少年プリズン

まさみ

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百五十四話

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 週末の夜、停留場は闘技場になる。
 東京プリズンの地下空間にある巨大な停留場は強制労働に従事する囚人を各部署へと運んでくバスでいつも賑わってるが週末の夜だけは別、すべてのバスは停留場の隅に駐車されて中央には広大なスペースが空く。そのさらに中心、一辺8メートルの面積を正方形に囲って張り巡らされているのは高さ10メートルはあろうかという金網のフェンスだ。
 娯楽班の試合が催される闘技場はこの金網の内側だ。裏を返せばこの金網以外に闘技場と観客席とを仕切る境界線はなく金網に顔をくっつけさえすりゃ顔面に返り血浴びる至近距離で大迫力の殺し合いを見物することができる。いや、観客席などというご大層なものはない。週末の夜限定で設置される金網の外側には当然椅子なんてなくて試合観戦に赴いた囚人は最前列から最後列に至るまで例外なく立ち見を強いられることになるがその事自体に不平不満を漏らす奴は少ない、試合中はそれどころじゃないからだ。
 金網一枚向こうで繰り広げられるのは血湧き肉踊る熾烈な殺し合い。
 ルールなんてあるようでなし、使用する武器には素手だろうがナイフだろうが釘バットだろうが一切制限がなくて万一やりすぎて相手を殺しちまったとしても不幸な事故で片付けられて金網の外に控えてる処理班が迅速に死体を運び出してくれる。
 東京プリズンの囚人はどいつもこいつも無類の賭け好きで喧嘩好き、喧嘩をするのも見るのも大好きで殴られても殴り返しても勃起しちまいそうに興奮する真性の変態揃いだから、試合が過熱するにつれ自然と立ち上がってリングに檄をとばすようになる。だから席なんて必要じゃないのだ、立ちっぱなし勃ちっぱなしの尋常じゃないハイテンションを終始維持してるんだから。
 さて、金網の外にゃ処理班のガキどもが待機してるし準備は万全。あとは役者が揃えばいつでも試合の幕が切って落とせる、レイジとサムライの東棟最強ペアVS各棟強豪100人50組の東京プリズン始まって以来の無理無茶無謀な対戦、前代未聞の対決が。
 レイジとサムライの最強にして最凶ペアに挑戦するのは事前に名乗りを上げた東西南北各棟の50組でどいつもこいつも五人くらい素手でラクに殺してそうな凶悪な人相の強敵ぞろい、レイジとサムライがいくら化け物じみて強くても無傷で勝ち残れる保証はどこにもない。万一の時の為に医務室から出張してきた医者がフェンスの外に控えてるけどはっきり言って気休めにもなりゃしねえヤブで、今日の試合でひとりふたり死人がでる可能性も皆無じゃない。

 時間をちょっと遡る。

 当日は朝からペア戦開幕の噂で持ちきりで食堂でも廊下でもすれ違うやつ皆そわそわしてた。東棟、ひいては東京プリズン全体が熱気と興奮にさざめいて寄るとさわると今夜の出し物の話題になった。だれもかれも膨らみすぎて弾けるのを待つばかりの風船のように極限まで高まった緊張感を意識せずにはいられず何をするにしても奇妙に浮き足だっていた。
 何か、前例を覆し歴史をひっくり返すとんでもないことが起きる予兆のざわめきがたちこめる中、当のレイジだけはそんな緊張とは無縁にいつもどおりに振る舞っていた。まったく、あと数時間後にはリングに上って死闘を演じる羽目になるってのに見てるこっちまで気が抜ける緊張感のなさで食堂じゃ行儀悪く肘をついてたいして面白くもねえ冗談に笑い転げたり、昼間は昼間でへたくそな鼻歌まじりに図書室に足を運んで本を借りたりしてた。傍から見りゃ憎たらしいくらい余裕ぶちかましてるレイジの心の内は俺にもわからない。昨夜あんなことがあって勢いと流れでとんでもないこと約束しちまった手前、朝っぱらからすこぶる上機嫌なレイジの態度をどうとっていいかわからないのだ。
 まさか、100人抜き達成すりゃ俺を抱けるからあんなに上機嫌だったんじゃないよな?……ありえない話じゃない。 
 そして、長い長い生殺しの昼が過ぎて砂漠に日が沈み夜の帳がおちる頃。
 夕食が終わって自由時間が始まり、いつもなら廊下や図書室やそれぞれの房にたむろって賭けポーカーや麻雀や下ネタ満載の猥談、看守の失敗をネタにした馬鹿話に興じてる連中が一斉に、それこそ示し合わせたように同時に鉄扉を開けて廊下に溢れ出した。廊下に溢れた衆人は同一方向を目指す巨大なうねりとなって蟻の大群の如く蠢き流れ出し移動を開始する。
 そう、地下停留場をめざして。
 「いよいよだな」
 鉄扉に穿たれた格子窓の向こうを流れてゆく囚人たち、興奮に頬紅潮させ、今夜の試合についてしゃべくりあう混沌のざわめき。鉄扉越しの高揚が伝染したのか壁にもたれかかってる俺も落ち着きをなくし、レイジに話しかける口ぶりがよそよそしくなる。
 「ああ」
 対して、レイジは余裕綽々。ベッドの上でのんきに柔軟体操なんかしてる。頭上で手を組んで伸びをして腕をおろし、全身の間接をほぐしてから「よっしゃ」と腰を上げる。スニーカーをつっかけてこっちに歩いてきたレイジを過剰に意識して壁に背中をつけたままじりじりとあとじさる。大股に歩いてきたレイジを見て反射的に仰け反ったのは昨夜の約束が脳裏を過ぎったからだ。
 『ああもうわかったよっ、抱かせてやるよ!!!!!!!!』
 まったく、なんだって安請け合いしちまうんだよ。自分の馬鹿さ加減が恨めしい。俺の前で歩みを止めたレイジがじっと顔を覗きこんでくる、睫毛の先端が触れ合う距離で覗きこまれて息が止まりそうになる。
 「昨日のアレ、今さらなしなんて言うなよ」
 凄味を利かせた声で念を押される。綺麗すぎて精巧なガラスを彷彿とさせる瞳にらしくもなく固い顔した俺が映ってる。
 「………100人抜きしたらな。やれるもんならやってみやがれってんだ」
 「100人抜きしたらいいんだな。本当にいいんだな」
 「しつけえっての」
 「よし」
 ようやく納得したらしいレイジが変に真面目ぶった顔で離れてゆき、途中で自制心が限界に達したらしくとろけるように笑み崩れる。
 「ちゃんと応援してくれよ」
 「………………………ああ」
 そう答えるしかないじゃんか。レイジは売春班から俺を救い出すために、いや、俺だけじゃない、鍵屋崎を含めた売春班のガキども全員を助け出すために未曾有の100人抜きに挑むんだから。ふてくされたように呟けば、その可愛げない態度にも気分を害すことなく音痴な鼻歌を奏でながらレイジがノブを握る。レイジが鼻歌唄うのは上機嫌な証だ。察するにこれがストレンジ・フルーツなのだろう、著しく音程が狂った鼻歌はもはや原形を留めてなくて元の歌を想像することすら難しいが闘いに赴く精神に作用して気分を盛り上げることはできる。精神高揚の鼻歌を奏でながらノブを捻り、今まさに扉を開けようとしたレイジと振り返り際目が合う。
 「もう一度指きり、」
 「しねえよ馬鹿」
 二度とあんな恥ずかしい真似するか。昨夜は無理矢理レイジに付き合わされたが拒否権があるなら拒否したい。ちょっと残念そうに口を尖らせたが持ち前の変わり身の早さを発揮し、思考を前向きに切り替えたレイジが膝の屈伸運動を終えて廊下にとびだしてゆく。レイジの背中を追って扉を閉じ、房を出る。東棟全ての住人があふれだしてきたかのような人ごみに揉まれながら、3メートル先に見え隠れするレイジの後頭部を目印に小走りに駆け出せばやっぱり音痴な鼻歌が聞こえてくる。
 ……レイジに勝ってほしいような勝ってほしくないような、複雑な心境だ。   

 ペア戦出場者は最低三十分前に停留場に降りて、フェンス脇での待機が義務付けられている。
 レイジもその規則にのっとって三十分前に停留場に降りたわけだが、広大な面積を有する地下停留場はすでに東西南北全棟の囚人であふれ返っていて蟻の巣をほじくりかえしたような人口密度の高さだった。今日この日を楽しみに辛い強制労働に耐え、まずい飯を我慢してきたと言っても過言じゃない囚人たちがある者はダチを誘い、ダチがいない奴は一人で試合観戦にきてる。押し合い圧し合い、少しでも前へ出ようと悪戦苦闘する物見高い野次馬連中の背後にレイジが近付けば、王様の出現に気付いた最後尾の囚人がぎょっとしたように仰け反り、瞬く間にその動揺が伝染して窮屈にごったがえしていた囚人が道をあける。周囲の囚人が固唾を呑んで見守る中、自分のために作られた花道をレイジが悠々と歩き出す。最前列でレイジを応援しようとくっついてきた俺もすかさずあとに続こうとするが不測の事態が発生した。
 俺の目の前で花道が閉ざされ、レイジの後ろ姿が人ごみの彼方にかき消えたのだ。
 「!?ちょっと待てよ、こらっ」
 慌ててレイジを呼び止めるも、遅い。
 人ごみをかきわけてレイジを追おうとしたが小柄な俺なんか一突きで跳ね返されちまう。いや、冷静に考えればわかりきったことだ。東棟の王様のために作られた花道をただ尻にくっついてきただけの俺までおこぼれに預かって通れるわきゃない。畜生、もっとレイジにくっついてりゃよかったと歯噛みするが後の祭りだ。
 「あれがレイジだぜ」
 「東棟の王様か?」
 「100人抜きとか無茶な目標ぶちあげた?」
 「へえっ、あんな優男だったんだ。娯楽班より売春班のが向いてんじゃん?」
 「おまえ馬鹿か。あんなツラしてっけど連戦無敗のブラックワーク覇者だ、本の角でひと殺せるイカレ野郎って評判だぜ」
レイジ出現に色めきだった野次馬が我も我もと背伸びして金網越しのリングに見入ってる。真似してつま先立ってみたが前列の木偶の坊がジャマして何も見えやしねえ、視界にひしめいてるのは囚人服の背中ばかりだ。
 むさ苦しい光景に嫌気がさし、そっと野次馬の輪からはなれる。慌てることはない、まだペア戦開幕まで三十分もある。要はペア戦の火蓋が切って落とされるまでにレイジのそばにいきゃいいんだから試合開始までは自由にぶらついててもバチ当たらないはずだ。
 猥雑な喧騒に満ちた停留場をあてどもなく歩きながらひとりむなしく愚痴をこぼす。
 「レイジも薄情だぜ、気付きもしないで行っちまった。足の長さがちがうんだからちょっとは振り返れっての」
 足の長さが違えば当然歩幅も違う……言ってて哀しくなってきた。そういや鍵屋崎はどこにいるんだろう。サムライが出るなら当然鍵屋崎もきてるはずだ。この人ごみで鍵屋崎とサムライが見つかるかどうか心許なかったが試しに視線を巡らしてみて、20メートル離れた人ごみの渦中にふたりを発見する。
 意外と近くにいた。全然気付かなかった。
 「おーい」
 と声をかけながらふたりに近寄ろうとして、遠目にも様子がおかしいことを悟る。
 鍵屋崎とサムライが深刻な面持ちで何事か話しこんでる。いや、深刻なのは鍵屋崎だけでサムライはいつもと同じ無表情か。どうやら鍵屋崎が一方的に畳み掛けてるらしいがサムライはどこ吹く風と涼しげで取り合う様子もない。左手に預けた木刀の握りを確かめ、今まさに人ごみをかきわけて金網のフェンスに近寄ろうとしてる。そんなサムライになおも鍵屋崎が追いすがる……
 「痴話喧嘩か?」
 仲がいいな、とあきれる。おそらくはペア戦に出場するサムライの身を案じるあまり鍵屋崎がはなはだお節介な諸注意でもたれてるのだろう。もしそうなら俺はお呼びじゃないだろうが、鍵屋崎とサムライを取り巻く雰囲気がにわかに険悪になったのを察し、仲裁に入ったほうがいいだろうかと考え直す。心配性が再発し、ここまで届かない声で喧嘩してるふたりの注意を向けさせようと片手を挙げかけ……
