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しおりを挟む「あらあら、私に婚約者がいる事を知っていて、横恋慕したのね。紳士としては、あまり良くないんじゃない?」
「構うものか。真実の愛は、なにものにも負けないのだ」
「まあ、こんなことだけど、初めて嘘じゃないことを言ったわけね。私が睡眠薬にやられたフリをしているときに、貴方に顔中を舐められてなんとも思わなかったとでも? あのおぞましい行為。思い出しただけで鳥肌が立つわ。それに、あなたの性癖って耳の中なの? 唇にキスされなかったのは安心したけど、耳の中が涎でべとべとになって最悪だったんだから。このクソど変態野郎」
「!」
私は、黙って立ち上がっていた。全身が、怒りで総毛だっている。さきほどまでの動揺はどこかへ消え去り、目の前の二人にゆっくりと近付いていく。
「あのまま、現場の近くを大騒ぎした集団が通らなかったら、最後までされてしまっていたのかと思うと、今でもゾッとするわ。かといって、抵抗したりしたら、折角ここまでやってきたものが全て水の泡だものねぇ。わざわざ汽車を乗り継いだ場所で飲み会を開き、タイミングよく騒ぎながら通りかかってくれた普段着の市警の皆さんには、感謝してもしきれないわ」
「紳士である私がそんなことをするか! 侮辱するのもいい加減にしたまえ!」
「したじゃないの。私の耳をぺろぺろ舐める合間に、泣きそうな声で言ってたじゃないの。『きみが悪いんだ。私を疑うから。こんなに愛してるのに、酷いよ、シャル』って。私の聞き間違いだったのかしら? 親しくもない相手に愛称で呼ばれて気持ち悪くて仕方なかったわ。それにしても、会ったのは初めてだったのに、何故そんなに他人を愛することが出来るの? 『酷いよぉ、こんなに愛してるの……』」
「やめろ!」
男がシャルロットに手を伸ばす。その手が届く前に、私の足が男の横腹を蹴りつけていた。嫌な音が響き、男はそのまま横倒しになった。カツンという音がして、男の白衣から小さな赤いものが飛び出てくる。血のついた、赤い宝石の指輪だ。男は舌打すると慌ててそれを手に納めた。その様子をじっと見詰めていたシャルロットが、真面目な顔で口を開く。
「ある一族の直系に伝わってきた、ブラックオパール。しかも、レッドオンブラックという、大変高価な石」
シャルロットの言葉に、男が上半身を起こした。険しい顔をこちらに向けて、忌々しげに息をついている。
「…………それが?」
「それが、今貴方が手の中に持っている指輪よね。私は、その指輪を連続殺害事件の被害者の手の中から発見した。そして、それを部屋に置いたまま、貴方との約束の場所へ向かったわ。当然、宝石の鑑定を頼んだのだから、私が指輪を持っていると思っていたでしょうね。それにしたって、私が自分を疑っていることには気付いていたのに、何故指輪を持って来ていると思ったの? 不思議な話だわ。鞄の中からそれを発見できなかった貴方は、焦ったように私の身体を弄った。最初はポケットだったけど、シャツの中に手をいれ、スカートをたくし上げ……くすぐったくてしょうがなかったわ。とてもじゃないけど口に出せないところまで弄られて、何度叫びそうになったか。幸い貴方は、私の身体から指輪を見つけるのを諦めて、殺してしまうことにしたみたいだけどね。……うん? どうしたの、アンソニー」
思わず、シャルロットの腕を掴んでいた。『とてもじゃないけど口に出せないところ』とは一体どこなのか。先ほどから、私の心の中には嫉妬の炎が渦巻き、それを持て余していた。この、美しく可憐で忌々しい私の婚約者に、他人が触れた事実が許せない。しかし、今はそんな事を言っている場合ではなかった。緩慢な動作でなんとかシャルロットの腕を離すと、手の平を上にして話の先を促した。
「いや、なんでもない。続けてくれ」
「……よろしい。さて、夜の闇に紛れるように、貴方は私を駅と駅の中間ぐらいのレールの上まで運び、列車に轢かれるように横たえた。そして私をそのままにして、自分は駅に戻り、汽車に乗り込んだのよね。愛する私の身体がぐちゃぐちゃになるのを見たくなかったのかしら? それとも、自分の乗った列車で私を轢くことに、快感を覚えるタイプだった? まあ、どちらにしても、死亡を確認せずにその場を去ったのは、よくなかったわね。
