12 / 105
12 パン
しおりを挟む
お姉さんの名前は、クレアというらしい。この近所でやっているパン屋のひとり娘だとか。
路地裏の掃除をしていたのだとか。ちょうどクレアが屈んでいたあたりには、よく見ると木製の扉があった。彼女の実家であるパン屋の裏口らしい。
「ここも定期的に綺麗にしておかないとね。変な人たちの溜まり場になっても困るし」
そう言って苦笑するクレアは、額の汗を拭う。
前々からちょいちょい掃除しているらしいのだが、人目の少ない裏路地ということもあり、油断するとゴミが勝手に放置されていたりするらしい。不法投棄ってやつだな。大変そうだ。
それにしても。
「じゃあ、あっちは大通り?」
「そうだよ。道を一本入るだけで随分と雰囲気違うでしょ」
なんと。迷子になったと思って泣いていたのに、すぐ近くに大通りがあったらしい。思わず足元のユナを見下ろせば『まぁ、よかったじゃん。無事に戻れて』と、なんともやる気のない声が返ってきた。
なんだか途端に泣いたことが恥ずかしくなってくる。だが大丈夫。俺はまだ七歳児。迷子になって泣いたとしても、なんも恥ずかしくはない年頃だと自分に言い聞かせる。
「俺も手伝うよ」
掃除をするクレアを見上げれば、彼女は「いいよいいよ」と小さく手を振る。
「ご両親が心配してるよ。はやく戻ってあげないと」
「大丈夫」
先程までは、あんなにオリビアのところへ帰りたかったのだが、すぐ近くに大通りがあるとわかった途端に気持ちに余裕が出てくる。あとクレアお姉さんはオリビアと違ってすごく優しそう。もうちょっと一緒に居たい。
追い出されてたまるものかと、彼女の袖を握りしめる。苦笑したクレアは、「そうだ。パンでも食べていく?」と、扉を指差す。
「食べる!」
歩きまわって空腹だった俺は、迷うことなく頷いた。先程から、パンの良い香りが漂っていた。ぺろっと唇を舐めれば、クレアがころころと楽しそうに笑う。
「よしよし。じゃあお姉さんが奢ってあげよう」
「わーい!」
わくわくと両手を上げた俺だが、存在を主張するかのように、足元に纏わりついてくるユナを認識して少し考える。パン屋さんに、猫を入れるのはいかがなものなのかと。
「猫はここで待っとけ。俺はお姉さんとふたりでパンを食べてくる」
『こいつ……!』
絶句するユナは、不満そうに耳を動かす。
「猫は食べ物屋さんには入っちゃダメ。毛が入るでしょ」
『なにこのお子様。さっきまで助けて猫ってピーピー泣いてたくせに』
「泣いてない!」
クレアに聞かれてしまう。泣いていたなんて格好悪いこと知られたくはない。慌てて猫を黙らせようと拳を握りしめれば、クレアが「猫ちゃんもどうぞ」と扉を開けてくれた。
「でもこの猫汚いよ」
『汚くないよ! 失礼だなさっきから!』
ぎゃあぎゃあうるさいユナを見て、クレアが柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。この裏口は店舗の方には繋がっていないから」
どうやら裏口は、居住スペースに繋がっているらしい。中からも店舗側への移動は可能だが、扉で仕切ってあるので大丈夫だとクレアは言う。
クレアがそう言うのなら。
「いいか猫。おとなしくしとけよ」
『それはこっちのセリフだよ』
にこにこクレアに案内されて、建物内に入り込む。こざっぱりしており、物が少ない。
リビングらしきスペースに通された俺は、言われるがままにテーブルにつく。
どうやらクレアは、迷子のお子様を保護した気でいるらしい。俺がなかなか大通りに戻らないので、一旦パンを食べさせて落ち着かせようという魂胆なのか。俺は別に迷子じゃないけどね。もう帰り道はわかった。
「食べたら、私も一緒にご両親探してあげるから」
「それは大丈夫。ひとりで帰れる」
「本当に?」
疑いの目を向けてくるクレア。完全に俺を迷子扱いしている。ユナは、約束通りにおとなしくしている。俺の足元で丸くなって、置物のようにじっとしている。
「そもそも、ここまでどうやって来たの? 近所の子?」
キッチンスペースで動きまわりながら、クレアはちらちらと俺に視線を投げてくる。
「猫と一緒に来た。近くに住んでるから、ひとりで帰れる。大通りの場所がわかんなくて困ってたの」
