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16、はじめまして。さようなら。できれば永遠に。

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  響季のお話はたわいないものだった。
  学校のこと。今日の気温について。
  最初に出会った時、初対面の人に対して随分乱暴な口調で探りを入れ、引き止めたことと、職員さんに零児の名前を聞いたこと。それについての謝罪。
  零児が来たらすぐに行くからメールで教えてくれるよう、職員さんに頼んでおいたこと。
  話しているうちに、自転車で来たのに鍵をかけてないことを思い出し、響季が慌ててルームの外まで鍵を掛けに行った。その後職員さんが送ってくれたメールを見せてくれた。
  ラジオネームのこと。本名検索で零児の中学を割り出し、友達と行ったこと。
  そのことについての謝罪。

  栗山さんのこと。《全国中学生読書部》のサイトで、すぐに零児のペンネームがわかったこと。
  零児が紹介していた本を何冊か読んでみたこと。
  響季が話すべきことを全部話すと、今度は零児が栗山さんのことや河辺先生についてぽつぽつと聞く。
  元気にしているか、クリヤマンは受験生なのにまだ髪を黒く染め直していないのか。
  気付けば二人は利用時間いっぱいまで喋って、話して、聞いていた。
  夏休みとだけあって元々少ない利用者はすべて帰り、休憩スペースにいるのは二人だけだった。

  
  「それで?」
  「えっ?」
  「それだけ私のこと調べあげて、どうしたいの?」

  零児がいつもの、理知的なアーモンドアイを向けて響季に訊いてくる。

  「いやあ、ねえ」

  訊かれた響季が手の中の紙コップをもてあそぶ。

  「友達になりたいなあー、と思ったんだけど。でもまあこんだけおしゃべりしたらもう友達だよねっ」
  「…友達じゃない」

  フレンドリーな笑顔を向ける響季とは逆に、零児は視線を合わさず、目の前の、ソファの背もたれの裏を見ながら言う。

  「ああ…、そっか。友達っていつの間にかなってるもんだよね」
  「馴れ合う気はないから」

  背もたれではなく、響季の目を見ながら零児が言う。

  「あー、えーっとー」
  「悪いけど」

  ソファの背に零児が視線を戻す。響季もそちらを向く。
  沈黙が続き、耐えられなくなったのは零児だった。

  「それじゃ」
  「待って!」

  立ち上がった零児を響季が引き止めるが、

  「あの、ああ、ええと、それじゃ、ええと」

  引き止めたはいいものの突破口が見つからず、響季は口許を手で覆ったり腕組みをしたりしながら必死で考える。
  しかし考えがまとまらない、何かいい方法は、策は無いのか。考えろ、考えろ。
  友達になりたい子とどうにかして友達になる、あるいはどうにかして繋ぎとめる、その方法とは。
  大金を積む。一緒に危機を乗り越える。黒魔術にかける。遠足で同じ班になる。
  自宅の豪邸に招待して、わたくしとお友達になればこのような高級おやつがいつでも食べられましてよ、と生ハムメロンを振る舞う。
  違う、これでは大金を積むと一緒だ。あと生ハムメロンはおやつじゃない。オードブルじゃね?
  ラジオの大喜利コーナーよりも、生放送のラジオで発表され、すぐ募集がかかるメールテーマよりも難しい。知恵と発想と瞬発力とが試される。

  必死で頭を働かせている響季を、零児はただじっと見ていた。
  さっさと帰ってしまえばいいと思っているのに、響季の言葉を待ってしまう。
  引き留めるのを望んでいるかのように。
  あの手この手で、今度はどんな手で引き留めるのかを見届けたかった。
  二人はしばらくそうしていたが、

  「…生ハムを」
  「えっ?」
  「ああ、いや、違う。アボガドで巻いて、じゃなくて、生ハムでアボガドを、じゃなくて」
  「なに?」 

  おかしなことを口走り始めた響季に、零児が苛立った声をあげる。

  「そうじゃなくて…、そうだっ!」

  ぱん、と響季が顔の前で両手を打ち鳴らす。

  「じゃあ付き合って」
  「はっ?」
  「友達がダメなら、恋人から始めようよ」
  「普通逆だろっ!」

  普段なら出さないような大きな声で、零児がツッコむ。

  「イエース!ナイスツッコミッ!」
  「ふざけんなっ!」

  両人差し指でバキュンと指差す響季の手を、零児が払いのける。
  方向性が、持っていき方が間違っているのを響季自身わかっていた。先の読めないアドリブに冷や汗が流れる。
  しかし止められない。これで、このノリで行くしかない。
  チャラ男とイタリア系ナンパ男のご加護を借りてでも目の前の女の子を引き止めたかった。繋がりそうな糸を引き寄せ、手繰り寄せたかった。

  「いやマジで。一目惚れなんですよ奥さん!奥さんっ!!」
  「奥さんじゃねえよ!適当なこと言ってんなよ!最低だよアンタ!」
  「マジだって。運命線に赤い糸が、あの、絡んでる状態で、バーニングマイハートが着火カウントダウンだよ!」
  「もういいよ!」