 その片手を、誰かに掴まれる。
 「!?なにすんだよっ、」
 俺の片手首を掴んだやつの顔は人ごみに紛れて見えない、人の壁の間から唐突に腕だけ生えてきたのだ。くそっ、腕だけのくせして馬鹿力だ、こいつ。さかんに身を捩り、掴まれた手を振って抵抗したが握力が緩められる気配は微塵もなくかえって強められる一方だ。そして、力づくで引きずられる形で野次馬の垣根から連れ出されて強引に歩かされる。俺の腕を掴んでのし歩く人間の背中は周囲にたむろった囚人の垣根に阻まれてよく見えないがちらりと覗いた紺の制服にはやけに見覚えがある。
 いや、見覚えあるどころじゃない。看守の制服じゃないか、これは。
 だとしたら、手首に爪が食い込む握力で俺の腕を握り締めてるのはひとりしかいない。
 「!―っ、」
 歯を食いしばったのは手首に爪が食い込む痛みが原因じゃない。
 「はなせよっ、どこに連れてく気だよ!これから用事あんだよ、もうすぐペア戦が……」
 足腰踏ん張って引き返そうとするが無駄だ、力と体格でこいつにかなうわけない。野次馬の頭の向こう、銀の檻を彷彿とさせる景観で高々と張り巡らされた金網のフェンスへとむなしく片腕を伸ばすが届くはずもない。無力にもがきながら、それでも必死に抗い続ける俺を嘲笑うかの如き揶揄が耳朶にふれる。
 「まだ30分あるだろ。30分もありゃいろんなことができるよなあ、ロン」
 間違いない。悪い予感が的中した。
 顔が見えなくても声聞きゃわかる―……わかってしまう。

 『手え抜くなよ、いつまでたっても終わんねーぞ』  
 『ちゃんと持ち上げろよ、よく見えるように』 
 『泣くほど気持ちいいってか?やらしいツラしやがって』
 『ひとに見られてイッて恥ずかしくねえのかよ』
 『ちゃんと後始末しとけよ』
  
 やめろ思い出したくない、あんなことは思い出したくない絶対に。きつく目を閉じて脳裏に浮かび上がろうとする声と光景とを打ち消せば靴音の響き方が突然変わる。だだっ広く開放的な空間からコンクリートで周囲を密閉された細い通路へと連れ込まれたのだと音で判断した瞬間に目を見開けば正面に扉があった。ごつい手が腰の鍵束を探り、鍵穴にさしこむ。カチャリ。
 だめだ、ここに足を踏み入れちゃだめだ、そうなったらおしまいだ。
 回れ右して逃げなければ絶体絶命の窮地に陥ると頭じゃわかってる、でもそうする前に、なりふりかまわず暴れて逃げ出す前にぐいと片腕を掴まれ、乱暴に肩を突かれて扉の内側へと放り込まれる。足が縺れてたたらを踏んだ俺の背後で扉が閉じ、暗闇に鈍い音が響く。
 どうやらここはボイラー室みたいだ。
 むきだしの配管が毛細血管の緻密さで張り巡らされた壁面に背中を預けてキッと正面に向き直れば、目の前には肥満体の男。たっぷっり脂肪がついた二重顎と弛んだ頬肉、酷薄そうに輝く目は爬虫類の陰湿さ。発情した軟体動物めいて淫猥な分厚い唇は唾液でてかてかと濡れ光り、薄く開かれたそこから覗くのはヤニ臭く黄ばんだ歯並びの悪い前歯。
 俺の天敵、いや、東京プリズン全囚人の天敵……最低最悪の看守、タジマだ。
 「……何の用だよ」
 壁を背にしながら虚勢を張って唸れば、威圧的に腰に手をおいたタジマが大股に歩み寄ってきて身が竦みそうになる。前にもこんな状況があった、あれはまだ俺がイエローワークにいたとき物置小屋に連れ込まれて煙草の火を……
 煙草の火。いやだ、思い出したくない。
 囚人服の背中がじっとり湿ってるのはよりかかった壁が配管から噴出した水蒸気で濡れてるからだろうか、それとも汗のせいだろうか。わからない、それどころじゃない。なぶるように距離を詰めてきたタジマが俺の上にのしかかるように壁に手をついた前傾姿勢をとり、ヤニ臭い歯を剥いて顔を覗きこんでくる。