だからもう大丈夫だと説明すれば、クレアは「それなら良いけど」と、まだ少し心配そうにしていた。大通りには、うちの騎士たちがまだ居るはず。彼らに声をかければ、連れて帰ってもらえるので安心である。だが、俺が公爵家の次男ということは内緒なので、騎士云々の話を彼女に教えるわけにはいかない。あくまでも、お忍びで街歩きをしているのだから。
クレアが用意してくれたのは、美味しそうな小さめパンだった。ロールパンみたいなやつだ。手作りだという苺ジャムも一緒に、早速頬張る。甘酸っぱくて美味しい。ひたすら無言でもぐもぐしていれば、クレアが微笑ましいものでも見るかのように目を細めていた。
「おかわりあるからね」
パンが口いっぱいに詰まっているので、こくこくと頷いておく。やっぱりクレアは優しい。「夕飯が入らなくなりますよ」とかなんとか言って、俺のおやつタイムを邪魔してくるオリビアと大違いだ。
路地裏の掃除をしていたのだとか。ちょうどクレアが屈んでいたあたりには、よく見ると木製の扉があった。彼女の実家であるパン屋の裏口らしい。
「ここも定期的に綺麗にしておかないとね。変な人たちの溜まり場になっても困るし」
そう言って苦笑するクレアは、額の汗を拭う。
前々からちょいちょい掃除しているらしいのだが、人目の少ない裏路地ということもあり、油断するとゴミが勝手に放置されていたりするらしい。不法投棄ってやつだな。大変そうだ。
それにしても。
「じゃあ、あっちは大通り?」
「そうだよ。道を一本入るだけで随分と雰囲気違うでしょ」
なんと。迷子になったと思って泣いていたのに、すぐ近くに大通りがあったらしい。思わず足元のユナを見下ろせば『まぁ、よかったじゃん。無事に戻れて』と、なんともやる気のない声が返ってきた。
なんだか途端に泣いたことが恥ずかしくなってくる。だが大丈夫。俺はまだ七歳児。迷子になって泣いたとしても、なんも恥ずかしくはない年頃だと自分に言い聞かせる。
「俺も手伝うよ」
掃除をするクレアを見上げれば、彼女は「いいよいいよ」と小さく手を振る。
「ご両親が心配してるよ。はやく戻ってあげないと」
「大丈夫」
先程までは、あんなにオリビアのところへ帰りたかったのだが、すぐ近くに大通りがあるとわかった途端に気持ちに余裕が出てくる。あとクレアお姉さんはオリビアと違ってすごく優しそう。もうちょっと一緒に居たい。
追い出されてたまるものかと、彼女の袖を握りしめる。苦笑したクレアは、「そうだ。パンでも食べていく?」と、扉を指差す。
「食べる!」
歩きまわって空腹だった俺は、迷うことなく頷いた。先程から、パンの良い香りが漂っていた。ぺろっと唇を舐めれば、クレアがころころと楽しそうに笑う。
「よしよし。じゃあお姉さんが奢ってあげよう」
「わーい!」
わくわくと両手を上げた俺だが、存在を主張するかのように、足元に纏わりついてくるユナを認識して少し考える。パン屋さんに、猫を入れるのはいかがなものなのかと。
「猫はここで待っとけ。俺はお姉さんとふたりでパンを食べてくる」
『こいつ……!』
絶句するユナは、不満そうに耳を動かす。
「猫は食べ物屋さんには入っちゃダメ。毛が入るでしょ」
『なにこのお子様。さっきまで助けて猫ってピーピー泣いてたくせに』
「泣いてない!」
クレアに聞かれてしまう。泣いていたなんて格好悪いこと知られたくはない。慌てて猫を黙らせようと拳を握りしめれば、クレアが「猫ちゃんもどうぞ」と扉を開けてくれた。
「でもこの猫汚いよ」
『汚くないよ! 失礼だなさっきから!』
ぎゃあぎゃあうるさいユナを見て、クレアが柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。この裏口は店舗の方には繋がっていないから」
どうやら裏口は、居住スペースに繋がっているらしい。中からも店舗側への移動は可能だが、扉で仕切ってあるので大丈夫だとクレアは言う。
クレアがそう言うのなら。
「いいか猫。おとなしくしとけよ」
『それはこっちのセリフだよ』
にこにこクレアに案内されて、建物内に入り込む。こざっぱりしており、物が少ない。
リビングらしきスペースに通された俺は、言われるがままにテーブルにつく。
どうやらクレアは、迷子のお子様を保護した気でいるらしい。俺がなかなか大通りに戻らないので、一旦パンを食べさせて落ち着かせようという魂胆なのか。俺は別に迷子じゃないけどね。もう帰り道はわかった。
「食べたら、私も一緒にご両親探してあげるから」
「それは大丈夫。ひとりで帰れる」
「本当に?」
疑いの目を向けてくるクレア。完全に俺を迷子扱いしている。ユナは、約束通りにおとなしくしている。俺の足元で丸くなって、置物のようにじっとしている。
「そもそも、ここまでどうやって来たの? 近所の子?」
キッチンスペースで動きまわりながら、クレアはちらちらと俺に視線を投げてくる。
「猫と一緒に来た。近くに住んでるから、ひとりで帰れる。大通りの場所がわかんなくて困ってたの」
だからもう大丈夫だと説明すれば、クレアは「それなら良いけど」と、まだ少し心配そうにしていた。大通りには、うちの騎士たちがまだ居るはず。彼らに声をかければ、連れて帰ってもらえるので安心である。だが、俺が公爵家の次男ということは内緒なので、騎士云々の話を彼女に教えるわけにはいかない。あくまでも、お忍びで街歩きをしているのだから。
クレアが用意してくれたのは、美味しそうな小さめパンだった。ロールパンみたいなやつだ。手作りだという苺ジャムも一緒に、早速頬張る。甘酸っぱくて美味しい。ひたすら無言でもぐもぐしていれば、クレアが微笑ましいものでも見るかのように目を細めていた。
「おかわりあるからね」
パンが口いっぱいに詰まっているので、こくこくと頷いておく。やっぱりクレアは優しい。「夕飯が入らなくなりますよ」とかなんとか言って、俺のおやつタイムを邪魔してくるオリビアと大違いだ。
56
あなたにおすすめの小説
3点スキルと食事転生。食いしん坊の幸福無双。〜メシ作るために、貰ったスキル、完全に戦闘狂向き〜
幸運寺大大吉丸◎ 書籍発売中
ファンタジー
伯爵家の当主と側室の子であるリアムは転生者である。
転生した時に、目立たないから大丈夫と貰ったスキルが、転生して直後、ひょんなことから1番知られてはいけない人にバレてしまう。
- 週間最高ランキング:総合297位
- ゲス要素があります。
- この話はフィクションです。
才がないと伯爵家を追放された僕は、神様からのお詫びチートで、異世界のんびりスローライフ!!
にのまえ
ファンタジー
剣や魔法に才能がないカストール伯爵家の次男、ノエール・カストールは家族から追放され、辺境の別荘へ送られることになる。しかしノエールは追放を喜ぶ、それは彼に異世界の神様から、お詫びにとして貰ったチートスキルがあるから。
そう、ノエールは転生者だったのだ。
そのスキルを駆使して、彼の異世界のんびりスローライフが始まる。
【一秒クッキング】追放された転生人は最強スキルより食にしか興味がないようです~元婚約者と子犬と獣人族母娘との旅~
御峰。
ファンタジー
転生を果たした主人公ノアは剣士家系の子爵家三男として生まれる。
十歳に開花するはずの才能だが、ノアは生まれてすぐに才能【アプリ】を開花していた。
剣士家系の家に嫌気がさしていた主人公は、剣士系のアプリではなく【一秒クッキング】をインストールし、好きな食べ物を食べ歩くと決意する。
十歳に才能なしと判断され婚約破棄されたが、元婚約者セレナも才能【暴食】を開花させて、実家から煙たがれるようになった。
紆余曲折から二人は再び出会い、休息日を一緒に過ごすようになる。
十二歳になり成人となったノアは晴れて(?)実家から追放され家を出ることになった。
自由の身となったノアと家出元婚約者セレナと可愛らしい子犬は世界を歩き回りながら、美味しいご飯を食べまくる旅を始める。
その旅はやがて色んな国の色んな事件に巻き込まれるのだが、この物語はまだ始まったばかりだ。
※ファンタジーカップ用に書き下ろし作品となります。アルファポリス優先投稿となっております。
何故か転生?したらしいので【この子】を幸せにしたい。
くらげ
ファンタジー
俺、 鷹中 結糸(たかなか ゆいと) は…36歳 独身のどこにでも居る普通のサラリーマンの筈だった。
しかし…ある日、会社終わりに事故に合ったらしく…目が覚めたら細く小さい少年に転生?憑依?していた!
