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二百四十四話
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コロッセオは古代ローマ時代の建造物で、ローマ帝政期に造られた円形闘技場をさす。
このコロッセオでは流血を伴う野蛮な見世物が催され、大衆の絶大なる支持を集めた。 剣闘士と呼ばれる戦闘奴隷同士を競わせまたは猛獣と戦わせ、どちらか一方が生き残るまで苛烈な戦いを繰り広げ、市民を熱狂させたのだ。
そして今、狂気の皇帝の演出により、コロッセオの戦いが再現されようとしている。
剣をナイフに持ち替えて対峙する僕とレイジ。だがここは階段状に客席を巡らせた豪壮な円形闘技場ではなくただの渡り廊下にすぎない。中央棟と北棟の狭間にある平行な空間。天井には等間隔に蛍光灯が設置されているが、大半は無残に割れ砕けて廊下にガラスの破片をばらまいている。北棟の治安も東棟に負けず劣らず悪いようで、殺風景なコンクリ壁は卑猥なスラングや稚拙な落描きに埋もれていた。
戦場に佇む廃墟のように陰惨に寂れた渡り廊下の中央に立ち、ゆっくりと慎重にあたりを見まわす。渡り廊下の両側、左右平行の壁に沿って並んでいるのは大勢の囚人。物見高い野次馬は総勢三十名もいるだろうか、一般の囚人が強制労働に出払ってる時間帯にどこから湧いてでたのか疑問になる。
「北棟の囚人は暇人なのか」
緊張に汗ばんだ手にナイフを握り締め、呟く。
「何故昼下がりの時間帯にこんなに多くの囚人が残っている、大半の囚人が強制労働で留守にしてる時刻に」
「この者どもは私の忠実なる家臣だ」
僕とレイジの中間、どちらからも等距離に位置する壁に背中を凭せたサーシャが満足げにあたりを睥睨する。サーシャの周囲に侍った囚人はいずれも白色人種、さかんに交わされる私語はロシア語だ。
「皇帝の身辺を警護するために、皇帝に娯楽を饗するために、私が常にそばに侍らせている忠実なる者どもだ。強制労働などという無粋な些事は当然免除されてしかるべし、看守には私が許可をとった」
「君の独断で?」
「とくと聞け、東の愚民よ」
腕を組み壁に凭れた格好のサーシャが眼光の威圧を強める。
「私は北のトップ、実力で頂点を極め絶大なる権力を掌握した北のロシア皇帝だ。その私が直々に看守にかけあい今ここにいる者どもの自由を勝ち取ってやったのだ」
「サーシャ様には感謝してます」
「すべてサーシャ様のおかげです」
「サーシャ様は最高だ、素晴らしいお方だ、俺が今ここにこうしていられるのも全部サーシャ様のおかげです。偉大なる我らが皇帝が特別にとりはからってくれたからです」
「熱砂の砂漠で汗水たらして穴堀りせずにすんだのは我らが皇帝の恩寵あってこそ」
「業火の焼却炉に炙られて火傷を負わずにすんだのは我らが皇帝の慈悲あってこそ」
「極寒の下水道で凍死する運命を免れたのは我らが皇帝の寵愛あってこそ」
「すべてサーシャ様のおかげだ」
「皇帝万歳!」
「「皇帝万歳!」」
熱に浮かされたようにひとりが呟けばまたひとり、またひとりと口々にサーシャを褒め称え始める。絢爛な美辞麗句で飾った称賛の言葉が、ざわめきからどよめきへ、そして鼓膜を震わす大合唱へと膨れ上がる。ツァー・ウーラ、ツァー・ウーラ……皇帝万歳、皇帝万歳とロシア語で合唱する囚人たちは皆サーシャに心酔しているらしく、新興宗教の集会を彷彿とさせる熱狂の面持ちで高々とこぶしを突き上げる。恍惚とぬれた目で、興奮に上気した頬で、陶酔した面持ちで、集団催眠にでもかかったような一糸乱れぬ統制ぶりでこぶしを掲げてサーシャを褒め称える囚人たちの様子に背筋が寒くなる。彼らは皆心からサーシャを崇拝し尊敬している。たとえサーシャにナイフで切り刻まれる羽目になっても本望だという目の狂熱は、カリスマ的指導者に扇動された民衆のそれだ。
狂気は伝染する。
完全なる狂人たるサーシャが支配する北棟には、狂気が蔓延っている。
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
