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朝の森
目が覚めた時、全身の重だるさに気が滅入りそうになった。
起き上がりたくない、このままずっと眠っていたい、現実逃避のようにそんなことを思う。
まだ寝惚けたまま寝返りをうてば、くしゃりと音が鳴り、枯れ葉の山と薄い毛布のベッドの上に自分が寝ていることが分かった。
上に掛けられているのは昨夜もお世話になった外套で、ぎゅっと包まれば少し煙たさが残っているが、確かに彼の香りがする。
体を丸めて、スンスンとそれを嗅ぎながら、もうひと眠りと微睡んでいれば、
「エマ、起きてます?」
背中側から、ひょいと覗き込まれた。
「~~~~~~っっっ!!」
少しの間があり、完全覚醒まで意識が強引に引っ張られたエマは跳び上がった。
後退りながら、奇妙な、声とも言えぬ音を上げる。
頭から外套を被って、大木の根元にめり込むほど背を預けた。
「おはようございます」
「ぉ、はよ……?」
わけもわからないまま疑問形で返せば、小さく笑われた。
「それ、気に入ったんならあげますよ」
「え」
それ、とは。
リュカの指先を追って、外套を指しているのだと理解する。
エマが頭から被り、前合わせを至極大切そうに握り込んでいるものだ。
慌てて自身から剥ぎ取り、仰々しく頭を下げながら差し出した。
「お、お世話になりました……」
「いーえ」
あっさりと受け取ったリュカが「顔洗ってきたら」というので、エマはゆっくりと起き上がり、言われるがまま小川に向かった。
水面に映った顔は、それはもう酷いものだった。
腫れ上がった瞼を氷で冷やして、なんとかマシになったころに彼の元へと戻れば、リュカは熟練旅人のような貫録を背中に表しながら、缶スープを煮込んでいた。
鞄の中からアルミ造りのカップを取り出し、小鍋から手際よく注ぎ入れる。
その後、思い出したかのようスプーン二本も引っ張り出してくる。
こじんまりとした巾着鞄だが、見かけ以上に大容量の魔道具で、恐らく鍋や何やらもあそこに詰まっていたんだろう。
少し離れたところから一連を眺めていたエマを、リュカは「なにコソコソしてんですか」と早く来るように呼ぶ。
借りてきた猫のように落ち着かないでいるエマは、手渡されたカップをおずおずと受け取ってから、少し距離を取って隣に座った。
「アンタ痩せすぎです。ちゃんと食べてました?」
「食べてたよ…言っとくけど、狩りも、捌くのもお手の物の野生系になってるから…」
「それはそれは、逞しいことで」
「………」
──気まずい。
散々泣き喚いておいて、途中から記憶がないことを考えるに、きっと自分は寝落ちたのだ。
恥ずかしいやら情けないやらで、もう消えてしまいたい。
というのに、両手で握ったカップは温かく、ちびちびと口を付けているスープは身に染みるほど美味しくて、生きてる、なんて思ってしまう。
それに──…
ちらりと横目でリュカを盗み見る。
(いる…)
もう一生会うことのないと思っていた友人が、何故だか今、隣にいる。
いや、何故、なんてエマも流石にわかっていた。
彼は自分のためにここまで来てくれたらしい、そう改めて思うと、嬉しさや申し訳なさなんかで、よくわからない気持ちになる。
エマは腕を伸ばして、リュカの腕にそっと指先を当ててみた。やはり、幻覚でもないのだ。
「なんですか」
じっとりと訝しげな視線を向けられ「いや、幻覚じゃないかと」と素直に答えるエマに、リュカは苦々しい表情で、わざとらしく長~いため息を吐く。
そしてエマの手を取って、手のひらを合わせ、指を絡めて握り込んだ。
「いますよ、ちゃんと」
きゅっと握る力を強くして幼い子どもに言い聞かせるように言うリュカに、エマはもごもごと言葉を濁しながら視線を逸らした。それは確かに、伝え難い言葉を言いよどむ子どものような反応ではあった。
小声で何やら言っているエマに、リュカは「はい?」と耳を近付けた。
エマは若干たじろぎながらも、
「ご、ごめん…なさい……」
「……なんの謝罪ですか? 話聞かないでさっさと立ち去ろうとしたこと? それとも、頼ってもくれないで一人で消えたことですか?」
「リュ、リュカ、怒ってる…?」
「怒ってませんよ。純粋に疑問なだけで」
リュカは持ち上げていた手を下ろして──しかし絡めた指はそのままにして──カップを片手でくるくると回しながら「そもそも謝るのは俺の方だし」と呟いた。
