少年プリズン

まさみ

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三百九話

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 「こんなところに隠れてやがったのか、半々」
 脇道の通路に転がりこんできたのは凱。俺の宿敵、因縁の相手。
 東京プリズン入所以来憎い台湾人の血を半分受け継ぐ俺を目の敵にして、大勢の子分どもに顎をしゃくってさんざんちょっかいかけてきた。レイジとサムライに次ぐナンバー3の実力者で東棟最大の中国系派閥のトップ、 傘下に子分三百人を擁する大所帯のボスだ。
 凱にはこれまでさんざん酷い目に遭わされてきた。
 食堂でわざと肘をぶつけられて食器類をぶちまけたことだって一度や二度じゃない、イエローワークの肉体労働後の空きっ腹に飯抜きはひどくこたえて、ささやかな塩分補給に指の皮を剥いて食べた。
 廊下ですれちがいざま小突かれたり唾吐かれたりは日常茶飯事で、「半々」の蔑称で呼び習わされることにもすっかり慣れちまって、この頃じゃあ反感も持たなくなっちまった。
 鍵屋崎が来たばかりの頃、イエローワークの砂漠で生き埋めにされかけた。頭上に大量の砂をぶっかけられた、目や穴や口、服の内側にまで砂が入りこんでじゃりじゃりした。労働放棄した野次馬どもがやんやと喝采をあげる中、ズボンをひっぺがされてケツを掘られそうになった。
 あの時のことは鮮明に覚えてる、忘れようったって忘れられねえ。
 凱さえいなきゃ俺は今よりいくらか東京プリズンで平和に過ごせたはずだ、安息の日々とやらが訪れたはずだ。俺のムショ生活を灰色にした二大悪たる張本人はタジマと凱で、俺はどっちも大嫌いだ。
 いや、大嫌いなんて言葉じゃ生易しい生ぬるい。
 今まで凱やタジマにされてきたこと、舐めさせられた屈辱の数々を思い返せば、頭が瞬間沸騰して理性が飛びそうになる。
 その凱が、俺のムショ生活を灰色に変えた張本人の凱が、現実に目の前にいる。
 コンクリ壁を背に追い詰められた俺は、ごくりと音たてて生唾を嚥下する。緊張で手のひらが汗ばみ、体が強張る。凱相手にびびってるのか?情けねえ。虚勢と自嘲とが入り混じった笑みを強いて浮かべようとし、失敗した。
 俺の身に危機が迫っている。これ以上ない危機が。
 無敵の救世主が現れるなんて都合いい展開は期待できない。
 そんな展開はありえない。
 俺は四面楚歌の状況で、周りには敵しかいなくて、背後は行き止まりの壁で鼻先には凱が立ち塞がって、狭苦しい脇道に追いこまれて逃げ場がない。
 表通路じゃ既に大捕り物が始まってる、凱の子分どもと看守勢が入り乱れた大乱闘。
 「この野郎大人しくしやがれ、看守に逆らったらどうなるかわかってんだろうな!」
 「後ろ手に手錠かけて独居房にぶちこんでやるから覚悟しろ、看守に手え上げたんだ、最低三日は丸太みたく汚物まみれの床に転がして自分のクソ食わしてやる!!」
 「はっ、いきがんじゃねえよ無能のくせに!タジマ一匹見つけられねえくせに囚人相手だと途端に態度でかくなるんだな、警棒振りまわして囚人脅すしか能がねえ看守どもは引っ込んでろよ!」
 「俺たちゃ凱さんのリベンジ戦観に来たんだ、その為にわざわざここに集まったんだ!邪魔すんなよ肥満腹、そんな脂肪太りした体で強制労働で鍛えた俺た囚人サマを捕まえられると思ってんのかよ!?」
 口汚く罵声を浴びせる看守を中指突きたて挑発する囚人。
 残虐兄弟がぴたりと呼吸の合った連携プレイで看守に足払いをかけて上に跨り滅多打ち、まだ看守に取り押さえられてない生き残りのガキどもが二手に分かれ、先鋒の組が派手に暴れて陽動してるあいだに後続の組が死角に回りこみ、一気に攻め入る。
 「あんちゃん、今だ、いけっ!残虐パンチをお見舞いしてやれ!」
 弟の声援に気を良くした兄貴が、こぶしに吐息を吹きかける。 
 「任せとけ弟よ、目ん玉かっぽじって兄ちゃんの勇姿を見とけ!」
 いや、目ん玉かっぽじったらそもそも見えねえし。
 心中突っ込んだ俺をよそに、表通路は乱戦模様を呈し始めた。
 逆上した看守ども歯向かう囚人。常日頃から対立する二大勢力がぶつかりあい濛々と埃を舞い上げて取っ組み合いを始める。
 始末に負えない。
 凱の子分どもはトップに負けず劣らず好戦意欲旺盛な馬鹿揃いで、殴る蹴る頭突く喧嘩に使う体力持て余していた。手がでる足がでる鉄パイプが空を切るスタンガンが火花を散らす。独居房にぶちこまれるくらいなら死ぬ気で歯向かってやると捨て身の反撃にでたガキどもが、目をぎらぎら輝かせて看守にとびかかる。
 罵声と悲鳴と絶叫、こぶしが肉を打つ鈍い音、鉄パイプが壁を穿つ音。
 表通路は阿鼻叫喚の戦場と化した。
 殺伐と荒廃した空気が漂う表通路に不用意に飛び出せば最後、鉄パイプで頭蓋骨陥没は必至。
 今飛び出すのは危険だ、あまりに危険すぎる。
 俺は命知らずの馬鹿じゃない、あたりまえに命は惜しい、戦場のど真ん中に身ひとつで飛び出してくような自殺行為には意味がない。
 けど、このままここにいたって状況は変わらない。
 即ち絶体絶命危機的状況、都合よく助けなんかきやしない。俺の鼻先には威風堂々と凱が立ち塞がってる、小柄な俺を圧する凱の巨体が尊大にふんぞり返って正面を塞いでる。
 壁に背中を付け、顎を引き、考える。
 こんなとこで愚図愚図してる場合じゃない、凱に絡まれてる暇はない。今の俺は一分一秒が惜しい身の上、一刻も早く地下停留場にとんでいって最終決戦に挑むレイジを激励してやらなきゃいけないのだ。
 俺には大事な役目がある。俺しかできないこと、俺じゃなきゃ駄目な仕事、他の誰にも転嫁できない一世一代の大仕事が目先に控えているのだ。そうだ、レイジの背中を押すのは他の誰でもなく俺じゃなきゃ駄目なんだ。 
 他人に肩代わりさせてなるもんか。レイジを戦場に送り出すのは、生還の約束を取り付けるのは、俺じゃなきゃ駄目なんだ。

 レイジには、俺がついててやらなきゃ駄目だ。
 王様はあれで、寂しがり屋だから。

 「でかい図体で道塞いでねえでとっととそこどけよ、凱」
 王様に発破をかけて、必ず帰ってこいよって本音を伝えて。
 俺にはレイジが必要だ。レイジには俺が必要だ。どちらか一方が欠けても駄目だ、俺が今日まで東京プリズンで生き延びれたのはレイジがいたからでそれはつまりレイジのおかげで。
 俺はレイジに、借りを返さなきゃいけない。
 今まで世話になりっぱなしだった借りを、迷惑かけっぱなしだった借りを。
 一人前の相棒としてレイジに認めてもらうためにも、あいつの背中を守ってやらなきゃ。  
 あいつが帰る場所を守ってやらなきゃ。
 大きく息を吸い、固い決意を宿した目で凱を見据える。正直怖かった。俺はびびっていた。
 凱に立ち向かうのは怖かった。
 こうして相対して圧倒的な体格差に気圧されて、顎の角張った威圧的な面構えで見下ろされて、無意識にあとじさりそうになった。
 凱に対する恐怖はまだ完全に拭い去れてない。
 イエローワークの砂漠でケツを剥かれて犯られかけた。強姦未遂。展望台から帰る途中の廊下で服に手を突っ込まれて人に言えない場所をあちこちまさぐられた。強姦未遂。
 未遂未遂、奇跡的に幸運な未遂の連続。
 だが、今度も未遂で済む保証はない。
 足腰が萎えそうだ。逃げ出したい衝動と戦いながら、唇を噛みしめ、精一杯の虚勢を張って凱と対峙する。凱は怖い。だからなんだ、それがどうした?凱をどかさなきゃレイジに会えない、あいつのところへ行けない。
 はなから選択肢はない。結論はもうでてる。
 あとは、決断するだけだ。
 「どうしたんだよおっかない顔して。俺にのしかかられてびびってんのかよ」
 壁に片手をついた凱が上体を屈め、前傾姿勢をとり、俺へと顔を近付ける。 無精髭の濃い顎を突き出し、至近距離から顔を覗きこまれ、喉がひきつる。
 唇と唇が接触寸前だ。気色悪い、むさ苦しい顔近付けるんじゃねえと叫びだしたい衝動を自制心を振り絞りどうにか堪えた。
 目の前に凱がいる。壁に片手をついて、俺に覆い被さるようにしてにやにやと顔を覗きこんでいる。
 分厚い唇を捻じ曲げた野卑な笑顔。
 「こちとらとんだ計算違いだぜ。決勝戦が始まってる今なら看守も試合見物を決めこんで、警備がおろそかになってると踏んだのによ。医務室がお留守になってる今なら、前回のリベンジ戦を心おきなくたっぷり行えるって意気揚揚と出向いてきたってのに、いいところで邪魔が入りやがった」
 混乱の極みの表通路を一瞥し、凱が舌打ち。露骨に不快げな態度。
 そりゃそうだろう。
 凱にしてみりゃ、子分どもの前で恥かかされた前回のリベンジ戦のつもりで、地下停留場に向かう通路の途中で俺を待ち伏せしてたのだ。
 いや、待ち伏せという表現は正しくない。凱は子分どもを率いて医務室に攻めこむつもりで、その途中でばったり俺と出くわしたのだから。
 凱にしてみりゃ長い道のり歩いて医務室へ乗り込む手間が省けて万万歳だ。

