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ジルベルトの背を追って小走りになる。広い背が近づくほど、背後の声は小さく聞こえなくなっていく。
ジルベルト殿下、と呼ぶ前にすらりとした後ろ姿が立ち止まった。振り向いて、エヴェリーナを待っている。
エヴェリーナの胸は高鳴った。
息を弾ませながら追いつく。立ち止まって呼吸を整えていると、ジルベルトのやや皮肉な声がした。
「あなたも存外鈍いところがあるな。いや、忍耐力があるというべきか。このような場にわざわざ参加するとは。ただの茶会であるはずがないだろう」
「! ですが……。いえ、言葉もありません」
エヴェリーナはかすかな苦笑いを浮かべるしかなかった。
「それで。愛でもなく私欲でもないもののことはわかったか?」
鋭くも透明な双眸がエヴェリーナを見る。
エヴェリーナは少し考えながらもうなずいた。
「――わたくしは、マルタに嫉妬したのだと思います。ですがそれは、ジョナタ殿下のお気持ちが彼女に傾いたからというより、やはり王太子妃というものを奪われた衝撃が大きかったように思います。王太子妃になるというのは、ずっと、わたくしの目指すべき目標でしたから」
言葉にすれば、それは嫉妬でもあり私欲でもあるように聞こえる。
伝わるだろうかとエヴェリーナが不安げにジルベルトを見上げると、だが彼は反論するでもなく、静かに聞いていた。
「わたくしの気持ちを乱したのは、マルタという女性のありかたでした。侮辱するつもりはありません。ただ、彼女は、わたくしがこれまで必死に身につけてきたものを何一つ持っていなかった。ジョナタ殿下のお気持ちを射止め、ただ愛というもののために王太子妃にかわられてしまった。それなら……わたくしがいままで目指してきたものは、過ごしてきた歳月はなんだったのでしょう」
古典。歴史。語学。礼儀作法。音楽。美術。政治力学。父親の期待と願いもあって、エヴェリーナは徹底的に王太子妃候補として教育を受けてきた。
厳しい家庭教師を前に泣きながら音読させられた。舞踏の授業では体がくたくたになり、そのあとの座学ではまるで集中できなかった。それでも厳しく叱られた。
――美しくあることは当然だった。
その結果得たのが、完璧な淑女という称号だった。そうまでしてようやく、王太子妃という目標にたどりつける。そのはずだった。
口内にこみあげてきた苦さを噛みしめ、かすかに震える声を絞り出す。
「至らないなりに、わたくしは必死に努力してきたつもりです。ですが、マルタを見ていると――、マルタには確かにわたくしにない魅力があります。あの明るさや愛嬌、物怖じをしないところ。あれは生まれ持っての魅力ともいうべきもので、わたくしには到底得られぬものです。わたくしはその生来の魅力に負けたのでしょう。ですが……生まれつき持っている者に、持たざる者がどうやって敵うというのですか」
言葉が溢れて止まらなかった。こんなにまくしたてるのは聞き苦しく、あるまじきことだ――まして相手はジルベルトだというのに。
頭の隅でそうささやく声があっても、迸る感情は抑えきれなかった。
日に焼けたマルタの肌。あけすけで、だが咎められることのない物言い。あれが天性の愛嬌であり、王太子の心さえ射止められるもので、他の欠点すべてを補うのだとしたら。
――そんなもの、自分には一生手に入らない。
「マルタを見ていると、自分がこれまで積み上げてきたものが、わたくしのいまの在り方が、ひどく無価値なものに思えたのです。それが、とても耐えがたく……」
気持ちが高ぶり、喉がつまった。
できない、わからないと泣いて、それでもあなたは王太子妃なのですからと許されなかった。そんな日々に耐えた。
自分を高め続けたのは、すべて王太子妃という目標のためだった。
そこに野心があったわけではない。ジョナタを特別愛していたのとも違う。
ただ目指すものがあったから邁進した。それが生きる目的でもあった。あと少しで届こうというときに、これまでの自分を否定するような存在が目の前に現れた。
だから。
「とても――悔しかったのです」
その短い言葉が、王太子妃候補という立場を失った以後の、エヴェリーナのすべてだった。
