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月の下
村を出て、その先に広がる森まで、リュカは一直線に走った。
木々の隙間を縫いながら川辺に辿り着いたところで、やっと足を止める。
フル稼働させていた身体強化の魔法を解き、ゆっくりと膝を地につけた。
荒い息を整えながら、担いでいたものがあまりに静かなものだから心配になり、そっと包装を解くように外套を取れば、記憶よりもまた小さくなったような萎れた幼馴染みが顔を出す。
「……おばあちゃん、が……」
「──はい?」
「あの家の、おばあちゃん…逃げられた、かな……」
それなりに劇的な再会だというのに、まず口にしたのはそんなこと。
しかしそれもエマらしいなとリュカは息を吐いた。
「言いたいことは山程あるんですけど──まず、あの村は超過激な反魔信仰の村です。あの火事はアンタを焼くために故意的に起こされたもので、そのおばあちゃんとやらは今頃ピンピンしてるでしょうね」
「そ、そう…なんだ……」
「なんでわざわざそんなとこに入ってっちゃうんですか? 馬鹿ですか? 馬鹿ですよね、昔っからアンタは危機感ってもんが足りないんですよ」
「ぅ…」
「つーか、そんな奴の心配より自分の心配を先にしてくれませんか。そんなだから騙されるんでしょうが。人が良すぎるっつーか、簡単に相手を信用し過ぎ──」
「ぅぅーー……」
説教の雨にエマは耳を覆って小さく蹲った。
そんな反応にリュカは、しまった、と固まる。
とんでもない別れ方をして、心配で仕方なかった相手が、やっと見つけたと思えば死にかけていて、だというのに自分のことより他人の心配なんかをしていて、彼からすればもう堪ったものではないのだ。
あれやこれやと言いたい事が爆発寸前なのだが、とりあえず頭を落ち着けて、川の水で濡らした布をキツく絞った。
「怪我、無いですか。火傷とか…」
言いながら、エマの顔に貼り付いた煤を拭う。
「……へいき」
大人しくされるがままになるエマだが、心境は複雑である。
「……リュカは、魔女討伐の王命でも受けて来たの?」
恐る恐る問えば、リュカはそれはもういい笑顔に青筋を立てながら「馬鹿ですか?」と再度言う。
「そんなつもりならあそこで助けないでしょ」
「…燃えカスになったら、証拠が残らないからとか」
「怒りますよ」
「…ぅ……………じゃあ、なんでここに…?」
殺すために追って来たのではないというなら、まるで──
「アンタが迷ったら俺が見つけるって約束でしたよね」
リュカは指の裏でエマの頬を撫でながら言った。
エマは目を見開いたまま、随分と懐かしい話だな、と記憶を漁る。三人で仲良く過ごしていたあの頃が、酷く尊いものに思えた。
「──そっか、そっか……うん…ありがとう…」
俯きがちに、頭の中を整理するように首をこくこくと揺らしながら呟く。
「あれから色々あったんですよ。でもまぁ、アンタが帰れる場所はちゃんと──」
「うん、うん。ありがとう、でももう大丈夫だよ」
エマは伏せていた顔をパッと上げ、にこやかに言った。
は、と声のような息のような反応をしたリュカに向かって「さっきは助けてくれて本当にありがとう」と元気に笑ってみせる。
「約束は十分果たしてもらったから、もういいよ。リュカに言われたことも、これからはちゃんと気を付けていきます」
「いや、なんの話ですか」
「ここでまたバイバイって話」
立ち上がったエマは、背後から月に照らされ今は短くなった濃紺の髪を輝かせた。表情は陰に隠して「最後に会えてよかった」といつもの調子で言う。
じゃあ、とこれまた何でもないように踵を返してリュカから離れようとしたエマだが、腕を引かれて「はわっ!」と思わず間抜けな声が上がる。
口を、ム、とへの字に曲げて振り返った。
「なに」
「いや、そんな話聞けるわけないし、それにアンタ、ろくでもないこと考えてませんか」
リュカの金の瞳が、射抜くようにエマを見つめた。
居心地が悪く、視線を流しながら、考えてない、と乱暴に答えるが、相変わらず嘘が下手だと返された。
「悪い事とかしないよ」
「そんなの疑ってもないです」
「じゃあ、ほっといてくれていいから。迷惑かけないようにする。私できるよ。ずっとずっと、出来る限りそうしたいって生きてたんだから」
「はい、わかってますよ。アンタはいい子ですから」
そう真っ直ぐに言われ、エマは少し怯んだ。
身を引こうとするが、手を掴む力が強くて思うようにいかない。
「嘘、嘘だよ。どうせ、私みたいなの、どうしようもないって思ってる」
「それ、アンタが自分で思ってるんじゃないですか?」
ガリ、とエマは自分の唇に歯を立てた。
誰かとこんなに話したのは久しぶりだからか、胸がざわざわして、落ち着かない。触れている場所が嫌に熱かった。
「ちがう、いい子って、あの子みたいな子のこと言うの。私に言ったって皮肉にしかならないんだよ」
「なんか会わない間に卑屈になりましたね」
困った風に笑うリュカに、エマはカッと頭に血が上る。