 目隠しして、牌を遠方に放り投げて、犬の真似をさせて。

 仲間が笑いながら観てる前で存分に俺を嬲り者にして、溜飲をさげたところで興醒めな邪魔が入り、凱が不機嫌になったのもわかる。
 凱はまだ、このくだらないお遊戯を続けるつもりだ。執念深い凱はまだ前回の敗北を根に持ってる、まだまだ俺を痛め付けなきゃ気が済まない物足りないと妄執に狂った目が語っている。
 「どうせもう少ししたら俺の居所もばれちまう。看守に見つかるのは時間の問題だ。けど、その2・3分がありゃあたらしく骨をへし折るには十分だよなあ?」
 凱の語尾が上擦り、片手で頭を鷲掴みにされる。
 万力めいた五指でぎりぎり締め上げられ、頭蓋骨が軋む。激痛。凱の手を外そうと手首を掴むが、とんでもない怪力で押そうが引こうがびくともしない。化け物じみた握力。赤ん坊の頭くらい容易に捻り潰せそうだ。 
 「ロ、ロンさん!?」
 「ひっこんでろビバリー、これは俺の喧嘩だ!」
 慌てふためいたビバリーを一喝して黙らせる。
 そうだ、これは俺の喧嘩だ。俺が買った喧嘩だ。部外者はひっこんでろ、指をくわえて見物してろ。
 ビバリーが要らぬ口だしをしてとばっちりをくったら、と牽制したのもある。
 でもそれ以上に俺は、喧嘩を横取りされるのがいやだったのだ。俺だって地元池袋じゃ悪名高い武闘派チームで場数を踏んだ前科の持ち主だ。
 凱に負けてたまるか。
 喧嘩じゃ先に目を逸らした方が負けだ。
 喧嘩に肝要なのはハッタリだ。
 ハッタリを利かせた物腰で窮地を切りぬけるのは俺の得意技だ。心の奥底じゃ日々降り積もった凱に対する恐怖が払拭できなくても、虚勢を張って、努めて平気なふりで対峙することはできる。
 力を貸してくれレイジ。
 手のひらに牌を握りしめ、切実な一念をこめる。
 俺には牌がある。レイジに渡した牌の片割れ、お揃いのお守り。だから大丈夫だ、俺にはレイジがついてる。
 深呼吸で心を静め、顎を引き、しっかりと目を見開いて凱を見据える。
 どこまでも愚直に一途に、意志を貫く眼光で。
 『不要客気』
 凱が妙な顔をする。俺の言葉に耳を疑ったようだ。
 「遠慮はいらねえ。どこでもへし折りたきゃへし折れよ。頭蓋骨でも腕でも足でもお望みのところをへし折りゃいいだろ、薪みたいに乾いたいい音がするだろうさ」
 「ちょ、ロンさん頭どうかしたんスか!?」
 ビバリーが目ん玉ひん剥いて身を乗り出すのを片手で制し、低く押えた口調で続ける。
 心は不思議と落ち着いていた。凪の状態だった。
 一度覚悟を固めたら、気のせいか肋骨の激痛も薄らぎ始めた。決心を固めるのに少し時間が要ったが、自分が口にしたことに後悔はなかった。
 当惑したのは凱の方だ。ビバリーとおなじく俺の正気を疑うように目を細め、手の力を抜く。
 弛緩した凱の手をゆっくり頭から外し、顔を上げる。
 今の俺には笑みを浮かべる余裕さえあった。たとえそれが虚勢の笑みであっても。
 「それがお前の望みなんだろ。それでお前は満足なんだろ。さあいいぜ、どこでもへし折って間接増やしてくれよ。こないだお前に折られた肋骨もまだ完全にはくっついてねえけど、かまやしねえ。けど」
 言葉を切り、一呼吸おく。
 そっと瞼を閉じれば、レイジの面影が脳裏に浮かぶ。
 俺が腐るほど見慣れた能天気な笑顔。今は遠いところにある笑顔。
 レイジのところに行かなくちゃ。あいつをひとりにするのはいやだ。
 俺の相棒は恰好つけたがりのくせにひどく寂しがり屋だから、俺がそばにいなきゃ不安で不安でしょうがなくて。
 「体じゅうの骨をへし折ったくらいで、俺を止められると思ったら大間違いだ」
 痛いほど手に牌を握りしめ、凱を直視する。
 「俺は這ってでも地下停留場に行く、試合会場に行く。お前が何度邪魔しようが何度蹴り倒されようが殴り倒されようが関係ねえ、ささいなことだ。俺はもう一度レイジに会うためなら手段を選ばない、レイジの笑顔のためなら他のなにを売り払っても惜しくない。
 あいつの笑顔にはそれだけの価値がある。いまさら骨の一本や二本、三本や四本五本折れようが俺があきらめるとでも思ってるのかよ?その程度のことで、レイジをあきらめるとでも思ってるのかよ!?」
 発作的に凱の胸ぐらを掴む。
 俺の剣幕に気圧された凱が驚愕に目を剥く。いつもやられっぱなしの俺が、なにをとち狂ったのか自分の胸ぐらを掴み、啖呵を切っているのだ。
 俺は無我夢中だった。もう一度レイジに会う為なら手段を選ばないと本気で口にして、前言を実行するのに一瞬の躊躇もなかった。
 「東棟最大の中国系派閥のボス、三百人の子分を抱える裸の王様凱の恥ずかしい秘密を今ここで暴露してやる!凱ごときを崇拝してる中国人のガキども、耳の穴かっぽじって風通しよくして拝聴しやがれ!!」
 「!?なっ、」
 凱の胸ぐらを掴んだまま、大口開けて叫ぶ。そんなことすりゃ自ら居場所を知らせることになると重々承知していたが、やめなかった。背に腹はかえられない、手段は選んでいられないと自分で言ったばかりじゃないか。
 「東棟最大の中国系派閥のボスとして日頃威張りくさってる凱が、実は娘にベタ惚れのバカ親父だってことは割と知られてるが、今から半年ばかし前廊下歩いてるときに娘の写真おっことして!」
 「わーーーーー!!!!」
 凱がみっともなく取り乱すが、やめない。口を塞ごうと迫りくる凱の手におもいきり噛みつき、続ける。
 「ズボンの膝が汚れるのにも頓着せず必死こいて捜しまくって!」 
 「てめえくそふざけんなただじゃおかねえぞこの半々っ、写真のこた黙ってろって約束したじゃねえかくそ、最悪のタイミングで暴露しやがって看守だっていやがるのに!?」
 凱は完全に気が動転してた。最前までの余裕は綺麗さっぱり消し飛んでた。凱が娘を溺愛してることは写真を見せられた子分どもには周知の事実だろうが、写真を紛失した凱が何時間も廊下を行ったり来たりしてたことは俺たち二人だけの秘密だ。
 少なくとも今この瞬間まではそういう取り決めになっていた、言うなりゃ暗黙の了解ってやつだ。
 こうなりゃヤケだ。だんだん楽しくなってきた。凱をおちょくる機会などこの先いつ訪れるかわからない。ならばこの機会に悔いなく積年の恨みを晴らさねば。
 「なあ教えてくれよ凱。俺が拾った写真涎でべたついてたんだけど、あれひょっとしてお前がキスしたからじゃねえか?自分そっくりの可愛い可愛い娘の顔にぶちゅうってキスしたんだよな、子分どもに隠れてこっそりと!!そりゃそうだよな、娘可愛さに鼻の下のばした腑抜け面なんざ人前に晒せないよな!」
 『不可以説!!』
 しゃべるな!!
 『没有忘記!!』
 忘れられるか!!
 俺をとっ捕まえようと凱の腕がのびてくるのをかいくぐり、ビバリーへと駆け寄る。足が縺れ、バランスを崩し、転倒寸前にビバリーに肩を支えられる。 ビバリーに肩を抱かれて顔を起こした俺は、してやったりと笑い、怒り心頭の凱を仰ぐ。
 その意気。いい調子だ。
 「凱、取引だ。これ以上恥ずかしい秘密をばらされたくなかったら言うことを聞け」
 こめかみの血管を脈打たせ、静脈が浮き立つほどに両こぶしを握りしめ、怒りに充血した面相でもはや声もなく口を開閉する凱に間髪入れず畳みかける。
 「『半々の分際で俺さまに命令たあ何様のつもりだ』って言いたいのか?ざまみろ、代わりに言ってやったぜ。気が済んだろ、今度は俺の番だ」
 表通路のどよめき。
 「まさかあの凱さんが!?」
 「親バカなのは知ってたけど娘の写真にキスって……マジかよ」
 「引くぜ」
 「あんちゃん、涎まみれの写真てばっちいな。写真なんか舐めても美味くねえのにな」
 「同感だ弟よ」
 凱の素顔を知らされた子分どもの間に動揺が広がる。
 今さら表にでれない、それこそ晒し者になりにいくようなものだ。
 壁を背に目を白黒させる凱へと詰めより、胸に人さし指をつきつけ、真面目くさって命令する。
 「お前、俺を地下停留場に連れてけ」
 命令、というより脅迫に近かった。凱に拒否権はないのだから。これ以上恥ずかしい秘密を暴露され子分どもの人望を失いたくなければ俺の言うことに従うしかないとわかりきっているのだから。
 俺を担いだビバリーが寝耳に水の発言にぎょっとする。
 「ロンさんあんた正気っスか、お熱あるんじゃないスか!?ひょっとしてサマンサの呪いっスか、無念の死を遂げたサマンサの霊魂がロンさんに祟りをなして……」
 「さあどうする、俺はいいんだぜ別に、お前が廊下を行ったり来たりして写真一枚のために汗水流してるさまを詳細に記述してやっても!普段威張りくさってるお前がどんだけ親バカか子分どもに思い知らせてやっても!」
