11 / 39
春の空の下
しおりを挟むびゅんと吹いた風が頁を次々と捲った。ペンは転がり、髪は広がり、体は一瞬ふわりと浮いたように錯覚した。
四季のあるウィレニア王国に、春の風が舞い込んでいる。
何ページ目だったっけ……と、エマが難しい顔で本を開き直す中、カンカン、と木剣がぶつかり合う音が響いていた。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカン
建築場じゃないんだから、と嘆息する。
強弱や波はあるものの一定的に騒がしく立つ音。
それが、突風によって集中が切れたエマの耳に煩わしく刺さった。
伏せていた顔を上げる。
清涼な深い青の瞳が、目の前の騒がしさの元凶である男二人を見やる。
すぅ、と息を吸って、
「そこまでぇ~!」
最近やっと言い慣れてきた制止の言葉を掛ける。
ピタリと止まったユーリとリュカは、その後二人同時に地面に座り込んだ。
「止めてくれないから、一生泥試合が続くのかと思った……」
「流石にバテました……剣術縛りじゃ簡単にはユーリには勝ち越せねぇすね」
「縛り外したら僕は魔法使うしかなくなるね……」
「それはもう稽古の域を越えちゃいますねえ……」
勝負の後の語らいもいいが、
「《水雫》」
「「わぶっ!」」
「《乾燥》」
「「ぶわぁ!」」
たぷん、と二人の頭上にたっぷりの水を落とし、すぐさま乾燥させた。いつもはちゃっちゃと湯浴みに行くのに、今日はいつも以上にバテているようで、二人がなかなか動き出さなかったからである。
「お疲れ様」
「エマ、本当に労るつもりある……?」
「? 勿論あるよ。お疲れ様」
言いながら手を伸ばせば、ユーリは一度肩を竦めてからエマの手を取って立ち上がった。
そのやり取りをぼけっと見ていたリュカにも手を差し出す。
「あー……どーも」
相変わらずだが、こうして手を取り合えるくらいまでの仲にはなった。
そういえば、『見習い』なんて言ってたのはどうなったんだっけ、と思うが、別に気にする必要もないかと考えを取っ払った。
エマ・ルソーネ、十四歳。
残念ながら攻略対象達との関係は、この通り緩く継続中である。
/
未だ変わらずエマは王宮書庫に住み着いた虫であった。
一年前から魔法学園に通い始め、また違った環境で教養を深めているところではあるが、ぶっちゃけると殆ど知っていることばかりだった。
まあ復習は大事だ、と真面目に授業を受けているエマではあるが、少しばかり退屈である。
ユーリとクラスは違い、それは別に良いのだが、これといって話せる友人も出来ていない。
公爵家の娘だから、ユーリの婚約者だから、そんな理由で周りはちやほやと持てはやしてはくれるが、あまり気遣わせるのも気が引けるので、エマは一人ぼんやりとした日々を過ごしている。
わりと、心地が良い。
こういうゆったりとした日々が続けばいいと、エマは幸せそうに殆ど引き篭りのような生活をしている。
学園にいても教室でポケー…っとしていたり図書室にいたり、王宮に来たと思えば書庫に篭り、お茶をするにも庭園に出ることはなくなった。
元々運動嫌いなエマである。完全に日光とは無縁の毎日。
ある日、そんなインドアを極めきっているエマに『不健康すぎる』とユーリが冷ややかに言い放ったのだ。
『しまいには苔でも生えそうだよね』
と、嘲笑まで受けた。
二人の間に微妙な、冷戦のような空気が流れ、リュカは「勘弁してくださいよ~」とげっそり顔を浮かべていた。
しかし元々ユーリの好意に甘える形で書庫を利用していた為、こうなってしまうと大きく抗議はできなかった。それに、やっと関係が絶たれる時が来たかな、なんてことも考えた。
若干の寂しさはあれど、これでもうユーリからの呼び出し封書が届くこともないのだと思うとホッとする。
上手くいけば早い段階で婚約解消が叶うのでは、とまで思った。
しかし、そう簡単にいくわけもなく。
書庫利用禁止令を出されたくなければ、自分たちの稽古に付き合うこと、あと、時々庭園で一緒にお茶をすること、という条件が課せられ、未だ定期的に会うことを余儀なくされている。
稽古に付き合うといっても、見ているだけだ。
なんなら読書をしながらなので、殆ど見てもいない。
しかし、ユーリから課せられた任は厳密に言えば「光合成しなさい」だったので、これでいいらしい。
自分は葉緑体を持たないから光合成は……と真面目に答えるエマの頬をユーリが黒い笑顔で引っ張るなんて事態が起きたが、「わかった」と答えた時の満足気な表情が可愛らしかったので、機嫌が直ったならよかったかな、なんてエマは思った。
可愛い┄┄とはいえ、十歳当時ほどではない。恐るべし成長期、身長は伸び、顔つきもやや凛々しくなり、かっこいいの要素が大いに追加された。男子三日会わざれば刮目してみよとは、まさにこの事である。
リュカも同じく。ぐんぐん成長する二人に、身長を伸び悩んでいるエマとしては面白くないところがあった。
ゲーム内でのエマは高いヒールを履いて、どこか女王的圧を放っていたせいか大きく見えたが、実際のところそうでもなかったのかもしれない。詳細なプロフィールは知らないので、自分がどのくらいの身長に到達できるのかわからない。
でも折角なので、スラリと高い視線を味わってみたいのだ。
「いいなあ」
「なにが?」
エマの独り言に、修練服からいつも通りの小綺麗な格好に着替えてきたユーリが背後から覗き込みながら問う。
ずっと前から思っているが、この男、距離が違いのである。
フェリクスのことを『悪い大人』なんて称していたのは懐かしいが、自分も人の事を言えないような無自覚タラシに育っているぞ、と注意を入れてやりたい。
「……二人は大きくていいなって」