そんなことは言われなくても自分が一番わかっている。元々、自分は卑屈で、根暗で、だから静かに閉じ籠ってさえいれればよかったのに。
「そう、昔から私はこんなだよ、湿っぽくて、汚らしい、一人がお似合いの魔女なの!」
だからもう放っておいてくれと、エマは精一杯振り絞った声で訴えた。
だというのに、リュカは一向に手を離すこともせず、じっとエマを見上げている。
ブンブンと振っても、びくともしない。
魔法で切り落とす事だってできるんだぞと脅してみても、いいですよ、と平然と返す。
そうして、ぐぬぬ、と唸るエマに、
「他に言いたい事とかあったら、全部言ってください」
なんて言うのだ。
言いたい事。そんなもの、言い出したらキリが無い。
好きでこんな風に生まれたんじゃない。幼い頃から差別対象になる事にビクビクして、自己嫌悪は止まず、やることなす事上手くいかない。
夢見は悪く、世界にも嫌われて、どうせ自分は破滅するためだけに生まれて来たんだと、そう思い知らされて。
夢も持つだけ無駄だった。自分はどこかズレていて、大切な人には迷惑をかける。
正しく生きたいのに、そうさせてくれない周りが許せない。自分は悪くない。自分のせいじゃない。思えば思うほど自分自身が恐ろしくなる。
憎くて怖くて辛くて痛い。
それでもただ、生きていたかった。
自分の生まれた意味が誰かの歯車としてではなく、ちゃんと自分のためにあるのだと、生きて証明したかった。
──でも、
「一人じゃ、なんの、意味もない……」
目の奥と喉が焼けるように熱くて、頭がクラクラする。
視界がぼやける。
吐く息も熱くて、自分のものじゃないのではと思う。
口元が震えて上手く声が出ない。
さびしい、そう紡いだ言葉はほとんど音にならなかった。
代わりに、ひ、としゃっくりが上がり、ゆっくりと流れる川の水音と、それだけが、静まり返る森の中に響いた。
「──よかった。ちゃんと泣けましたね」
リュカにそう言われ、エマは呆けた。
首を傾げれば、エマの手を掴んだまま立ち上がったリュカが、頬を拭うように優しく撫でた。
「アンタってすぐ平気そうに笑うから、心配通り越して虚しくなるところでしたよ」
何拍か、じっくりと間を置いてから、エマは自身の涙を自覚した。
自覚ついでに、堰を切ったようにボロボロと溢れ出し、慌てて空いている方の手で目元を隠した。
「ぅ、ひ、ぅ……っ…」
遂には声まで漏れ始めるのだから、エマの脳内はパニックだった。
これは、どうやったらおさまるんだ。
感情を覚えたてのロボットのようなことを考えながら、止まらない涙を強引に拭う。
しかし、拭っても拭っても溢れる。
「み、みな、みないっ、でぇ……」
子ども地味た声を上げながら泣くエマの背を、リュカは落ち着かせるように撫でる──が、やめろ、見るな、離れろ、見るな、と珍しく語調を強めて拒否され、新鮮な反応が興味深くも感じる。
「はいはい、見ませんよ」
「ぅぐ」
閉じ込めるように抱き締められ、エマはその腕の中で潰れた声を上げた。
嫌になるほど暖かく、悲しいほどに安心できて、やはり溢れる涙は止まらない。
「ぅ、ぅ゛ぅ゛~~……」
なんとか引っ込めようと力を込めるが、余計に頭が熱くなるだけだった。
「……俺しかいないし、好きに泣いてよくないですか」
「だ、ひっ、ぅ……だ、め……なのぉ……」
「はぁ……」
頭の上で吐かれた溜め息に、エマはピクリと体を揺らした。
情けない姿を晒す女に辟易しているのだろう。
エマはそんな自分の思考にまで追い詰められて、また涙が溢れるという悪循環に陥った。
そうしてぷるぷると震えるエマに、
「あーあーちょっと、誤解しないでください。さっきのはこう、ちょっとこの空気にそぐわない率直な感想を逃す為の息というか」
「?」
「……えっと。アンタ、自分のことに関しては死ぬほど鈍感なんでストレートに言いますけど、俺はアンタならわりと、なんでも大丈夫なんで」
「…?」
「魔女だろうが何だろうが、泣き虫だろうが卑屈屋だろうが、頑固だろうが強がりだろうが、なんだっていいって言ってんですよ」
なにか、大事なことを言われているような気がする。
そう思うと涙は流れるのを忘れ、耳は自然と彼の方を向いた。
「エマがエマなら、それだけでいいんで」
その言葉に、息が止まった。
息どころか思考も、血の巡りも、時間さえも止まったような気になって、エマは立ち尽くした。
身体中から力が抜け自立が困難になる。
しかし、それはリュカが抱き締めながら支えた。
電池が切れたように音も発さなくなったエマに、リュカは流石に心配になって「見るな」と言われた通りにしていた顔を、抱き締める力を緩めて伺った。
「………」
思わず絶句した。
ぐにゃりと力なく頭を垂れたエマは気絶に近い状態で──寝入っていた。
何という締まらなさ──しかし逆にそれが安堵を呼ぶ。
「まぁ…そりゃ疲れましたよねぇ」
リュカは一つ息を吐いてから、貴重なほど大人しいエマを横抱きにして、ゆっくりと森の先へと歩き出した。
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