しかも…【この子】は、どうやら家族からも、国からも、嫌われているようで……!?
よし!じゃあ!冒険者になって自由にスローライフ目指して生きようと思った矢先…何故か色々な事に巻き込まれてしまい……?!
「これ…スローライフ目指せるのか?」
この物語は、【この子】と俺が…この異世界で幸せスローライフを目指して奮闘する物語!
猫好きのぼっちおじさん、招かれた異世界で気ままに【亜空間倉庫】で移動販売を始める
遥風 かずら
ファンタジー
【HOTランキング1位作品(9月2週目)】
猫好きを公言する独身おじさん麦山湯治(49)は商売で使っているキッチンカーを車検に出し、常連カードの更新も兼ねていつもの猫カフェに来ていた。猫カフェの一番人気かつ美人トラ猫のコムギに特に好かれており、湯治が声をかけなくても、自発的に膝に乗ってきては抱っこを要求されるほどの猫好き上級者でもあった。
そんないつものもふもふタイム中、スタッフに信頼されている湯治は他の客がいないこともあって、数分ほど猫たちの見守りを頼まれる。二つ返事で猫たちに温かい眼差しを向ける湯治。そんな時、コムギに手招きをされた湯治は細長い廊下をついて歩く。おかしいと感じながら延々と続く長い廊下を進んだ湯治だったが、コムギが突然湯治の顔をめがけて引き返してくる。怒ることのない湯治がコムギを顔から離して目を開けると、そこは猫カフェではなくのどかな厩舎の中。
まるで招かれるように異世界に降り立った湯治は、好きな猫と一緒に生きることを目指して外に向かうのだった。
『規格外の薬師、追放されて辺境スローライフを始める。〜作ったポーションが国家機密級なのは秘密です〜』
雛月 らん
ファンタジー
俺、黒田 蓮(くろだ れん)35歳は前世でブラック企業の社畜だった。過労死寸前で倒れ、次に目覚めたとき、そこは剣と魔法の異世界。しかも、幼少期の俺は、とある大貴族の私生児、アレン・クロイツェルとして生まれ変わっていた。
前世の記憶と、この世界では「外れスキル」とされる『万物鑑定』と『薬草栽培(ハイレベル)』。そして、誰にも知られていない規格外の莫大な魔力を持っていた。
しかし、俺は決意する。「今世こそ、誰にも邪魔されない、のんびりしたスローライフを送る!」と。
これは、スローライフを死守したい天才薬師のアレンと、彼の作る規格外の薬に振り回される異世界の物語。
平穏を愛する(自称)凡人薬師の、のんびりだけど実は波乱万丈な辺境スローライフファンタジー。
【本編完結】転生令嬢は自覚なしに無双する
ベル
ファンタジー
ふと目を開けると、私は7歳くらいの女の子の姿になっていた。
きらびやかな装飾が施された部屋に、ふかふかのベット。忠実な使用人に溺愛する両親と兄。
私は戸惑いながら鏡に映る顔に驚愕することになる。
この顔って、マルスティア伯爵令嬢の幼少期じゃない?
私さっきまで確か映画館にいたはずなんだけど、どうして見ていた映画の中の脇役になってしまっているの?!
映画化された漫画の物語の中に転生してしまった女の子が、実はとてつもない魔力を隠し持った裏ボスキャラであることを自覚しないまま、どんどん怪物を倒して無双していくお話。
設定はゆるいです
善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です
しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる