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寝ても覚めても
しおりを挟む物心つく頃には、自分の中に酷く淀んだ何かが流れていることに気が付いていた。
──熱い、熱い。
そんな感情に支配されながら目覚める度、まだ十歳の少女、エマ・ルソーネは、年齢とは不相応の歪んだ表情を浮かべた。
「あつくなんて、ないのに……」
ベッドの上で小さく蹲りながら、消え入るような声で言う。
時々こうして、記憶に残らない悪夢に魘されるのも、そのせいで意味もなく悲しくなったり、弱気になったりするのも、きっと体の中のドロドロのせいだ。
中を開いて洗い出せば、少しは自分も変わるだろうか。
そんなことを思っている間に、エマはまた夢の中へと落ちて行った。
/
日が昇る頃には、昨夜の弱気は消え失せ、口元をきゅっとへの字に曲げて、澄ました視線を投げる少女がいた。
「いらない」
並べられた朝食は、彩り、栄養バランス、当然味も一級な、ルソーネ家料理長自慢の品々だ。
だというのに、エマは一見するなりそう言って、食堂を出て行った。
「気が利かない」
腹立たし気に吐き捨る。
今朝の気分は甘いパンケーキだったのだ。
頬を不機嫌そうに膨らませて、屋敷の長い廊下をズカズカと歩く。
触らぬ神になんとやら、使用人たちはそんな小さな巨人からそそくさと身を隠した。
あれやこれやと忙しいところに、わがままお嬢様の八つ当たりなど受けたら面倒だ、皆そんな様子だった。
広間のソファにどっかりと座り込んだエマは「ニーア」と自身の側付きメイドの名を呼んだ。
「はい。エマお嬢様」
「紅茶を淹れて。ジャムも付けて」
「はい」
──バンッ
ニーアの返事と被るタイミングで、乱暴に扉が開かれた。
「エマ…!」
必死な声で少女の名を呼び広間の扉を開けたのは、この屋敷の当主、レオン・ルソーネ公爵。エマの父親である。
「朝食が気にくわなかったんだよね……? なら代わりのものを用意させるから、何か少しでも食べないかい?」
「いらないってば」
一人娘を過度に甘やかす、典型的な駄目父である。
「そんなこと言わないで。ね。今日はこれから、王宮にお邪魔しに行くんだから、ちゃんと食べなきゃ道中お腹が空いちゃうよ?」
「……平気」
「ほ、ほんとに? パパ心配だな……エマがお腹を空かせてるって考えただけで、胃が痛くなってくるよ……」
「………」
「あ、そうだ、サンドイッチでも用意してもらおうか! 王都までの道に景色のいいところがあるし、そこで──」
──ガシャン!
「しつこい……!」
エマはテーブルの上に用意されたばかりの紅茶を、床へと払い落した。
食器の割れるけたたましい音が響いて、流石のレオンもしょんぼりと騒がしかった口を閉じた。
エマは、ふんと鼻を鳴らし立ち上がる。
「エ、エマ…? どこ行くの…?」
「外で時間つぶしてるから、出発まで声かけないで」
言うが早いか、エマは小さな歩幅で、しかし態度は大きく、通りすがる使用人を横目で睨みつけたりしながら、さっさと屋敷を出て行った。
今日ばかりは敷地の外までの長い距離を鬱陶しく思う。
驚く使用人に見向きもせずに屋敷の門を抜けた。
『あんまり遠くに行かないで~!』
そんな父親からの幻聴がきこえた気がして、ブスッと顔を歪める。
あんなヒョロヒョロしたのが公爵だなんていうんだから、世も末だ。
そんな父の爵位に胡坐をかいてふんぞり返っている身でありながら、エマは心の中で盛大に毒付いた。
屋敷を抜けて少し歩いたところにある草原の草花を踏み荒らし、イライラを消化させる。
エマお嬢様は癇癪持ち。大人ぶった小娘。
自分が使用人の間でそんな風に噂されていることを知っている。
子供ながらに傷付いたし、子供らしくわがままを通して使用人を総入れ替えしたこともあった。
何もかもに腹が立つ。
母が死んでから急に優しくなった父にも、ずっと何かが引っかかっているような気持ち悪さにも、馬鹿みたいな自分自身にも。
足元で潰れていく花たち。
散り広がる花びらも鬱陶しくて、更に踏みつけた。
「や、やめて…!」
突如として聞こえた知らぬ声に、伏せていた顔を上げれば、肩を震わせ瞳に涙を溜めたエマよりもいくつか小さいだろう少女がいた。
豪奢なドレスを纏っているエマと比べれば、小汚く見えるほど質素な身なりをしている。近くの町の人間だろう。
花籠を持った気弱そうな少女だ。
そんな少女が一体何の用なのか。何が「やめて」なのか。
視線を追って、エマは気付く。
足元でグシャグシャになっている花が気になったのか。
一瞥してから、なんとなく、片足を上げてみせた。
「やめてってば!」
少女は叫び、エマに向かって体ごと飛び込んだ。
受け止めきれず尻餅を着いたエマの上に倒れ込む少女。
「……花を守る為なら人に無礼を働いてもいいの?」
心底疑問そうに、エマは小首を傾げた。
「ぇ……ち、ちが…だって……」
「どいてくださいますか」
冷ややかに言い放たれ、委縮した少女は動くことができなかった。わざとらしく溜め息を吐いたエマは、無理やり少女の体を押しのけ、立ち上がる。
倒れ込んだままの少女を見下ろし、
「あなたのせいで、もっとひどいことになってしまいましたね」
先程の騒動で折れた花を足先で突いた。
「わたしのドレスも台無しです」
言えば、ビクリと肩を震わせる少女。
瞳からは大粒の涙が零れ始めた。
そんな少女の姿にエマは「恥ずかしくないのかな」と思う。
人前でボロボロ泣いて、弱みを見せて、馬鹿みたいだ。
そう冷めた思いで見下ろしていれば、頭に衝撃が走った。
ズッシリとしていて、痛いような、痛くないような、何なら、グシャリと鳴った音が一番気持ちが悪い。
触れば、手にはべっとりと──泥が付いた。
「ルーシーをいじめるな!」
現れた少年は少女に駆け寄り、エマを睨みつけた。
少年が投げた泥だんごが、エマの顔を伝いながら地面へと落ちる。
それによって花がまたひとつ潰れる。
──あなたたちだって同じようなことをしてるのに。
「あっちいけ! 魔女め!」
魔女。
そう呼ばれたエマは、瞳を薄く細めた。
暖かだった春の風が、一瞬で刺すような冷たい空気に変わる。
エマの足元に横たわっている草花が霜を纏い、次第に凍り付いていく。
少年たちの瞳には恐怖がありありと浮かんでいた。
震える体で少女を庇うように抱き締めている。
さて泥のお返しをしなくては、と思ったが、どうにもこびりついた泥が気持ち悪くて、仕返しを考えるよりも先にお風呂に入りたくなった。
──もういいや。
エマは屋敷へと足を向けた。
少年の胸で慰められる少女。
二人の顔をしっかり覚えて、各々の家族も含めて報復してやろうと心の中で思う。
何となく、自分は一生、こういう人生を歩んでいくんだろうなと、漠然と思った。
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