冥界隧道

まさみ

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幽霊列車⑤

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「ふみちゃん助けなきゃ」
「無理や、諦めろ」
「見捨てろっていうのか!」
「もう死んどる!」
ババババ、ババババ。先端で旋回するプロペラ、獰猛に唸るエンジン音。列車の天井を突き破って大量の弾丸が降り注ぎ、血と肉片が飛び散る。
「きゃああああああああ!」
「窓から飛び下りろ!」
「無茶よ死ぬ!」
「こんな時に何やってんだ車掌は!」
「操縦室へ行け、列車を止めるんだ!」
「お願いしますどうかこの子だけは」
逃げ惑うひとびと、酸鼻を極めた光景、阿鼻叫喚の地獄絵図。木刀を引っ掴んで軍人が蜂の巣と化し、赤ん坊をおぶった女が転び、坊主頭の男の子が倒れ込む。
瀕死と即死の区別が付かず、通路に折り重なった骸を無造作に蹴飛ばし、連結部の扉に殺到する群れ。
「なんまんだぶなんまんだぶ」
風呂敷包がほどけて干し柿をばら撒く。掠れた読経を機銃掃射の音がかき消す。
背凭れが弾け飛ぶ
「くそっ!」
仏を拝んだまま息絶えた老婆がやるせなく、力一杯座席を殴る。大勢に蹴飛ばされた木刀がスニーカーの先端に当たり、むんずと掴む。
「どうなってんだ、説明しろ!」
「惨劇の再現。痛い、熱い、怖い、苦しい、悔しい、哀しい、寂しい……トンネルに渦巻く亡者の念が、一番被害の酷かった車両の時を巻き戻して、当時の状況よみがえらせたんや」
「列車が見てる夢に巻き込まれたのか。どうすりゃ」
「ほっとけ。どうせ死んどる」
「殺されるゥゥウウゥゥウウゥゥウウゥ、助けてくれえええええ!」
狂ったように扉を叩く男も。
「よしよし泣かないで、すぐ静かになるからね」
おんぶした赤ん坊をあやす母親も。
「こんな所で死にたくない、せめて戦場で死なせてくれ!」
千人針を入れたお守り袋を握り締め、悔しがる青年も。
「きゃあああああああああああ!」
甲高い悲鳴が車両を駆ける。
バババババ、バババババ。
逆巻く風が髪を蹂躙し、列車の天井が剥がれ、吹っ飛び、ホバリングする米軍機が姿を現す。P-51マスタング。
四枚羽のプロペラが回る先端と尾を赤く染め、胴体と両翼に白い星をペイントした爆撃機が、逃げ遅れた少女に狙いを定める。
「ふみちゃん!」
席から投げ出されたはずみに落っこちた文化人形を、大人たちが蹴飛ばし踏み潰す。
「ほっとけるかよ!!」
腹は決まった。
床を蹴って全力疾駆、後ろ襟を掴んでふみちゃんを投げ飛ばす。
視界の端、茶倉がふみちゃんを受け止めたのを確認後、正眼に構えた木刀の切っ先をプロペラに擬す。
「推して参る」
コックピットは無人。
P-51マスタングの幽霊に啖呵を切り、裂帛の気合を込め走り出す。
「てえええええええええええい!」
失禁しそうな恐怖をねじ伏せ、逆走の勢いを殺さず横っ腹を薙ぎ切る。木刀が鉄を削り、一直線に火花が爆ぜ、踵を掠めるように夥しい弾痕が穿たれていく。
「アホが何して」
「夢まぼろしの世界なら想いの強さが勝ち負け決めんだろ!?」
この世界を形作ってんのが亡者の怨みなら、もっと強え願いで真っ直ぐ切り込む。
「P-51は俺がぶった斬る!!」
茶倉が顔を引き締め、ポケットから抜き放った札を虚空に展開。
「手伝うたる!」
「そうこなくっちゃ!」
呪符の爆風に乗じて加速、魚を下ろすように鋼鉄の機体を切断。
「くらえ斬鉄剣!」
切っ先が滑った側面に一条の浮かび、それが斜めにずれ、失速したプロペラが完全停止。
「チェスト!!」
呪符の段々を駆け上ってコックピットの頂を制し、前後左右に動く操縦梶に木刀を噛ます。
エンジンが油分を含む煤けた煙を噴き、空中分解した部品があちこちち飛び散る。
「伏せろ!」