 気迫をこめた面構えで圧力をかけ、決断を迫る。四面楚歌の窮地に追い込まれた凱はぐっと煮詰まり、射殺さんばかりの目つきで俺を睨んでいたが、舌打ちの後で顔を伏せる。
 「……おんぶかだっこか選べ」 
 「は?」
 「おんぶでふぁいなるあんさー!」
 語尾を横取りしたのはビバリーだった。
 次の瞬間、体が浮遊感に包まれ、足裏が浮く。俺の体をひょいと肩に担ぎ上げた凱が、苦虫をまとめて十匹は噛み潰した表情で吐き捨てる。
 「……ふざけやがって。今すぐ殺しちまいたいのが本音だが、俺にも守りてえ威厳ってもんがある。この場は譲歩して顔を立ててやるが、お前を地下停留場に連れてって決勝戦が終わった後にでもじっくりたっぷり心ゆくまで殺してやるよ」
 凱なりの死刑宣告。
 「ああああああああああああっくそおおおおおっ親バカの何が悪いんだよ、娘の写真に接吻なんて世の親父どもが普通にやってることじゃねえかよおおおおお!!!!」
 狂える咆哮がびりびりと大気を震わし通路に響き渡る。
 凱の怒号に看守と囚人全員が動きを止めた時には既に遅く、地響きの足音をたて表通路にとびだした凱が怒り荒ぶる双眸で周囲を睥睨する。
 凱の眼球は獰猛に血走っていた。鼻息は暴れ牛のように荒かった。
 「と、取り押さえろ!」
 「手錠かけて独居房にぶちこんどけ!」
 「こらおとなしく、ぶっ!?」
 なりふりかまわず暴れて並居る看守を突き飛ばし蹴散らし、のみならずたまたまそばに居合わせた子分までも巻き添えで蹴倒して憤然と突き進む。
 凱の名を連呼する子分どもも凱を制止しようとさかんに叫び交わす看守も一切視界に入ってないのか、いや、見えていながら無視しているのか、俺とビバリーを二人一緒におぶった凱が地鳴りめいた足音を響かせて長い長い通路を疾駆する。
 「ちょ、凱さん凱さん!僕はともかくロンさんは怪我人なんですからもっと丁重に扱ってくださいっス、はげしい運動は骨に響きまス!!」 
 「贅沢言うんじゃねえ、パシってやってるだけ感謝しろ!」
 お人よしのビバリーが俺が言いたことを代弁してくれた。まったくそのとおりだ、少しは怪我人をいたわれってんだ。
 俺たちを振り落とさんばかりの勢いで凱が全力疾走する中、左右の景色が残像を曳いて後方に飛び去り、やがて床が傾斜。
 凱が大股に階段を駆けおりる途中、段差に足裏が着地するたび背負われた体が弾んで肋骨に響いた。
 図体でかいくせに凱の足は速かった。
 ビバリーに縋り、医務室からぜえはあ息を切らして歩いた距離が嘘みたいにあっというまに地下停留場までの道のりを走破してしまった。
 灰色のコンクリ壁が左右に延々と続く矩形の通路を走り続ければ、前方に光。
 地下停留場に通じる出入り口。
 『快鮎!』
 急げ!
 『了解!』
 わかってる!
 凱が加速する。振り落とされないようしっかり背中にしがみつく。振動が直に肋骨に響き、胸が苦しかった。全身の間接が軋んで悲鳴をあげた。
 もうすぐだ、もうすぐレイジに会える。レイジの笑顔が見れる。
 凱の背中に顔を埋め、牌を握った方のこぶしをおのれの顎下にあてがう。
 どうか間に合ってくれ。レイジとの約束を確かめるチャンスをくれ。
 いるならどうか、神様―……

 『今日の試合が終わったら抱かせてくれよ』
 レイジ―……

 光を抜けた。
 強烈な照明が網膜を射り、視界が漂白される。
 同時に地下停留場全体を揺るがす喝采があがる。
 一際澄んだゴングの甲高い音色。試合終了の合図。
 サムライの試合が終了したのだ。
 「サムライは!?」
 レイジは、鍵屋崎は?みんな無事なのか?凱の背中からずり落ちるようにコンクリ床に足裏をつければ、固い地面に平衡感覚が狂い、よろめく。
 反射的に俺を支えたのはビバリー。きょろきょろとあたりを見まわしつつ、数え切れないほどの人の頭越しに伸び上がるようにリングを窺い、そして。
 リングを指さしたビバリーの顔が燦然と輝く。

 『The winner is Samurai!!』

 ゴングが鳴り終わったあと、最後までリングに立っていたのは……
 サムライだった。
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