渡り廊下を揺るがす大合唱。皆が皆サーシャを囲み、これから催される出し物をたのしみにしている。僕に逃げ場はない。サーシャにナイフを渡され、レイジとの殺し合いを命じられたのはほんの数分前、ついさっきの出来事だというのに奇妙に現実感が希薄で悪い夢を見ているようだ。サーシャの家臣を名乗る連中に脇を固められ、わけもわからぬまま渡り廊下へと強制連行された。何故わざわざ場所を移したのか?サーシャに聞かずともわかる、目の前に明解な答えが提示されている。囚人の房が並んだ廊下より渡り廊下のほうが幅広く、観客を多く収容でき、殺し合いに適している。
サーシャは僕らの殺し合いを、見世物にする気だ。
サーシャの房から渡り廊下へと場所を移し、今再びレイジと向き合う。片手にナイフを握り締めたレイジは場違いにリラックスしたポーズで佇んでいた。緊張感などかけらもない顔で、口元には笑みを浮かべている。房の扉を開けたときは上半身裸だったが、今はちゃんと上着を身につけ、金の十字架をシャツの内側に隠している。対する僕は、予想外の事態に動転していた。
『殺し合え』
冷酷な声音でサーシャに命じられ、僕はナイフを拾い上げてしまった。あの時はそうするより他になかった。僕が殺し合いを拒めばサーシャは激怒する、そして僕はサーシャに殺されていた。皇帝は自分に逆らう者に容赦しない。僕に拒否権はない。生きて北棟をでるためにはサーシャの言うとおり戦うしかない。
僕の相手はレイジ。東京プリズン最強の男、無敵無敗のブラックワーク覇者。
「………」
心臓の鼓動が高鳴り、腋の下に不快な汗が滲む。何故レイジと戦わなければいけないんだ?そんな理由どこにもないのに。サーシャの房を訪ね、レイジが応対にでたときは怒りに我を忘れた。レイジときたら上半身裸で、首筋に鎖骨に胸板に脇腹に、至るところに散った淫らな痣を隠しもせずに、あくびを噛み殺して僕の前にでてきたのだ。レイジが行方不明になってからずっと僕は気を揉んでいた。レイジの居場所がわからず焦燥を募らせ、もしロンにレイジの様子を聞かれたらなんて答えればよいかと深刻に悩んでいた。それなのにレイジときたらよりにもよってサーシャの房に、半年前に自分を本気で殺そうとした男のもとに入り浸り、倒錯した情事に耽っていたのだ。
殴りたかった。
おもいきり殴って目を覚まさせてやりたかった、レイジを殴るのは不可能だとわかっていたがそれでも怒りがおさまらなかった。レイジときたらロンがタジマに襲われた夜も、ロンの身の上に起きてることなど何も知らずにサーシャに抱かれて快楽に溺れていたのだ。ロンは肋骨を骨折して、全身十三箇所の打撲傷を負って、ベッドから動けずただでさえ心細い思いをしているというのにレイジがその間なにをしていたかといえば一度もロンの見舞いに行かずにサーシャとの情事に溺れていた。サーシャにはげしく抱かれて理性を散らされ、ロンのことなど頭からさっぱり消し去っていたのだ。
ロンはずっと、レイジを待っていたのに。
レイジの帰りを待ち続けていたのに。
レイジが元気な顔を見せてくれる日を心待ちにして、今もベッドに上体を起こして廊下の物音に耳をそばだてているに違いないのに、レイジは「ロンの見舞いには行かない」と公言した。ロンなどもうどうでもいいと、懐かない猫には興味を失ったとあっさり言ってのけたのだ。
だがしかし、レイジとの殺し合いなど僕は望んでいない。レイジがどう思ってるかはわからないが、少なくとも僕はレイジとの殺し合いなど望んでないのだ。
「レイジ」
今ならまだ間に合う、馬鹿げたことはやめるんだ。ナイフを捨て、冷静に話し合いをもつんだ。
頭の片隅で理性が囁く。歓声がこだまする渡り廊下にて、対峙したレイジに声をかける。
「一緒に東棟に帰るんだ」
「やだ」
レイジの返事はひどくあっさりしていた。
「ロンの見舞いに行け。ロンは君のことを心配し、首を長くして帰りを待っている」
「やだね」
ナイフをもてあそびながら答えるレイジに苛立ちが募り、声を荒げる。
「駄々をこねるんじゃない、子供か君は!?どうしてしまったんだ一体、君とロンの間になにがあったんだ?覚えているだろうレイジ、ついこのあいだのことだ。無駄に体力のありあまった君に無理矢理バスケットボールに付き合わされた」
目を閉じれば思い出す。汗でぐっしょりぬれた上着が背中にはりついていた。外で寝転がるのは生まれて初めての体験だった。体は疲れていたが、不思議と気分爽快だった。青空が目に染みた。蒼穹は高く高く、どこまでも頭の上に広がっていた。乾燥した青。上着の背中を通して感じたコンクリートの熱さやざらついた質感が甦り、胸が絞め付けられる。