ひびが入ったコックピットを蹴り、網棚に転がり込む。腹から墜落した戦闘機が、へし折れた翼で座席を破壊しながら進んでいく。
プロペラの折れ砕けた鼻先が扉の数メートル手前、生き残りに突っ込む寸前に止まる。
「あ……」
「たす、かった」
母親がおんぶする赤ん坊がキャッキャッと笑い出し、若い兵隊が腰砕けにへたりこむ。
「怪我ねえか」
足元に落ちた人形に気付き、軽く埃をはたいて渡せば、ふみちゃんが興奮しきった面持ちで叫ぶ。
「すごいねりっちゃん、ヒコーキ真っ二ツだ!茶倉お兄ちゃんのアレはなに?手品、魔法?ばばばってお札とばしてすご~いかっこいい、ふみにも教えてちょうだいっ」
「後でな」
「本当?絶対?指きりげんまん嘘吐いたら針せんぼんのーますっ」
再び指きりタイム。苦笑する俺の隣、茶倉が呆然と立ち尽くす。
「霊が消える」
背凭れに仰け反る老婆、通路に積み重なった死体、扉に押し寄せた男女の群れが白く光って霧散していく。
「なんで?斬ったから?」
「考えられる可能性としては、お前の無茶が過去を上書きしたんや」
茶倉の視線を追って上を向けば、先ほど吹っ飛んだ天井が甦り、座席も元通り修復されていた。
「あれっ、ふみちゃんは」
「成仏したんやろ」
黒煙燻す残骸の消滅を見届けたのち、ふみちゃんの蒸発に思い当たる。
「逝っちまったのか……ちゃんとお別れしたかったのに」
指を絡めた手は温かった。幽霊とは思えないほどに。
「置き土産あんで。わざわざ餞別よこすとか律儀な子やね」
すぐ隣の座席にちょこんとまさこが座っていた。一抹の感傷を噛み締め、シャツん中に人形を突っ込む。
「カンガルースタイルで行くん?」
「一番落ち着くの」
「さいでっか」
「あんがとな、茶倉」
「無茶には慣れとる。生身で戦闘機斬りに行ったんはびびったけど」
物憂げにため息を吐く。
「お前の読みは正しい。幽霊列車ん中じゃ想いと願いが世界を作り出す」
「あの世とこの世のはざまだから?」
「列車が見とる夢に取り込まれたんかもな」
「ふみちゃん……守屋のじいちゃんに会えっかな」
「長い間囚われとったんや、飛んで帰るやろ」
「ん」
そうあってほしいと祈り、まさこの腕をとる。茶倉が毅然と顎を引き、扉と対峙する。
「次行くで」
扉に手をかけ一気に開く。不安定な貫通路を渡り、隣の車両に移るやいなやくんくん小鼻を動かす。
「潮の匂い?」
寄せては返す波の音。爽やかな潮風に空飛ぶカモメ。
「待て待て、なんで列車ん中に空があるんだよ!?」
「水もあるで」
海にワープしたのかと思った。じゃなきゃ目の前の光景が説明付かねえ。
車両に海ができていた。
床には乾いた白砂が敷き詰められ、穏やかな波が押し寄せる。もちろん天井は見当たらず、頭上には入道雲が膨らむ夏空が広がっていた。かき氷の幟を立てた海の家まである。
扉はあるがとんでもなく遠い。百メートル以上離れた砂浜の只中に、どこでもドアみてえに立っている。
テトラポットの岸壁の下に位置する右座席は砂に埋もれ、左座席は沖に沈んでいた。浜辺には綺麗な貝殻やシーグラスが落ち、ヤドカリやカニも歩いてる。
「ビオトープにしちゃ規模でっけえ。空とお日様は幻覚?かき氷食えんのか」
「やめとけ」
「気になんじゃん」
「シロップ全部同じ味やぞ」
「うっそだあ!」
「ヨモツヘグイ知らんのか、あの世のもん食べたら帰ってこれへんで。どうしてもっちゅーなら止めへん、かき氷ドカ食いしてキーンてなり」
「金ねーもん」
「貸さん」
「半分やっから」
「シロップかかっとるとこだけ食うんやろ」
海の家に興味津々な俺の背後で、ミーハーな嬌声が弾ける。
「コイツめ~」
「あはは、捕まえてごらんなさい~」
この声は。
「……回れ右して帰りてえ」
「同感」
波打ち際でキャッキャッウフフ追いかけっこしてるバカップルがいた。片方はTシャツ半ズボンの男、片方はオレンジビキニの女。健康的に日焼けした肌に明るい色柄の水着がよく映える。