  響季が腕を掴もうとするのを、漫才の締めのような台詞と共に零児が再度振り払う。
  零児は何かを期待していた。
  響季に何かを期待していた。それが何なのかは自分でもわからない。
  だがそれは見事に裏切れた。
  キャラ作りは曖昧で、センテンスを繋げ過ぎてまとまりがない。
  笑いが破綻している。焦りが滑りに転じている。
  やるならちゃんとやれ、ちゃんとボケて笑いに繋げろという訳のわからない怒りがこみ上げてきた。
  ドアに向かおうとすると、職員さんや看護師さん達が何事かと見ていた。零児の顔がまた赤くなる。
  充分休憩はした。今度は大丈夫なはずだ。零児が全速力でこの場を去ろうとした時。

  後ろからタックルするように、響季がその身体を抱き締めてきた。

  「馴れ合わなくていいよ。繋がりが欲しいんだよ、零ちゃんと」

  長く細い腕で、零児の身体がすっぽりと包まれる。
  お互いの服は夏だから薄くて、体温と柔らかさが伝わってきた。
  耳元で、涙声で囁かれた。
  零児のラジオリスナー歴は長い。
  自分の中での嫌いな声、好きな声、いい声、悪い声はある。
  それは聴いているのが声優ラジオだから、色んな個性がある声の人たちのラジオだから尚更だ。
  今聴いた声は嫌いな声じゃない。好きな声だ。その声が、自分と繋がりを持ちたいと言っている。それだけで受け入れてしまいそうになる。けれど、

  「はなせっ!」

  声と柔らかさを、零児が全身で振り払う。針を刺した方の腕が響季の顔に当たり、眼鏡が飛んだ。看護師さんにきっちり巻いてもらった包帯が解けかかる。

  「いった」

  響季が小さく言って、腕が当たった頬を押さえた。

  「あっ」

  響季の身体を振り解き、距離を取った零児がそれを見る。
  二人の間には眼鏡が落ちていた。拾った方がいいのか、落とした者が迷う。
  レンズが割れていないか心配だった。

  「大丈夫だよ。ダテ眼鏡だし」

  零児が考えていたことを読み取ったように、落ちた眼鏡を響季が拾う。
  眼鏡をしていない響季はいつものくだけた雰囲気がなく、違う人のようだった。

  「今日はもう帰りたまえよ。零ちゃん」

  響季が拾った眼鏡を掛け直し、

  「今日はもう無理でしょ。最後の最後で怒らせちゃったし。しくったわあー」

  怒らせた本人を目の前に、他人事のように飄々と言った。零児は怒りに燃えた心が、更なる怒りで冷却されていくのを感じた。

  「だから今日はもうお開きで。こっちもどうやったら零ちゃん陥落できるか考えますわ」

  肘が当たった部分が腫れたように赤い。そんなことは関係ないというように、響季がニッと笑って見せた。

  「…一生考えてろ」

  そう吐き捨て、零児は出ていった。献結ルームが静寂に包まれる。

  「もう来ないかなあ」

  心配そうに見守っていた職員さんや看護師さん達に、響季が訊いてみる。
  もし夏休みが終わるまでに零児がまた献結ルームに来るとしたら。
  献結をした方がいいとされる期間は最短でも二週間だ。それを超えると人によっては厨二病を発症したり、非行に走りがちになる。
  特に時間と暇を持て余す夏休みは危険だ。どんな無鉄砲な、若気の至りに走ってしまうかわからない。
  逆に定期的に献結していれば、それらはすぐに発症しない。

  「零ちゃんは抜いてる方?」

  響季が受付職員さんに零児の献結記録を訊く。

  「えっと。ちょっと待って」
  「何?ひびきちゃん振られたの?」

  職員さんがデータベースで調べてくれる間、何か動きがあったのかと赤峰さんが楽しそうに会話に入ってきた。

  「まだ希望はあるんじゃないですか?ダメでもぶっちゃけいいけど。最初から負け戦みたいなもんだし」
  「なによ。もっとがんばりなさいよ」
  「そうそうっ!」
  「まだ諦めちゃだめよっ!」

  諦めモードの響季に、職員さん、看護師さん達は全員で少女に恋する少女を応援していた。

  「保健室だけど、結構抜きに行ってるみたいね、れいじちゃん。ルームはこの前と今回だけね。あとアボガドがどうとかいうのはなんだったの?」
  「いや、あれは全然関係ない話で。…そうっすか、ありがとうございます」

  調べてくれた職員さんにお礼を言い、響季は作戦を練る。
  習慣通りなら零児は献結に来る。夏休み中はこのルームに。まだチャンスはある。
  腕が当たった頬が少し痛かった。だが頬が当たった、血を抜いたばかりの零児の腕の方が心配だった。
  職員さん達は一個百円のアボガドをわさび醤油で食べてトロ気分を味わうなら、安い回転寿司で一貫百円のトロを食べたほうが得だ、と討論していた。

  「どうするの?」

  赤峰さんに訊かれた響季は、零児が出ていったドアを見つめ、おしゃれな便箋ってあります?と言った。
  
  
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