 「あと30分で開幕だな」
 「…………」  
 「無視すんなよ。レイジは同房のお前助けるためにペア戦出場するんだろうが」
 口臭くさい息を吐きかけられて顔を背ければ有無を言わさず顎を掴まれて正面に固定される。
 「レイジも可哀相だよな、お前助けるために100人抜きなんて無茶な目標ぶちあげたせいで東西南北全棟の強豪に狙われる羽目になってよ。生きて帰れる保証もねえってのに……なあ、良心は痛まねえか?レイジはお前のために、お前の貞操守るためにこれからリングに上って情け容赦ない殺し合い演じるんだぜ。もしレイジが殺されたらお前のせいだ、お前が駄々こねて売春拒否ったせいだよなあ」
 顎に指がめりこんで痛いが、それよりなぶるような口調で揶揄されたことへの反感が沸いてくる。俺の顎を掴んだタジマの目をまっすぐ見返し、挑戦的に口角を吊り上げてやる。  
 「馬鹿言うな、レイジが死ぬわけない。忘れたのか?あんただってレイジに煙草押し付けられて鼻水と涙にまみれて降参したじゃんか」
 そうだ、レイジが死ぬわけない。あいつを殺せる奴なんかだれもいない。
 そう信じて、自分に信じ込ませようとして断言すればタジマの顔がわかりやすく強張る。
 「……素直に俺に組み敷かれてりゃこんな面倒なことにならなかったのによ。売春班撤廃だあ?寝ぼけたこと言ってんじゃねえよたかが囚人が、」
 口汚く吐き捨てたタジマが舌なめずりし、扇情的な手つきで俺の尻をさわってくる。
 「お前が、お前らが余計なことしてくれたおかげでマジで売春班撤廃されちまったらどうすんだよ?安田の若造は以前からブラックワーク目の敵にしてたから手前勝手にレイジの要求飲んだけど看守のだれも売春班撤廃なんかにゃ賛成してねえぜ。看守だけじゃねえ、囚人だって誰一人としてんなこと望んでねえ。いいか、その中身の詰まってねえオツムでよーく考えろ。売春班がなきゃどうなると思う、人通りがあろうがなかろうが廊下歩くたんびに物陰ひきずりこまれてケツ剥かれて肛門から血を垂れ流す羽目になるんだ。おまえだって嫌だろう、このかわいいケツが柘榴みたいに裂けちまうのは」
 ズボンの上から円を描くように尻を撫で回され、ぞわりと肌が粟立つ。
 「売春班にいりゃもっと早く裂けちまうよ」
 図々しく尻におかれたタジマの手を叩き落し、壁に背中をつけて距離をとる。次にタジマがどう出るか警戒して生唾を嚥下し、挑戦的な笑みはそのままに宣戦布告する。 
 「それにな、売春班つぶすのに誰一人賛成してないなんて真っ赤な嘘だ。その証拠が俺だ。俺だけじゃない、鍵屋崎も他のガキどもも誰一人だって売春班の継続なんか望んでない。てめえら変態看守のオモチャにされてケツの穴もてあそばれるのはこりごりだとよ」
 「よっく言うぜ、俺に煙草の火押し付けられて喘いでたくせに」
 喉を仰け反らせて笑ったタジマの言葉に永遠に葬り去りたい悪夢が鮮明に蘇る。まだ鮮明に体が覚えてる、皮膚にねじこまれた煙草の火の温度を、肉が焦げる臭気を。ともすれば震え出しそうになる唇を噛み締め、精一杯の怒りと反感をこめてタジマを睨みつける。
 「……喘いでなんかねえよ」
 「うそつけ。お前ら囚人は全員痛いのが好きなマゾで看守はサドだ、な、需要と供給が成り立ってるだろう?」
 ひとしきり下劣に笑ったタジマが制服の胸ポケットに手をやり何かを取り出す。
 「試してやろうか」
 配管が取り付けられた壁に背中をくっけてあとじさってるうちに逃げ場のない隅へと追い詰められる。背後の配管を握り締め、恐怖に強張った顔でタジマを仰げば見せつけるようにその手に掲げられたのは……
 安全ピン。
 「なに、する気だ」
 「レイジとお揃いにしてやるよ」
 にたつきながら歩み寄ったタジマが安全ピンを片手に、もう一方の手で俺の耳朶を摘む。
 レイジとお揃い。耳に開けたピアス穴。