「アンタが謝るようなことってあります?」
「あ、あるよ、むしろありすぎるよ…まずこんなところまで来てもらって、助けてもらって、いっぱい迷惑掛けたし…あと、あの日手を怪我させちゃったことも──ずっと一緒にいたのに……わ、わたしが、人とは、違うって…言ってなかったこと、とかも……」
尻すぼみになっていく言葉を、リュカは聞き逃さないように慎重に拾った。そして、当時よりは納まった、事の発端に対する怒りなんかがじわりと思い出されてくる。
「手は大丈夫です。てかアンタのせいじゃないし。追いかけるのは多少骨が折れましたが、まぁ結果良ければ、ってやつです。で、アンタ自身のことは、言えないのが当たり前でしょ。べつに騙されてたとか思いませんよ。あんな目に遭うような話、ほいほい口に出す方が心配になります。若干の寂しさはありますけど、それはこっちの落ち度です」
「ね、ねぇリュカ、やっぱり怒ってる…?」
「……アンタにじゃなくて、アンタをよく知りもしないくせに騒ぎ立てる外野には怒ってますね。あと不甲斐ない自分にも──」
言いながら、思い出したようにハッとしたリュカは、再びエマの手を持ち上げてまじまじと観察した。
空になったカップを放らせて、無理やりとった両手を触り回った後、戸惑うエマを無視して袖を捲り上げる。
以前までの目に見えて育ちの良さそうな装いとは違い、今は少し草臥れたシャツにロング丈のスカート、硬いブーツという質素な格好のエマである。
不格好すぎただろうか、とエマがズレた思考を働かせているうちに、リュカの手がシャツの襟元へと辿り着き、器用に片手でボタンを外した。
ギョッとして、第二ボタンへ続こうとする手を掴む。
「ままま、待って、待って待って!」
至極真剣な眼差しのリュカが怖いくらいに前のめりで、後ろにひっくり返りそうになのを無い腹筋を駆使してなんとか堪える。
「なんですか」
なんですかってなんですか。
制止をかけられ煩わしそうに眉間に皺を寄せたリュカに、エマは「いやいやいやいや」と冷や汗を流す。
「な、なに…?」
「は? なにって┄┄」
そこで初めて自分の行動の無茶苦茶さに気付いたのか、リュカはビシリと音を立てて固まった。
その後一気に真っ赤になったかと思えば、すぐさま真っ青になるので少し心配になる。
ここまで百面相している彼を見るのは初めてかもしれない。
「リュ、リュカ?」
恐々と名を呼べば、弾かれたように身を引いたリュカが地面にめり込むほどの勢いで頭を下げた。
すみませんすみませんと連呼しながら、額をガンガンと地面に叩き付けるものだから慌てて止める。
「どどどどうしたの、やめなよ!」
「まじですんません殴ってもらっていいですか百回くらい」
「や、やだよ…顔上げてよ…」
先ほどからリュカの行動が一切理解できないエマは狼狽しながらも、無理やり彼の上体を起こさせる。
すると見事に額からドバドバと血が。
「ギャー!」とエマは悲鳴を上げながら治癒を施す羽目になった。
急ぎ傷を塞いで、綺麗になった額を「もうこんなことはするなよ」の意を込めて軽く指で弾けば、リュカは額を数回撫でてから顔を上げた。
「──痣、治ったんですか…?」
無駄に精神的に疲弊させられたエマだが、そんな小さな問いかけに、ああ、なるほど、と思った。
聖魔力に触れることにより蝕まれていた肌などは、今ではすっかり良くなった。痛みも無いので、ぐっぱと手を握って開いてして見せる。もう何ともない。
リュカは安堵の息を吐き、そして少し悩んだ後、口を開く。
「クローデルさん、相当へこんでましたよ」
「あー……」
「今はそっちの魔法研究に分野を移して頑張ってるみたいです」
彼女にも悪いことをしてしまったな、とエマは思う。
そうして彼女の顔を思い浮かべたとき、途端に現実に引き戻されたような気になった。
そうだ、彼をこんな場所に引き留めておくわけにはいかないのだ、と。
「みんな、アンタのこと心配してます」
「……」
「だから、帰りましょう」
「…………無理だよ…居場所もないし」
視線を落として所在無さげに指先を弄ぶエマに、リュカは一度深く呼吸をしてから「大丈夫です」と努めて柔らかく言った。
なにが大丈夫なもんか、そう思っているのがバレたのか、
「遅くなりましたけど、腰据えて話しましょうか」
リュカはそう言って、胡座をかいた膝を静かに撫でた。
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