あの時隣に寝転がったレイジは、笑っていた。
運動して汗をかき、気持ち良さそうに笑っていた。
上着の胸を上下させ、呼吸を整え、コンクリートの地面に大の字に手足を投げ出して、普通の少年みたいに笑っていたじゃないか。
「レイジ、覚えているだろう。忘れたとは言わせない、君はあの時僕の隣に寝転がってこう言ったな。自分とロンは同じだ、ロンは初めて会った時に大事なことを教えてくれた。当たり前のことを当たり前に言ってくれた。だからロンが大事だと、すごく大事だと、笑顔でのろけていたじゃないか」
つい数週間前のことが、何年も昔のことのように遠い。
あの時僕の隣にいたレイジと今僕の目の前にいるレイジは本当に同一人物なのだろうか?別人であってくれたらどれだけ救われるか知れない。レイジは僕の言葉にも心動かされた様子なく、退屈そうにナイフをもてあそんでいた。口元に目を凝らせば、いつもの鼻歌を口ずさんでいた。
奇妙な果実。
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
「レイジ、こちらを見ろ。顔を上げろ、僕の話を聞け。一体どうしてしまったんだ?数週間前とは別人だ。ロンとのあいだになにがあったかは知らない、僕に口出しする権利はないし義務もない。だが、」
だがなんだ?言葉を続けようとして、慄然と立ち竦む。
レイジはひとりぼっちで唄っている。
なんて寂しい歌だ。
渡り廊下にはこんなに人がいるのに、サーシャとその手下が今か今かと開幕の合図を待っているのに、レイジ一人別世界にいるかのようだ。救いがたく孤独で、近寄りがたく静謐で、周囲の大合唱とは無縁の歌声。甘くかすれた独特の響きの歌声は魅惑的で、郷愁が胸に染みて、何故だかロンの顔を思い出す。
今もベッドに上体を起こして、何日もやってこないレイジを待ち続ける横顔。
『俺、ロン好きだよ』
「あれは嘘なのか」
『あいついいヤツだもん』
「ずっと、ロンを好きな演技をしていたのか」
『お節介でお人よしで心配性で負けず嫌いで意地っ張りで、でも根っこじゃ本当にいいヤツなんだ』
「ロンを抱くのだけが目的で、それ以外はどうでもよくて、上辺だけ親切に接していたのか。半年前危険を顧みず監視塔にきたのも、売春班の扉を蹴破ったのも、ペア戦100人抜きを宣言したのも……体目当てにロンの歓心を買いたくて、ただそれだけだったのか」
「それだけだよ」
レイジが薄く微笑む。
「知ってたキーストア?俺すっげえ淫乱なんだ。男相手でも女相手でもセックスが大好きなの。気持ちいいことが大好きで、十歳のガキの頃から何人もと寝てきた。男も女も変態も相手には不自由しなくて一通りのセックスは試してみた、突っ込むのも突っ込まれるのもしゃぶるのもしゃぶらせるのもちょっとここでは言えねーようなことも……詳細は想像に任せるけどな」
なにがおかしいのか、くっと喉を鳴らす。
「ロンに手を出したのは遊びだよ。たった十三歳のガキが男ばっかの檻の中に放りこまれて、野郎どもがケツ掘りあってる環境に染まらずに……からかい甲斐あんだろ?すぐムキになるから面白いし、結構退屈しなかった。東京プリズンじゃ珍しくまともなヤツだから、俺みたいにどっか壊れてるヤツはちょっかいかけたくなるんだよ」
こめかみを指さし、続ける。
「俺がどんなにちょっかいかけてもなびかねえし、男になんか興味ねえの一点張り。面白かったぜ、あいつおちょくるのは。悪夢よけのおまじないって額にキスすりゃ殴り返してくるし、寝入りばな押し倒しゃ顔面に枕投げつける脊髄反射の過剰反応だ。育ちは悪ィけど擦れてないつか、根っこがホントまともなんだよな。ママのおっぱい恋しさに飛び起きる普通のガキだ」
口元に意地悪い笑みが浮かぶ。
ロンのことなど暇つぶしの玩具としか思ってない酷薄な笑み。
「あいつがあんまりまともだから、めちゃくちゃにしてやりたかったんだよ」
やめろ。それ以上聞きたくない。
「押し倒して組み敷いてめちゃくちゃに感じさせてみたかったんだ。もうやめろ、やめてレイジって俺に泣いて頼むようになるまで躾てやりたかったんだ。わかるだろ?野良気取りの生意気な子猫を手懐けてみたかったんだ。ヤってヤってヤりまくって頭ん中俺のことだけでいっぱいにしてやりたかった、さんざ突っ込んでしゃぶらせて俺なしじゃ生きてけない体にしたかった」
今僕の目の前にいる男はだれだ?
