エリート医師の婚約者は名探偵でトラブルメーカー

香月しを

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 散らかったテーブルの上に、皿と珈琲カップを置いた。妙な液体や、わけのわからない何かの標本に顔を顰めながらの朝食だ。
 私はすっかり帰り支度を解き、上着も脱いでいる。帽子や鞄は、自室に置いてきた。今頃はあるべきところに片付けられている事だろう。

「それで……いつ寮に戻るの?」

 シャルロットはもぐもぐと口を動かしながら、私を横目で見た。
「まだ追い出す気でいるのか? 呆れるな」
「だって。貴方が出て行って、二年よ。私の生活のリズムもようやく落ち着いてきたんだもの。今更、それを元に戻すのは面倒。これはさっきも言ったけど、本音の一部よ。実際、出て行ってしまった貴方の部屋で寝起きしていたわけだしね。それに、やっぱり、緊急の患者さんの事もあるわ。家から通っている医者もいるだろうけど、貴方は今まではそうではなかった。急に勤務体制を変えられるものかしら?」
「……お前は、そういう奴だったよ。じゃあ、もし、私が寮へ戻り、今後は、この二年間のように実家に帰らず、更にこの二ヶ月ばかりのように、お前にはほとんど会うこともなく事件の相談にも乗らない、と言ったら?」
「愛してるだのなんだの都合のいいことを言って、私の身体を弄んだのね、アンソニー。一生怨んでやるわ。と、こんな感じかしら」
「だったら、どうすればいいんだ!」
 シャルロットが笑った。とりあえず落ち着いて食事してちょうだいと言い、皿に残っているサンドウィッチを指差す。時間が経って冷たくなってしまった珈琲を口に含むと、彼女はひとつ咳払いをして口を開いた。
「本音は必ずしもひとつではないわ。貴方が戻ってきたら面倒だと思うのも本音。貴方が戻ってきてくれたらいいのにと思うのも本音よ。貴方と幸せに愛し合っていたいのも嘘じゃないし、誰にも会わずに事件について考えていたい時があるのも嘘じゃない。貴方を愛しているわ、アンソニー。けど、今は混乱してしまって、ちゃんとした決断を下せないのよ。私は元々、色々吟味してからじゃないと決められない性格なの。いつだって、咄嗟の時の決断力は、貴方の方が上だったじゃないの」
「そういえば、そうだった」
「だから、最善の策は、やはりモリーンが提案していた事をするって事じゃないかしら?」
「モリーンの提案?」
「プロポーズは、いつしてくれるのかしら?」
「…………ああ!」
 苦笑しているシャルロットの手を引いた。首を傾げ、引かれるままに腰をあげ、私の傍に来る。更に引くと、私の上に倒れかかってきた。後ろから抱き締めるように膝の上に座らせると、シャルロットは小さく溜息をついた。
「なあに? 誤魔化しているの?」
「なあ、さっき、モリーンとハグしただろう」
「……いやだわ、あんなことにも嫉妬するの?」
「どんなことにも嫉妬する。例えば、依頼人の連れてきた犬がお前の手を舐めたら、即刻つまみ出すだろうな」
「そこまで嫉妬深いとは知らなかったわ……」
「お前は危なっかしいから、ほんの些細な事でも気になってしまうんだ。だから、私が嫉妬深いのは、お前に関してだけだから安心してくれ」
「それを聞いて、本人が安心できるわけがないでしょうに」
 目を半眼にして、唇を尖らせている。私は微笑んで、鼻にキスをした。逃げるように顔を前に向けてしまったシャルロットの項に吸い付く。声をあげて逃げようとするが、ガッチリ抱き締めて許さなかった。
「本当はもっとイチャイチャしていたいが……あのクソ親父が覗きにくるといけないから、そろそろ離れよう」
「……貴方が勝手にイチャイチャしていただけでしょう……。私は朝から盛るほど破廉恥じゃないわよ」
「あのな、一人じゃイチャイチャできないんだ。鈍感女でもそれぐらいわかるだろう?」
「鈍感はどっちよ!」

 後ろから抱きしめたまま、手の平をシャルロットの顔の前に差し出す。なあにと平坦な声を出す婚約者のこめかみに掠めるようなキスをおとした。
「さあ、私に例の小箱を返してもらおうか」
「例の小箱? なんの事かしら」
「お前の、不自然に膨らんでいるスカートのポケットの中に入っている、二か月前に私から受け取った小さな箱の事だよ」
「…………」
「ん? 持っているだろう?」
「…………なんなの、アンソニー。本当に、なんでそんなに冴えて……」
 シャルロットは、徐にポケットに手を入れた。なかなかポケットから出てこない手を、布の上からぽんと叩く。徐々に徐々に、腕が動き、私の手の平に、小さな箱が置かれた。俯いてしまったシャルロットを抱き上げて、今まで私が座っていた椅子に座らせ、目の前に跪く。差し出すのは、小さな箱。中には、一年前に購入した指輪だ。箱の中から、ビロードの内箱を出して、蓋をあけ、中の指輪を見せる。そっと取り出して、シャルロットの細い指にはめた。

「シャルロット・フォークレスタ嬢。初対面から忌々しくも可憐な貴女に、私は魅了されていました。どうか、私と結婚してください」

 シャルロットは、目を丸くして、次の瞬間には顔を真っ赤にさせた。両手で顔を覆ってしまった彼女は、しばらく鼻をグスグスやっていたが、やがて、その美しい表情を私に見せてくれた。

「そんなプロポーズ、ある?」
「うん?」
「貴方には、出会った時から暴言ばかり吐かれていたけど、プロポーズでまで、忌々しいとか言われるとは思ってなかったわ」
「私達らしいだろう」
「そうかもしれないけど」
「指輪を購入した頃、すぐにプロポーズをしても良かったんだが、お前は探偵業で生き生きとしていたから、結婚なんて考えられないだろうと思って躊躇していたんだ。ほかにプロポーズをしたい相手なんて、一度も現れていないぞ」
「…………変なところで気を使ったのね。馬鹿みたい」
「それで? 返事は?」
 にこりと笑ったシャルロットが、首に抱きついて来た。
「勿論、了承するに決まってるわ! 待たせすぎよ!」

 これで一件落着かと思ったら、明日にでも結婚はしたいが、すぐに家に帰ってくるのは如何なものだろうと言い出した。なんでも徐々に慣らしていくべきだと。甘い新婚生活を期待していただけに、拍子抜けだ。

「結婚してすぐは、家に何日か滞在したら、寮に戻るの繰り返し。それでいいんだろう?」
「……しばらくは、滞在は出来るだけ少なめにね。じゃないと、生活リズムを変えるのが大変なの……」
「どこまで本気かわからんな」
「私が? さあ、自分でもわからないわ」
「私は……今回の事件によって二人の関係がハッピーエンドを迎えるのを、少しだけ期待していたんだ。昔から、物語の最後は、主人公が幸せになって終わるのが定番だろう? なのに、なんだか、中途半端な気分だ……」
「そうかしら? しばらくは、行ったり来たりの生活を続けましょうってだけよ? それに、開業するのもいいって貴方言ってたわね」
「ああ、そうだな。そうしたら、いつも家にいられるからな」
「よく考えたら、それが一番いい方法のような気がしてきたわ。そんなに簡単に病院は辞められないかもしれないけど、計画を立てましょう。どんな手段を使っても、貴方と一緒に過ごしたいもの」
「え? どんな手段を使っても?」
 私が驚いて顔を見詰めると、シャルロットは不敵な笑顔をみせた。

「貴方の助手の元には、モリーンもいるし……色々と融通をきかせてもらって、早期に円満解決できそうね!」
「は? ちょっと待て、ヘンリーとモリーンをくっつけたのは、最初からそういうつもりで……?」
「え? 他人の婚約にまで口は出せないわ」
「…………そうだな。さすがにお前でもそこまでは……いや、無理強いは出来ないにしても、そういう種を蒔くぐらいは……」

 他人の恋路など、勝手に操作できるものではない。それぐらいは私にもわかる。たとえ、シャルロットが頼んだとしても、モリーンが好きでもない相手と婚約をするとは思えない。
 そこまで考えて、ハっとする。あの二人が出会ったのが、私の助手をヘンリーが務めるようになる前だったら? ヘンリーが私の助手になったのは、急な事だった。たしか、二年前に、寮に入った直後に人事異動があって、そこから…………。

 シャルロットの顔を無言で見つめる。口をパクパクさせながら。穴が開くぐらい。すると、あの不敵な顔で笑うのだ。忌々しくも憎めない、私が一目惚れした顔で。

「私を誰だと思っているの? 名探偵、シャルロット・フォークレスタよ?」





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これで完結です。最後まで読んでくださってありがとうございました。
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