 「!―っ、」
 反射的にタジマの手を振り払おうとしたが、おどけた動作で胸を仰け反らせて避けられてしまう。駄目だ、壁際に追い詰められて身動きとれない。俺に覆い被さってるタジマを何とかしないかぎりドアを開け放って助けを呼ぶこともできない。俺の耳朶を掴んだタジマが舌先で安全ピンを舐めて唾液をのばしてゆく。唾液に濡れた安全ピンの先端が鋭さを増して輝いて俺の顔へと近付いてくる。
 「処女耳だな。傷ひとつねえキレイな膜だ」
 耳朶に熱い吐息がかかる。ズボンに内腿に擦りつけられるのは今にも爆ぜそうに猛りきった股間。手を突っ張ってタジマをどかそうとしたが、体と体を密着させて壁際に押さえ込まれてしまってはどうすることもできない。心臓の動悸が速まり血の巡りが異常に速くなる。恐怖に息遣いを荒くした俺の耳朶に、生温かく柔らかい舌が粘着質な唾液の糸を引いて絡んでくる。
 「今から穴に舌突っ込んでやる。処女膜破って開けた穴に熱くて太いモンを突っこんでぐちゃぐちゃにかきまわしてやる」
 ただピアス穴開けるだけがタジマが言うと最低の行為に聞こえる。
 消毒でもしてるつもりなのか、唾液を捏ね回す淫猥な音とともに執拗に耳朶を舐められ不快さのあまり腰が萎えそうになる。レイジに耳朶を舐められたときは恐怖が先行したが今は生理的嫌悪で吐きそうだ。熱く潤んだ口腔に含まれた耳朶が溶けそうに火照り、萎んだ息遣いの間から拒否の呻きが漏れる。いやだ、俺はこのまま手も足もでず頼んでもないのに耳に穴開けられちまうのか?耳に安全ピン刺されちまうのかよ?
 「気持ちわりいんだよ変態、いつまでもひとの耳たぶ飴玉みてえにしゃぶってんじゃねえ!!」
 腹の底から声を振り絞って拒絶したがタジマはますます図に乗るばかりで俺の話なんか聞こうともしねえ、それでもなお暴れていれば業を煮やしたタジマがとんでもない場所を抓ってくる。
 「!?―いっ、」 
 「大人しくしろ、あんまり暴れると変なとこ刺しちまうだろ。それともこっちのがいいか?ははっ、乳首抓られて感じるなんて変態だな」
 感じてるんじゃねえ、痛がってるんだよ。
 服の上から力一杯胸の突起を抓られ、恥辱と激痛で顔が熱くなる。これ以上抵抗したら本当にそっちを刺されそうだ、それなら耳朶のほうがずっとマシだ。絶望して体の力を抜けばタジマの肩に額を預けて凭れかかる屈従の体勢になる。
 「そうそう、そうやって俺の命令聞いてりゃいい。なあに、痛いのも慣れてくりゃじきに気持ちよくなる。レイジのピアス穴は……ひいふうみい……何個だ?十個くらいか。安全ピン足りなくなりそうだな、おい」
 タジマが上機嫌に唄う声がどこか遠くで聞こえ、乳首を抓られた激痛に意識をさらわれそうになりながらも頭が恥辱で煮立つ。俺の耳朶とピン先とにたっぷり唾液を塗付したタジマが興奮に濡れ輝いた目をして鋭利に尖った銀色の先端を右の耳朶へと近づけてくる。安全ピンの針先から逃れようと必死にかぶりを振るが、壁を背後にした無理な体勢じゃ首の可動域にも限界がある。
 恐怖を煽るようにゆっくりと近付いてきた針の先端が耳朶に触れ、ちくりとした痛みが生じる。
 苦痛を上回る恐怖に歪んだ俺の顔を舌なめずりして堪能しながらじわじわと針に圧力をくわえて耳朶を貫通させようと企むタジマ、耳朶に触れた針が徐徐に、徐徐に柔らかく破けやすい皮膚へと埋まってゆきー……
 目を閉じる。
 痛いのには慣れてるからいまさら耳に穴開けられるくらいどうってことない目を閉じてりゃすぐ終わる、そう一心に念じながら一刻も早く針が耳朶を通ってくれるよう、もういっそ苦痛など感じないほど素早く耳朶を貫通してくれるよう気も狂わんばかりに祈ったその時だ。 
 ドアが開き、一条の光が射しこんだ。
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