気持ちが悪い、吐き気がする。眩暈に襲われてよろけた僕の視線の先では男が邪悪に笑っている、レイジの顔をした悪魔が笑っている。
洗練された動作で片腕を掲げ、横薙ぎにナイフを一閃。銀の軌跡を描いてナイフが閃き、虚空を切り裂く。ナイフを扱うレイジの手つきは暗殺者のそれだった。あざやかな軌跡が虚空で交差し、腕が上下する風圧に前髪が舞いあがる。
長く優雅な睫毛に縁取られた切れ長の双眸、色素の薄い瞳。
その目に宿るのは、人を見下す傲慢な色。
「そういう遊びだよ」
僕の目の前にいるのは、王様じゃない。
暴君。
「………そうか」
レイジは昔に戻ってしまった。僕と出会う遥か前、ロンと出会う少し前、暴君と呼ばれていた時代に。深呼吸し、汗でぬれた手にナイフを構え直す。今のレイジは僕のよく知る王様じゃない、鼻歌まじりにサーシャの背中を切り刻んだ暴君だ。
だが、逃げるわけにはいかない。
ここで逃げたら、敗北を認めることになる。
「レイジ。改めて言わせてもらうが、僕は君が大嫌いだ」
「ありがとう。俺も嫌いだよ」
「ならお互い遠慮なく殺し合えるな」
「手加減しなくていいの?死ぬよ」
レイジが小さく笑う。僕の心は奇妙に落ち着いていた。さっきまであれほどうるさかった心臓の音が静まり、集中力が高まり、周囲の喧騒が遠のいた。目を閉じれば、瞼の裏の暗闇にサムライの顔が浮かぶ。
僕のことを心から心配する友人。
僕を待つ、友人。
こんな殺し合いは無意味だと頭の片隅に一握り残った理性が囁く。僕とレイジが殺し合う理由などどこにもない、と頭ではわかっている。そうまでしてサーシャの命令に従うなんて天才のプライドはどこへやった、鍵屋崎直?
……違う。
ゆっくりと目を開け、まっすぐにレイジを見据える。
「医務室へ行く気がないのはよくわかった。なら、医務室送りにすればいいだけだと気付いたんだ。そうすれば必然的にロンと顔を合わすことになるからな。どうだ、合理的結論だろう」
サーシャの命令に従うのはプライドが許さないが、レイジから逃げるのはそれ以上の屈辱だ。
勝ち目のない戦いだとわかっている。へたしたら死ぬかもしれないと考えてもいる。だが、今ここから逃げ出したらレイジとロンは一生すれ違ったままだ。
僕は知っている、今もロンがレイジを待ち続けていることを。
時々ふと顔を上げ、ドアの方を振り返り、音痴な鼻歌が聞こえてこないかと耳を澄ましていることを。
僕は知っている、青空の下で「ロンが本当に大事だ」とレイジが語ったことを。さっき僕が「ロンに会いに行け」と詰め寄った時、レイジが嬉しそうに笑ったことを。ロンに自分以外の友人ができたことを喜んで、思わず笑ってしまったことを。
知っているのは僕だけだ。
どうにかできるのは僕だけだ。
「準備はできたか、二匹のサバーカ」
氷点下の声が響く。壁から背中を起こしたサーシャが僕ら二人を見比べる。
「上等だぜ、クレイジー・エンペラーがびっくり仰天して腰ぬかすとっときの芸を見せてやら」
あざやかにナイフを回転させ、鋭利な切っ先をサーシャに擬すレイジ。
不敵に宣戦布告したレイジに笑みを返し、尊大に腕を組んだサーシャが吐き捨てる。
「ナイフをむける相手が違うぞ、馬鹿な犬め。次に不敬な真似をしたら白い粉をふりかけたナイフを舐めさせる。舌が切れないよう用心しろ、私のモノを舐めるよう丁寧にやれ。お前が本気をだせばありえない事態だが、万一負けた場合は罰を下す」
「罰ってどんな」
「聞きたいか?」
『……I'm sorry My emperor.I do not hear it.』
おどけて首を竦めたレイジから僕へと視線を移したサーシャが厳粛に首肯し、大股に歩み出る。僕とレイジの間に立ったサーシャがぐるりを睥睨すれば、それまでの喧騒が嘘のように囚人が大人しくなり、水を打ったように静まり返る。
サーシャが儀式めいた動作で片手を振り上げる。その手に握られていたのは一本のナイフ。渡り廊下に居合わせた全員が固唾を飲んで見守る中、頭上にナイフを捧げたサーシャが宣言。
「さあ、存分に殺し合え二匹のサバーカよ。容赦も慈悲も無用だ、皇帝の名の下に互いの喉笛を噛み千切れ。皇帝の威光しろしめす闘技場にて血の雨降らす殺し合いを演じてみせろ。
ここは監獄の廊下にあらず、煉獄の吊り橋なり。
ここより先に光はなく、ここより先に希望はない。
生きて北を脱するには実力行使あるのみ、その手のナイフで煉獄の炎を薙ぎ払い道を切りひらけ」
サーシャが鋭く腕を一閃、銀の軌跡をひいたナイフが足元へと直下する。
細腕に見合わぬ握力のなせる技か、コンクリ床を深々抉ったナイフに歓声が爆発する。
『ЧРАААーーーーーーーーー!!!!!!』
ロシア語の「万歳」が渡り廊下を揺るがすのと、僕が床を蹴るのは同時だった。
このコロッセオでは流血を伴う野蛮な見世物が催され、大衆の絶大なる支持を集めた。 剣闘士と呼ばれる戦闘奴隷同士を競わせまたは猛獣と戦わせ、どちらか一方が生き残るまで苛烈な戦いを繰り広げ、市民を熱狂させたのだ。
そして今、狂気の皇帝の演出により、コロッセオの戦いが再現されようとしている。
剣をナイフに持ち替えて対峙する僕とレイジ。だがここは階段状に客席を巡らせた豪壮な円形闘技場ではなくただの渡り廊下にすぎない。中央棟と北棟の狭間にある平行な空間。天井には等間隔に蛍光灯が設置されているが、大半は無残に割れ砕けて廊下にガラスの破片をばらまいている。北棟の治安も東棟に負けず劣らず悪いようで、殺風景なコンクリ壁は卑猥なスラングや稚拙な落描きに埋もれていた。
戦場に佇む廃墟のように陰惨に寂れた渡り廊下の中央に立ち、ゆっくりと慎重にあたりを見まわす。渡り廊下の両側、左右平行の壁に沿って並んでいるのは大勢の囚人。物見高い野次馬は総勢三十名もいるだろうか、一般の囚人が強制労働に出払ってる時間帯にどこから湧いてでたのか疑問になる。
「北棟の囚人は暇人なのか」
緊張に汗ばんだ手にナイフを握り締め、呟く。
「何故昼下がりの時間帯にこんなに多くの囚人が残っている、大半の囚人が強制労働で留守にしてる時刻に」
「この者どもは私の忠実なる家臣だ」
僕とレイジの中間、どちらからも等距離に位置する壁に背中を凭せたサーシャが満足げにあたりを睥睨する。サーシャの周囲に侍った囚人はいずれも白色人種、さかんに交わされる私語はロシア語だ。
「皇帝の身辺を警護するために、皇帝に娯楽を饗するために、私が常にそばに侍らせている忠実なる者どもだ。強制労働などという無粋な些事は当然免除されてしかるべし、看守には私が許可をとった」
「君の独断で?」
「とくと聞け、東の愚民よ」
腕を組み壁に凭れた格好のサーシャが眼光の威圧を強める。
「私は北のトップ、実力で頂点を極め絶大なる権力を掌握した北のロシア皇帝だ。その私が直々に看守にかけあい今ここにいる者どもの自由を勝ち取ってやったのだ」
「サーシャ様には感謝してます」
「すべてサーシャ様のおかげです」
「サーシャ様は最高だ、素晴らしいお方だ、俺が今ここにこうしていられるのも全部サーシャ様のおかげです。偉大なる我らが皇帝が特別にとりはからってくれたからです」
「熱砂の砂漠で汗水たらして穴堀りせずにすんだのは我らが皇帝の恩寵あってこそ」
「業火の焼却炉に炙られて火傷を負わずにすんだのは我らが皇帝の慈悲あってこそ」
「極寒の下水道で凍死する運命を免れたのは我らが皇帝の寵愛あってこそ」
「すべてサーシャ様のおかげだ」
「皇帝万歳!」
「「皇帝万歳!」」
熱に浮かされたようにひとりが呟けばまたひとり、またひとりと口々にサーシャを褒め称え始める。絢爛な美辞麗句で飾った称賛の言葉が、ざわめきからどよめきへ、そして鼓膜を震わす大合唱へと膨れ上がる。ツァー・ウーラ、ツァー・ウーラ……皇帝万歳、皇帝万歳とロシア語で合唱する囚人たちは皆サーシャに心酔しているらしく、新興宗教の集会を彷彿とさせる熱狂の面持ちで高々とこぶしを突き上げる。恍惚とぬれた目で、興奮に上気した頬で、陶酔した面持ちで、集団催眠にでもかかったような一糸乱れぬ統制ぶりでこぶしを掲げてサーシャを褒め称える囚人たちの様子に背筋が寒くなる。彼らは皆心からサーシャを崇拝し尊敬している。たとえサーシャにナイフで切り刻まれる羽目になっても本望だという目の狂熱は、カリスマ的指導者に扇動された民衆のそれだ。
狂気は伝染する。
完全なる狂人たるサーシャが支配する北棟には、狂気が蔓延っている。
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
渡り廊下を揺るがす大合唱。皆が皆サーシャを囲み、これから催される出し物をたのしみにしている。僕に逃げ場はない。サーシャにナイフを渡され、レイジとの殺し合いを命じられたのはほんの数分前、ついさっきの出来事だというのに奇妙に現実感が希薄で悪い夢を見ているようだ。サーシャの家臣を名乗る連中に脇を固められ、わけもわからぬまま渡り廊下へと強制連行された。何故わざわざ場所を移したのか?サーシャに聞かずともわかる、目の前に明解な答えが提示されている。囚人の房が並んだ廊下より渡り廊下のほうが幅広く、観客を多く収容でき、殺し合いに適している。
サーシャは僕らの殺し合いを、見世物にする気だ。
サーシャの房から渡り廊下へと場所を移し、今再びレイジと向き合う。片手にナイフを握り締めたレイジは場違いにリラックスしたポーズで佇んでいた。緊張感などかけらもない顔で、口元には笑みを浮かべている。房の扉を開けたときは上半身裸だったが、今はちゃんと上着を身につけ、金の十字架をシャツの内側に隠している。対する僕は、予想外の事態に動転していた。
『殺し合え』
冷酷な声音でサーシャに命じられ、僕はナイフを拾い上げてしまった。あの時はそうするより他になかった。僕が殺し合いを拒めばサーシャは激怒する、そして僕はサーシャに殺されていた。皇帝は自分に逆らう者に容赦しない。僕に拒否権はない。生きて北棟をでるためにはサーシャの言うとおり戦うしかない。
僕の相手はレイジ。東京プリズン最強の男、無敵無敗のブラックワーク覇者。
「………」
心臓の鼓動が高鳴り、腋の下に不快な汗が滲む。何故レイジと戦わなければいけないんだ?そんな理由どこにもないのに。サーシャの房を訪ね、レイジが応対にでたときは怒りに我を忘れた。レイジときたら上半身裸で、首筋に鎖骨に胸板に脇腹に、至るところに散った淫らな痣を隠しもせずに、あくびを噛み殺して僕の前にでてきたのだ。レイジが行方不明になってからずっと僕は気を揉んでいた。レイジの居場所がわからず焦燥を募らせ、もしロンにレイジの様子を聞かれたらなんて答えればよいかと深刻に悩んでいた。それなのにレイジときたらよりにもよってサーシャの房に、半年前に自分を本気で殺そうとした男のもとに入り浸り、倒錯した情事に耽っていたのだ。
殴りたかった。
おもいきり殴って目を覚まさせてやりたかった、レイジを殴るのは不可能だとわかっていたがそれでも怒りがおさまらなかった。レイジときたらロンがタジマに襲われた夜も、ロンの身の上に起きてることなど何も知らずにサーシャに抱かれて快楽に溺れていたのだ。ロンは肋骨を骨折して、全身十三箇所の打撲傷を負って、ベッドから動けずただでさえ心細い思いをしているというのにレイジがその間なにをしていたかといえば一度もロンの見舞いに行かずにサーシャとの情事に溺れていた。サーシャにはげしく抱かれて理性を散らされ、ロンのことなど頭からさっぱり消し去っていたのだ。
ロンはずっと、レイジを待っていたのに。
レイジの帰りを待ち続けていたのに。
レイジが元気な顔を見せてくれる日を心待ちにして、今もベッドに上体を起こして廊下の物音に耳をそばだてているに違いないのに、レイジは「ロンの見舞いには行かない」と公言した。ロンなどもうどうでもいいと、懐かない猫には興味を失ったとあっさり言ってのけたのだ。
だがしかし、レイジとの殺し合いなど僕は望んでいない。レイジがどう思ってるかはわからないが、少なくとも僕はレイジとの殺し合いなど望んでないのだ。
「レイジ」
今ならまだ間に合う、馬鹿げたことはやめるんだ。ナイフを捨て、冷静に話し合いをもつんだ。
頭の片隅で理性が囁く。歓声がこだまする渡り廊下にて、対峙したレイジに声をかける。
「一緒に東棟に帰るんだ」
「やだ」
レイジの返事はひどくあっさりしていた。
「ロンの見舞いに行け。ロンは君のことを心配し、首を長くして帰りを待っている」
「やだね」
ナイフをもてあそびながら答えるレイジに苛立ちが募り、声を荒げる。
「駄々をこねるんじゃない、子供か君は!?どうしてしまったんだ一体、君とロンの間になにがあったんだ?覚えているだろうレイジ、ついこのあいだのことだ。無駄に体力のありあまった君に無理矢理バスケットボールに付き合わされた」
目を閉じれば思い出す。汗でぐっしょりぬれた上着が背中にはりついていた。外で寝転がるのは生まれて初めての体験だった。体は疲れていたが、不思議と気分爽快だった。青空が目に染みた。蒼穹は高く高く、どこまでも頭の上に広がっていた。乾燥した青。上着の背中を通して感じたコンクリートの熱さやざらついた質感が甦り、胸が絞め付けられる。
あの時隣に寝転がったレイジは、笑っていた。
運動して汗をかき、気持ち良さそうに笑っていた。
上着の胸を上下させ、呼吸を整え、コンクリートの地面に大の字に手足を投げ出して、普通の少年みたいに笑っていたじゃないか。
「レイジ、覚えているだろう。忘れたとは言わせない、君はあの時僕の隣に寝転がってこう言ったな。自分とロンは同じだ、ロンは初めて会った時に大事なことを教えてくれた。当たり前のことを当たり前に言ってくれた。だからロンが大事だと、すごく大事だと、笑顔でのろけていたじゃないか」
つい数週間前のことが、何年も昔のことのように遠い。
あの時僕の隣にいたレイジと今僕の目の前にいるレイジは本当に同一人物なのだろうか?別人であってくれたらどれだけ救われるか知れない。レイジは僕の言葉にも心動かされた様子なく、退屈そうにナイフをもてあそんでいた。口元に目を凝らせば、いつもの鼻歌を口ずさんでいた。
奇妙な果実。
「「ツァー・ウーラ!!」」
「「ツァー・ウーラ!!」」
「レイジ、こちらを見ろ。顔を上げろ、僕の話を聞け。一体どうしてしまったんだ?数週間前とは別人だ。ロンとのあいだになにがあったかは知らない、僕に口出しする権利はないし義務もない。だが、」
だがなんだ?言葉を続けようとして、慄然と立ち竦む。
レイジはひとりぼっちで唄っている。
なんて寂しい歌だ。
渡り廊下にはこんなに人がいるのに、サーシャとその手下が今か今かと開幕の合図を待っているのに、レイジ一人別世界にいるかのようだ。救いがたく孤独で、近寄りがたく静謐で、周囲の大合唱とは無縁の歌声。甘くかすれた独特の響きの歌声は魅惑的で、郷愁が胸に染みて、何故だかロンの顔を思い出す。
今もベッドに上体を起こして、何日もやってこないレイジを待ち続ける横顔。
『俺、ロン好きだよ』
「あれは嘘なのか」
『あいついいヤツだもん』
「ずっと、ロンを好きな演技をしていたのか」
『お節介でお人よしで心配性で負けず嫌いで意地っ張りで、でも根っこじゃ本当にいいヤツなんだ』
「ロンを抱くのだけが目的で、それ以外はどうでもよくて、上辺だけ親切に接していたのか。半年前危険を顧みず監視塔にきたのも、売春班の扉を蹴破ったのも、ペア戦100人抜きを宣言したのも……体目当てにロンの歓心を買いたくて、ただそれだけだったのか」
「それだけだよ」
レイジが薄く微笑む。
「知ってたキーストア?俺すっげえ淫乱なんだ。男相手でも女相手でもセックスが大好きなの。気持ちいいことが大好きで、十歳のガキの頃から何人もと寝てきた。男も女も変態も相手には不自由しなくて一通りのセックスは試してみた、突っ込むのも突っ込まれるのもしゃぶるのもしゃぶらせるのもちょっとここでは言えねーようなことも……詳細は想像に任せるけどな」
なにがおかしいのか、くっと喉を鳴らす。
「ロンに手を出したのは遊びだよ。たった十三歳のガキが男ばっかの檻の中に放りこまれて、野郎どもがケツ掘りあってる環境に染まらずに……からかい甲斐あんだろ?すぐムキになるから面白いし、結構退屈しなかった。東京プリズンじゃ珍しくまともなヤツだから、俺みたいにどっか壊れてるヤツはちょっかいかけたくなるんだよ」
こめかみを指さし、続ける。
「俺がどんなにちょっかいかけてもなびかねえし、男になんか興味ねえの一点張り。面白かったぜ、あいつおちょくるのは。悪夢よけのおまじないって額にキスすりゃ殴り返してくるし、寝入りばな押し倒しゃ顔面に枕投げつける脊髄反射の過剰反応だ。育ちは悪ィけど擦れてないつか、根っこがホントまともなんだよな。ママのおっぱい恋しさに飛び起きる普通のガキだ」
口元に意地悪い笑みが浮かぶ。
ロンのことなど暇つぶしの玩具としか思ってない酷薄な笑み。
「あいつがあんまりまともだから、めちゃくちゃにしてやりたかったんだよ」
やめろ。それ以上聞きたくない。
「押し倒して組み敷いてめちゃくちゃに感じさせてみたかったんだ。もうやめろ、やめてレイジって俺に泣いて頼むようになるまで躾てやりたかったんだ。わかるだろ?野良気取りの生意気な子猫を手懐けてみたかったんだ。ヤってヤってヤりまくって頭ん中俺のことだけでいっぱいにしてやりたかった、さんざ突っ込んでしゃぶらせて俺なしじゃ生きてけない体にしたかった」
今僕の目の前にいる男はだれだ?
気持ちが悪い、吐き気がする。眩暈に襲われてよろけた僕の視線の先では男が邪悪に笑っている、レイジの顔をした悪魔が笑っている。
洗練された動作で片腕を掲げ、横薙ぎにナイフを一閃。銀の軌跡を描いてナイフが閃き、虚空を切り裂く。ナイフを扱うレイジの手つきは暗殺者のそれだった。あざやかな軌跡が虚空で交差し、腕が上下する風圧に前髪が舞いあがる。
長く優雅な睫毛に縁取られた切れ長の双眸、色素の薄い瞳。
その目に宿るのは、人を見下す傲慢な色。
「そういう遊びだよ」
僕の目の前にいるのは、王様じゃない。
暴君。
「………そうか」
レイジは昔に戻ってしまった。僕と出会う遥か前、ロンと出会う少し前、暴君と呼ばれていた時代に。深呼吸し、汗でぬれた手にナイフを構え直す。今のレイジは僕のよく知る王様じゃない、鼻歌まじりにサーシャの背中を切り刻んだ暴君だ。
だが、逃げるわけにはいかない。
ここで逃げたら、敗北を認めることになる。
「レイジ。改めて言わせてもらうが、僕は君が大嫌いだ」
「ありがとう。俺も嫌いだよ」
「ならお互い遠慮なく殺し合えるな」
「手加減しなくていいの?死ぬよ」
レイジが小さく笑う。僕の心は奇妙に落ち着いていた。さっきまであれほどうるさかった心臓の音が静まり、集中力が高まり、周囲の喧騒が遠のいた。目を閉じれば、瞼の裏の暗闇にサムライの顔が浮かぶ。
僕のことを心から心配する友人。
僕を待つ、友人。
こんな殺し合いは無意味だと頭の片隅に一握り残った理性が囁く。僕とレイジが殺し合う理由などどこにもない、と頭ではわかっている。そうまでしてサーシャの命令に従うなんて天才のプライドはどこへやった、鍵屋崎直?
……違う。
ゆっくりと目を開け、まっすぐにレイジを見据える。
「医務室へ行く気がないのはよくわかった。なら、医務室送りにすればいいだけだと気付いたんだ。そうすれば必然的にロンと顔を合わすことになるからな。どうだ、合理的結論だろう」
サーシャの命令に従うのはプライドが許さないが、レイジから逃げるのはそれ以上の屈辱だ。
勝ち目のない戦いだとわかっている。へたしたら死ぬかもしれないと考えてもいる。だが、今ここから逃げ出したらレイジとロンは一生すれ違ったままだ。
僕は知っている、今もロンがレイジを待ち続けていることを。
時々ふと顔を上げ、ドアの方を振り返り、音痴な鼻歌が聞こえてこないかと耳を澄ましていることを。
僕は知っている、青空の下で「ロンが本当に大事だ」とレイジが語ったことを。さっき僕が「ロンに会いに行け」と詰め寄った時、レイジが嬉しそうに笑ったことを。ロンに自分以外の友人ができたことを喜んで、思わず笑ってしまったことを。
知っているのは僕だけだ。
どうにかできるのは僕だけだ。
「準備はできたか、二匹のサバーカ」
氷点下の声が響く。壁から背中を起こしたサーシャが僕ら二人を見比べる。
「上等だぜ、クレイジー・エンペラーがびっくり仰天して腰ぬかすとっときの芸を見せてやら」
あざやかにナイフを回転させ、鋭利な切っ先をサーシャに擬すレイジ。
不敵に宣戦布告したレイジに笑みを返し、尊大に腕を組んだサーシャが吐き捨てる。
「ナイフをむける相手が違うぞ、馬鹿な犬め。次に不敬な真似をしたら白い粉をふりかけたナイフを舐めさせる。舌が切れないよう用心しろ、私のモノを舐めるよう丁寧にやれ。お前が本気をだせばありえない事態だが、万一負けた場合は罰を下す」
「罰ってどんな」
「聞きたいか?」
『……I'm sorry My emperor.I do not hear it.』
おどけて首を竦めたレイジから僕へと視線を移したサーシャが厳粛に首肯し、大股に歩み出る。僕とレイジの間に立ったサーシャがぐるりを睥睨すれば、それまでの喧騒が嘘のように囚人が大人しくなり、水を打ったように静まり返る。
サーシャが儀式めいた動作で片手を振り上げる。その手に握られていたのは一本のナイフ。渡り廊下に居合わせた全員が固唾を飲んで見守る中、頭上にナイフを捧げたサーシャが宣言。
「さあ、存分に殺し合え二匹のサバーカよ。容赦も慈悲も無用だ、皇帝の名の下に互いの喉笛を噛み千切れ。皇帝の威光しろしめす闘技場にて血の雨降らす殺し合いを演じてみせろ。
ここは監獄の廊下にあらず、煉獄の吊り橋なり。
ここより先に光はなく、ここより先に希望はない。
生きて北を脱するには実力行使あるのみ、その手のナイフで煉獄の炎を薙ぎ払い道を切りひらけ」
サーシャが鋭く腕を一閃、銀の軌跡をひいたナイフが足元へと直下する。
細腕に見合わぬ握力のなせる技か、コンクリ床を深々抉ったナイフに歓声が爆発する。
『ЧРАААーーーーーーーーー!!!!!!』
ロシア語の「万歳」が渡り廊下を揺るがすのと、僕が床を蹴るのは同時だった。
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