「エマ、大きくなりたいの?」
「うん。かっこいい感じの女の人になりたい」
「「ははは」」
何故そこで二人して乾いた笑いを上げる。
エマが怪訝そうに二人を見上げれば、
「まあ、目指せ平均ってとこじゃないですかね」
「日に日に丸くなってるせいで、事実以上に小さく見えるしね」
と、そんなこと言うので、
「ふ、太ったってこと!?」
エマは青ざめながら声を荒げる。
愕然としている彼女に、二人は今度は可笑しそうに笑った。
「どうだろうね。ま、運動不足なのは確かなんじゃない?」
「それは否定できないけど……」
食事は気を付けてるつもりなのに……と落ち込むエマに、寝食を忘れて篭るのは節制とは程遠いぞ、と思う二人である。
「じゃあ少し運動しない?」
「? さっきしてたのに」
「エマもできるやつ。僕とエマは逃げる役で、狩人はリュカ。捕まったら負け。どう?」
「いや俺まで巻き込まんでくださいよ」
「制限時間は日暮れ前までね」
聞いちゃいねえ、とリュカは肩を落とした。
言い出したら聞かないのだとわかっているようで、さっさと諦め「範囲は?」と溜め息交じりに問うリュカ。
「んー、じゃあセレス城全域」
いや広、とエマがツッコむより先に、リュカが「いいすよ」なんていうのでギョッとした。
「いいの?」
どこかの本棚の隅にいるだけで時間までやり過ごせてしまうのではないかと思う。
「何度かやったことありますけど、俺の全勝なんですよ」
得意げに言うので、エマは素直に感心した。
それは凄い。ますます犬っぽい、なんて思ったのは秘密である。
「アンタなんか直ぐ狩っちまいますよ」
「や、やるからには私も負けないよ……!」
犬というより狼だった。
もう立って並んでいても見上げなくてはならない差があるが、エマは負けじと鼻を鳴らしてリュカと向き合った。
正々堂々と、この男を負かしてやるいいチャンスだと思った。
「いつもは三十秒だけど、エマには二分あげてもいい?」
「はい」
初っ端からハンデを貰ってしまったが、逃げ潜む前に見つかってしまうと元も子もないので甘んじて受けておく。
「じゃ、エマ、準備はいい? 捕まったら死ぬと思って逃げるんだよ」
「いや、重くない……?」
「それくらい気合入れなきゃ勝てないってこと」
┄┄それはまあそうかもしれないけど……
捕まったら、死。そう思うと何だか無駄に緊張してきた。
「では、よーい、スタート!」
パン、とユーリが手を叩いたのと同時に、一度ビクリと鈍くさく体を揺らしてから、エマはパタパタと場内へと駆けて行った。
足取りは決して軽やかなものでなく、危なっかしいほど覚束無い駆け足だ。
「もう付き合いも長いけど、エマが走ってるのとか初めて見るね」
「たしかに」
チッチッと二人の体内時計が秒を刻む。
「┄┄じゃあ、僕も行こうかな」
「精々遠くまで逃げてください」
「わーすごい自信だ」
「そりゃね、負ける気はないっす」
「負けず嫌いの集まりだね、僕ら」
じゃ、と軽く手を上げてから今度はユーリが駆けだした。
エマとは違い、あっという間に消えていく背中を見送って、リュカは大人しく時間を数える。
──……三十秒、きっかし。
リュカはぐっと伸びをしてから、場内へと足を向けた。
70
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
あなたを忘れる魔法があれば
美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
【完結】悪役令嬢な私が、あなたのためにできること
夕立悠理
恋愛
──これから、よろしくね。ソフィア嬢。
そう言う貴方の瞳には、間違いなく絶望が、映っていた。
女神の使いに選ばれた男女は夫婦となる。
誰よりも恋し合う二人に、また、その二人がいる国に女神は加護を与えるのだ。
ソフィアには、好きな人がいる。公爵子息のリッカルドだ。
けれど、リッカルドには、好きな人がいた。侯爵令嬢のメリアだ。二人はどこからどうみてもお似合いで、その二人が女神の使いに選ばれると皆信じていた。
けれど、女神は告げた。
女神の使いを、リッカルドとソフィアにする、と。
ソフィアはその瞬間、一組の恋人を引き裂くお邪魔虫になってしまう。
リッカルドとソフィアは女神の加護をもらうべく、夫婦になり──けれど、その生活に耐えられなくなったリッカルドはメリアと心中する。
そのことにショックを受けたソフィアは悪魔と契約する。そして、その翌日。ソフィアがリッカルドに恋をした、学園の入学式に戻っていた。
死に戻りの悪役令嬢は、今世は復讐を完遂する。
乞食
恋愛
メディチ家の公爵令嬢プリシラは、かつて誰からも愛される少女だった。しかし、数年前のある事件をきっかけに周囲の人間に虐げられるようになってしまった。
唯一の心の支えは、プリシラを慕う義妹であるロザリーだけ。
だがある日、プリシラは異母妹を苛めていた罪で断罪されてしまう。
プリシラは処刑の日の前日、牢屋を訪れたロザリーに無実の証言を願い出るが、彼女は高らかに笑いながらこう言った。
「ぜーんぶ私が仕組んだことよ!!」
唯一信頼していた義妹に裏切られていたことを知り、プリシラは深い悲しみのまま処刑された。
──はずだった。
目が覚めるとプリシラは、三年前のロザリーがメディチ家に引き取られる前日に、なぜか時間が巻き戻っていて──。
逆行した世界で、プリシラは義妹と、自分を虐げていた人々に復讐することを誓う。
【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ
【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる