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第75話
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ヴェンディグが目を開けると、山の中には薄闇の帳が下りていた。
風が冷たくて肌寒いが、片方の肩だけがほんのりと温かかった。見れば、レイチェルが肩に頭を預けて眠っていた。
その寝顔を見つめて、ヴェンディグはほっと息を吐いた。
そして、髪をぐしゃっとかき混ぜて小さく舌を打った。
「……くそっ」
レイチェルを連れてきてしまったことに、今さら後悔の念を覚えた。
こんな山中で心細い思いをさせる羽目になるだなんて、と、ヴェンディグは自分に対して憤った。
自分はレイチェルを保護しているつもりだったのに、これでは逆だ。ヴェンディグの方が、レイチェルの存在に救われている。
ヴェンディグは唇を噛んだ。
油断していた。パメラが王太子に近づいているという報告は上がっていたのに、警戒を怠った。王宮の人間を利用してこちらを追い詰めてくるとは思わなかった。
「……ん」
小さく呻いて、レイチェルがゆっくり目を開けた。
「起きたか」
「あ……ヴェン……閣下」
レイチェルはぱちぱち目を瞬いた。
そんなレイチェルを見て、ヴェンディグはぷっと吹き出して、口元を綻ばせた。
「いい加減、名前で呼べ」
「へ?」
「さっきみたいに」
ヴェンディグにそう言われ、レイチェルは起き抜けのぼんやりした頭で記憶を遡った。そして、咄嗟に「ヴェンディグ様」と呼んでしまったことを思い出して赤面した。
「か……閣下」
「ヴェンディグ」
「……ヴェンディグ様」
レイチェルが小さい声で呼ぶと、ヴェンディグは愉快そうに笑い声を立てた。レイチェルは恥ずかしくなって、俯いて顔を隠した。
ざわざわ、ざわざわと木々の揺れる音がする。レイチェルがぶるりと身を震わせると、ヴェンディグは肩を抱いてレイチェルを引き寄せた。レイチェルはどきどきとうるさい心臓の振動がヴェンディグに伝わってしまわないかと心配になった。心臓を落ち着かせるために、レイチェルはヴェンディグの呼吸の音を聞いてじっとしていた。
どれくらい時間が経ったのか、木の葉の鳴る音とは違うざわめきが聞こえてきて、二人ははっと身を強張らせた。
麓の方から、大勢の人間の気配が上がってくる。レイチェルは息を飲んでヴェンディグの腕に縋り付いた。
ヴェンディグは厳しい目つきで闇を睨んだ。
山狩りだ。騎士団まで動かしているなら、パメラは国王にも接触した可能性が高い。王太子を利用して王宮の奥深くまで潜り込んだのだろう。
ヴェンディグは一つ息を吐くと、胸に手を当てた。
「ナドガ。出てこい」
声に応えて、ナドガが抜け出てくる。まだ酷い怪我をしている大蛇は苦しげにしゅうしゅうと息を吐いた。
「ナドガ。レイチェルを連れて逃げろ」
「ヴェンディグ様!?」
レイチェルが声をあげると、ヴェンディグは唇に指をあてて「しっ」と言った。
「レイチェル。俺は王宮に戻る」
「では、私も一緒に……」
「いいや。王宮にはシャリージャーラがいる。ナドガを連れてはいけない。お前がナドガのそばにいてくれ。俺の代わりに」
レイチェルは息を飲み込み、唇を震わせた。
「でもっ、ヴェンディグ様も危険では……っ」
ヴェンディグはくすっと笑った。
「俺は一応、王子だぜ。父上と話をする権利ぐらいはあるさ」
ヴェンディグは不安に瞳を潤ませるレイチェルの顔を覗き込み、安心させるようにまっすぐ見つめた。
「父上と母上にすべて打ち明ける。説明すればわかってもらえる」
そう言った後で、ヴェンディグは自嘲気味に微笑んだ。
「……もっと早く、いや、最初から話しておけばよかった。心配させたくないなんて言って、俺一人で平気だと意地を張ったせいで……ライリーに必要以上の負担をかけてしまった」
口調に苦さが混じった。
「重たい秘密を分散できれば、あいつは少しは楽だったろうに……あいつを孤独にして、追い詰めたのは俺だ」
悔恨の念を口にして項垂れるヴェンディグに、レイチェルは何も言えずに小さく首を振った。
人声が聞こえた。近づいてきている。
「レイチェル。行け」
「ヴェンディグ様っ……」
ヴェンディグはレイチェルをナドガに押し付けるようにして引き離した。
「夜の闇に紛れて移動して、人気のない場所に隠れていろ。大丈夫だ。すぐに迎えに行く」
ヴェンディグはレイチェルの首筋をするりと撫でた。
「ナドガ。レイチェルを頼む」
「……ああ」
ナドガは背に乗るようレイチェルを促した。レイチェルはぎゅっと唇を噛んだ。ヴェンディグはレイチェルの腰に手を回して持ち上げた。助けを借りてナドガの背の上に乗ると、レイチェルは落ちないようにしがみついた。ナドガが空に向かって首を伸ばし、ふわりと浮き上がった。
地上に残ったヴェンディグの頭上をくるりと旋回してから、ナドガは西の方角へ飛び始めた。
レイチェルはその背にしがみつきながら、遠ざかっていくヴェンディグの姿を見つめていた。
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