板尾と魚住だった。

「本気出すぞー!」
鉤字に指を曲げた手を構え、魚住にとびかかる。勢い余って押し倒し、砂の上を転げ回る。
「よっしゃ、捕まえた!」
「やだ~砂だらけじゃん、口ん中入っちゃったサイアク」
「俺の勝ち。約束通りご褒美くれ」
「えー……恥ずかしい」
うっすら頬を染めじらす魚住。板尾が生唾を嚥下、ビキニに包まれた乳を揉む。
「ちょっとだけ。な?」
「お腹すいちゃった」
「フランクフルトならここにあるぞ」
「下ネタやめて。初めてなんだよ、空気読んで」
「俺だって初めてだよ」
「緊張してる?かわいい正孝」
「お前の方がかわいい。それにエロい」
板尾の股間がしっかりテント張ってるのが見えちまった。
「……止めた方がいい?」
「行ってこい」
「ずるっ、あっち向いてホイで決めようぜ」
「なんでやねん」
魚住の唇を優しく啄み、頬にキスする。魚住もそれに応え、板尾の頬に手を添え導く。
「大好き」
「俺も」
「ちゃんと言って」
「愛してる。リカ」
潤んだ目と目で見詰め合い、激しさを増すキスを交わす。積極的に舌を絡め合い、火照った体をまさぐるバカップルから少し離れた場所で立ち尽くし、リズミカルに拳を振る。
「最初はグー。あっち向いてホイ」
「勝った」
「俺かよ!」
膝から崩れ落ちて突っ伏す。茶倉がポンと肩を叩く。
「もしもしお二人さん、そのへんにしといたらいかがでしょうか。ヌーディストビーチじゃねえぞここ、猥褻物陳列罪で捕まる前に離れろ」
わざとらしく咳払いして割り込む。
「烏丸?なんで湘南に」
「捜しに来たんだよ。帰るぜ」
「ビーチデートの邪魔すんな。かき氷おごってやるって約束したんだ、焼きそばとフランクフルトも……それにほら、花火もやってねえ」
目の焦点が拡散してる。肩を掴んで揺さぶる。
「しっかりしろ、魚住はもうとっくに」
「私がなんだって?」
ゆっくり上体を起こし、ブラを引っ張って整え直す。続く言葉に詰まり、板尾の額を頭突く。
「思い出せ。ホントはわかってんだろ」
「知らねえよ。わかんねえよ」
「板尾」
「アイツが死んだのはお前らのせいじゃねえか!!」
思いきり突き飛ばされ、あっけなく浜に転がる。尻餅付いた俺の眼前、板尾が駄々こねるように首を振り出す。
「黒幕のういってヤツ、お前らの先祖なんだろ。なのになんで関係ねえリカが屋上から飛ばなきゃならねえんだ、ちょっとばかり霊感強かったせいで悪霊に付け込まれて全部全部とばっちりじゃねえか!今さら友達ヅラして薄っぺらい慰めの言葉吐いたって遅いんだよ」
めちゃくちゃに髪の毛をかきむしり、あとじさる板尾に呆然とする。
「ずっとそう思ってたのか。油ぎったカウンターでラーメン食ってる時も、一緒にカラオケやゲーセン行った時も」
「悪いか!!」
静かに寄せて返す波がコンバースのスニーカーを洗い、細かい砂をさらっていく。
「地元で一番の拝み屋の孫と腕っぷし自慢の元剣道部主将が揃いも揃って使えねえ、女一人助けられず見殺しか。お前らがもっと早くういをシメてりゃリカや他の奴等が巻き込まれずにすんだ、余裕かまして様子見なんか決め込むから無駄に被害がでっかくなったんだ」
ぎらぎらする目。荒みきった表情。柔らかい腕に取り巻かれ、途方もない後悔と喪失感、それらを塗り潰す怒りに燃えた板尾が、俺と茶倉を睨み据える。
「リカを返せよ!真下にいたんなら止めてくれよ、それ位できただろ!?」
魚住は俺の目の前で死んだ。
地面に叩き付けられて。
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