寝たフリをしていた私は、貴方が去ったのを確認してから、そっと身を起こし、あとをついてきていた巡査達に合図を送ったの。彼らは実に見事に働いてくれたわ。まず、豚を一頭捕まえてきて、睡眠剤を打ち、レールの上に転がした。豚さんには気の毒だったけど、これも事件解決のためよ。貴方の乗った列車は、定刻に駅を出発して、レールの上の豚を轢いた。少し衝撃はあったでしょうけど、列車は脱線もせず、そのまま通り過ぎた。暗かったのと、あの辺はよく動物が飛び込んでくるところなので、運転士もさして気にも留めなかったでしょうね。列車が行ってしまうと我々は急いで豚を動かし、一日以内に死亡が確認された身元不明の轢死体を用意したの。これがまた大変な作業だったのよ。あの日は、朝まで誰も仮眠すらとることが出来なかったわ。一日以内に発見された轢死体で、身元不明で、顔がわからないほど損傷しているものを探すんだもの。そして、それを豚が引きずり殺されていたのと同じ場所に置いておいたの。事件解決のためとはいえ、その死体のかたには大変申し訳ないことをしたわ。あとで丁重に葬ってさしあげる予定よ。
翌日。つまり昨日の早朝ね。汽車運行前に、面白いくらい偶然に死体が発見された。発見者は実は私だったのよ。変装して、作業員のフリをして通報したの。予め打ち合わせをしておいたナンシーがやってきて、嘘の証言をしてくれた。これは、私の遺体に間違いない、とね。現場に報道記者が集まってくる中、注意深く観察していると、変装した貴方を発見したわ。私には変装は通じなくてよ。耳の形や姿勢、小さな仕草のひとつひとつで見分けているんだから。おっと、貴方に好意を持ったせいで判るってわけじゃないから、そこを勘違いしないでよ? 貴方は、スティーブと名乗り、私の信者のように嘆いてみせた。可笑しくてたまらなかったわ、伯爵。自分で私を殺しておいてそんな演技をしている貴方を、殺された筈の私が見ているんだからね。傑作じゃないの。その時、嘆く貴方に声をかけてきた若い女性がいたでしょう? 新人の記者で、自分もシャルロットのファンだったのだと言っていた筈よ。これからは、女性が活躍していく時代で、新聞でも特集を組む予定だったのにと号泣していたわ。実はそこに立っている巡査でね。彼女に裏の情報を流してもらったの。彼女は、いつも女性巡査のフリをして捜査に紛れ込み、情報を得ていると得意気に貴方に語った。今回の事件についても少しはわかっている。フォークレスタ嬢は、誰かと会う約束をしていて、重大な証拠品を飲み込んでから家を出たらしい。もしかしたら、遺体からそれが発見されるかも。解剖の時に立ち会えたら、自分にも事件を解決できるかもしれないってね。貴方は彼女の言動を不審に思った。何故そんな貴重な情報を他の記者に流すのかと疑問を口にしたようね。彼女は答えた。今回は、記者としてよりも、フォークレスタ嬢のファンとして事件を解決できればいい。そのためには、他の記者の力も必要なのだ、と。それを聞いて、貴方は笑顔を見せたらしいわね。自分も熱狂的なファンだから、そういう人物もいるだろうと思い込んだのね。普段だったらその若い巡査は貴方にとって排除すべき相手になっていたかもしれない。ファンは自分だけでいいと常々手紙にも書いてきていたものね。しかし、今回は違った。目の前の、ひとの良さそうな人物は、貴方に素晴らしい情報をくれたんだもの。貴方は、よい情報をありがとうとお礼を言って、彼女と別れた。その後、ナンシー達に迷惑がられながらも、捜査に姿を現すようになった。実際、昨日今日と、よくあれだけ顔を出せたわよねえ。バレンティアの屋敷に入ってきて、アンソニーに皮肉を言ってる時は、思わず笑ってしまったわ。私はすぐに手紙を書いて、ハミルトン警部に渡した。ああ、わからなかった? 寝室にいたのよ。貴方の話を聞いて、ついでにアンソニーが死にそうな顔をしてるって聞いたもので、妙な考えを起こさないように心が軽くなるような内容の手紙を書いたの。貴方のためには、遺体の中に証拠品が残っているという情報を書いたわ。インクの乾きで、そのままでは書かれてすぐの手紙だとわかってしまうから、不審がられないような細工をしてね。まったく余計な手間だったわよ、文字を滲ませつつも、ちゃんと読めるように紙を濡らさなければならなかったんだから。そんな細工が出来る私ってやっぱり天才よね。
さて、手紙の内容を知って、女性記者が教えてくれた情報に誤りがなかったことを確認した貴方は、すぐにこちらに向かい、監察医のふりをして中で我々の到着を待っていたというわけね。さすがに我々が来る前に死体を調べるわけにいかなかっただろうから、ヤキモキしたでしょうねえ。そして、その時は、やってきた。遺体にあらかじめ隠しておいてもらった指輪を見つけると、貴方は我々の眼を盗んで慌ててポケットの中へ仕舞いこんだ。犯人が自分で残した証拠を取り戻しにきたんだもの。自分で自分が犯人ですよと告白してるようなものよね。どうかしら、伯爵、これで間違ってないでしょう?」
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