思い悩み何千何百という言葉を費やして、ようやく自分を見つけたような気がした。
ジルベルト殿下、と呼ぶ前にすらりとした後ろ姿が立ち止まった。振り向いて、エヴェリーナを待っている。
エヴェリーナの胸は高鳴った。
息を弾ませながら追いつく。立ち止まって呼吸を整えていると、ジルベルトのやや皮肉な声がした。
「あなたも存外鈍いところがあるな。いや、忍耐力があるというべきか。このような場にわざわざ参加するとは。ただの茶会であるはずがないだろう」
「! ですが……。いえ、言葉もありません」
エヴェリーナはかすかな苦笑いを浮かべるしかなかった。
「それで。愛でもなく私欲でもないもののことはわかったか?」
鋭くも透明な双眸がエヴェリーナを見る。
エヴェリーナは少し考えながらもうなずいた。
「――わたくしは、マルタに嫉妬したのだと思います。ですがそれは、ジョナタ殿下のお気持ちが彼女に傾いたからというより、やはり王太子妃というものを奪われた衝撃が大きかったように思います。王太子妃になるというのは、ずっと、わたくしの目指すべき目標でしたから」
言葉にすれば、それは嫉妬でもあり私欲でもあるように聞こえる。
伝わるだろうかとエヴェリーナが不安げにジルベルトを見上げると、だが彼は反論するでもなく、静かに聞いていた。
「わたくしの気持ちを乱したのは、マルタという女性のありかたでした。侮辱するつもりはありません。ただ、彼女は、わたくしがこれまで必死に身につけてきたものを何一つ持っていなかった。ジョナタ殿下のお気持ちを射止め、ただ愛というもののために王太子妃にかわられてしまった。それなら……わたくしがいままで目指してきたものは、過ごしてきた歳月はなんだったのでしょう」
古典。歴史。語学。礼儀作法。音楽。美術。政治力学。父親の期待と願いもあって、エヴェリーナは徹底的に王太子妃候補として教育を受けてきた。
厳しい家庭教師を前に泣きながら音読させられた。舞踏の授業では体がくたくたになり、そのあとの座学ではまるで集中できなかった。それでも厳しく叱られた。
――美しくあることは当然だった。
その結果得たのが、完璧な淑女という称号だった。そうまでしてようやく、王太子妃という目標にたどりつける。そのはずだった。
口内にこみあげてきた苦さを噛みしめ、かすかに震える声を絞り出す。
「至らないなりに、わたくしは必死に努力してきたつもりです。ですが、マルタを見ていると――、マルタには確かにわたくしにない魅力があります。あの明るさや愛嬌、物怖じをしないところ。あれは生まれ持っての魅力ともいうべきもので、わたくしには到底得られぬものです。わたくしはその生来の魅力に負けたのでしょう。ですが……生まれつき持っている者に、持たざる者がどうやって敵うというのですか」
言葉が溢れて止まらなかった。こんなにまくしたてるのは聞き苦しく、あるまじきことだ――まして相手はジルベルトだというのに。
頭の隅でそうささやく声があっても、迸る感情は抑えきれなかった。
日に焼けたマルタの肌。あけすけで、だが咎められることのない物言い。あれが天性の愛嬌であり、王太子の心さえ射止められるもので、他の欠点すべてを補うのだとしたら。
――そんなもの、自分には一生手に入らない。
「マルタを見ていると、自分がこれまで積み上げてきたものが、わたくしのいまの在り方が、ひどく無価値なものに思えたのです。それが、とても耐えがたく……」
気持ちが高ぶり、喉がつまった。
できない、わからないと泣いて、それでもあなたは王太子妃なのですからと許されなかった。そんな日々に耐えた。
自分を高め続けたのは、すべて王太子妃という目標のためだった。
そこに野心があったわけではない。ジョナタを特別愛していたのとも違う。
ただ目指すものがあったから邁進した。それが生きる目的でもあった。あと少しで届こうというときに、これまでの自分を否定するような存在が目の前に現れた。
だから。
「とても――悔しかったのです」
その短い言葉が、王太子妃候補という立場を失った以後の、エヴェリーナのすべてだった。
思い悩み何千何百という言葉を費やして、ようやく自分を見つけたような気がした。
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