場にうずくまった。
「もうちょいマシな武器を持って逃げるんだな」
憎々しい視線を向けるバロンを一瞥(いちべつ)して鼻で笑うと、ロイムはアレクに向き直って得意げな笑みを浮かべた。その笑顔を見たアレクはホッと肩の力を抜く。
「無事でよかった……」
「これくらいのことは、ここじゃ日常茶飯事だからな。あった……これだな」
鍵束の中から目当ての鍵を見つけたロイムがアレクの手を取り、鍵穴に差し込んで軽く回すと、枷は重い音を立てて地に落ちた。
そのとき階段の奥から爆音が聞こえて扉の破片が地下にはじけ飛び、続いて雪崩のような足音が近づいてくるのがアレクの耳に入る。
ついに警備隊がドアを破壊し地下に突入してきたのだ。これでやっと解放される。アレクは安堵と共に目を輝かせた。
「よかった……」
手に松明を掲げ、ぞくぞくと階段から姿を現す警備隊にホッと息をつくと、こつんと肩に額が押しつけられた。
「ああ……ほんとに……よかった。これでおまえは自由だ」
苦し気に言葉を切らしながら寄りかかるロイムに、アレクは首をかしげる。
「ロイム? どうかした……」
どうかしたの。
その言葉を最後まで繋げることはできなかった。なぜなら、ロイムの肩越しにバロンのにやりとした笑みを見つけたから。
「おまえにはやらねえ」
真っ直ぐにアレクを見据えるバロンの瞳は、時折紫色の光を放ちながら獰猛な色を宿してギラギラと輝いた。そんな視線にとらわれたアレクは思わず息を止めて目を見開く。
さっきまで牢の入り口で崩れ落ちていたのに、一体いつの間にこんなに近くにきていたのか。
そんなアレクに構わず、にやりとした笑みを貼りつけたまま、バロンはグッとロイムの背中を押すようにさらに体を密着させた。
正面からロイムを抱きとめる形でその重みを受けたアレクは、思わず後ろによろめき、慌ててその場に踏みとどまる。
「バロン・メリオスだな。おまえには人身売買、その他多くの犯罪の容疑がかかっている。抵抗はするな」
凛とした声が地下牢に響き渡る。ハッとして視線を向ければ、すでに大勢の警備隊が牢を取り囲み、皆一様にアレクたちを注視している。
その中から一歩前へ進み出たのは、群青色の髪に同じ瞳の色を持つ、まだ若い青年だった。
ひとりだけ格式の高そうな制服を身にまとい、胸にはいくつかの勲章が飾りつけれている。まだ若いが、おそらくこの青年が隊長格なのだろう。
バロンは小さく舌打ちをすると、参ったというように両手を上にあげて警備隊に向き直った。
だが――
「はいはい。おっと、ちょっと待てよ。忘れものだ」
ゆっくりと上げた手を下ろしたバロンは、楽し気に笑いながらロイムの背中に手を伸ばし……ズシャッという濡れたような音を立てて何かを引き抜いた。
「くくく」
気でも触れたような笑い声を上げて、ふらつくように一歩あとずさったバロンの手には、柄(つか)の部分までどろりとした血で赤黒く染まった大型ナイフ。
それを目にしたアレクはこぼれそうなほど目を見開いた。
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