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貴方を求めて
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天界は太陽を失い、まるで死の世界のように吹雪が吹き荒れていた。
戦場ではロキが率いる巨人の戦士と、神々が激しくぶつかり合い、それに続くように戦死者達が魔物と死闘を繰り広げている。
ロキの息子である巨大な蛇が海から陸に上がると、人々は水に飲まれ多くの者達の命が奪われた。
さらなる被害を止めるべく、巨大な蛇と戦った雷の神トールが相打ちになってからと言うもの、ヴィズルからの便りは途絶えしまい、エマは不安な日々を過ごしていた。
時折、遠くに聞こえる爆発音や火柱がこの世界の果ての激しい戦争が宮殿のすぐそこまで差し迫っていることを否応なしに意識させる。
恐ろしい地響きが伝わって、戦う力を持たない神や女神、負傷したヴァルキリーたちや戦死者たちがその度に恐怖におののいた。
エマもまた、彼らと同じ戦場に行くほどの力はなく、この宮殿で負傷者の手当や、彼らの為に癒やしの歌を唄う事で傷ついた者達の心を支えようとしていた。
その間に、息子ラクニルドゥルとの時間をできるだけ取り、父親のいない寂しさや世界の終焉の恐ろしさを感じさせないように努める。
ラクニルドゥルはエマが思うよりも冷静で手のかからないどころか、率先して母親の手伝いをするような心の優しい子供に育っていた。
「エマ様」
「お話しがあります」
「どうしたの、フギン。ムニン」
ヴァルキリーの包帯を変えていたエマは、双子の執事に声をかけられて振り向いた。フギンとムニンの表情は固く、この場所では話せない内容だと言う事をひと目で悟ると、血のついた手を拭いて彼らと共に廊下に出た。
「エマ様、最高位の女神であらせられる貴女様が、下働き同然の格好で手当にあたられるなんて……申し訳ありません。僕たちが不甲斐無いばかりに、そのような事までさせてしまって」
「構わないわ、私がやりたくてやっているのよ。それにドレスだと汚れてしまうわ、フギン」
フギンが申し訳無さそうに肩を落とすと、エマは微笑み頭を振った。自ら負傷者の手当を申し出たのは、この状況で位に関係なく助け合う事が最善だと感じたからだ。
エマは、彼らがそれを伝えるためだけに自分を呼び出した訳ではないだろうと言う事を薄々感じていたので、目を伏せるムニンに視線を向けると問い正す。
「ムニン、何かあったの……?」
「はい。フリッグ様が逝去されました。バルドル様が亡くなられてから、精神を病み……、邪悪な巨人族を恐れて」
「そう……なの」
最愛の息子を亡くして、心を病んでしまったフリッグの追い打ちをかけるように訪れた巨人族の襲来と神々の黄昏が、彼女の心を壊してしまったようだ。
今なら、息子を失って嘆く彼女の気持ちが良くわかる。ヴィズルとの関係が自分がこの世界に訪れるとうの昔に破綻していた彼女にとって、バルドルは最後の希望であり、自慢だったのだろう。
その彼の命を奪ったのが、もう一人の不遇の息子だと言う悲劇に耐えられるはずもない。
彼女から酷い仕打ちも受けたが、エマはフリッグに対して憐れみさえ感じられた。
「もう一つ、悪い知らせがあります。多くの古き神々が巨人族との戦いで相打ちになり命を落としました。
そしてヴィズル様は、ロキの息子であるフェンリルと戦い、生死が不明になっております」
「狡知の神であるロキは火の巨人を使い、天界を全て焼き尽くしてしまうつもりなのでしょう」
フェンリルと戦い、生死が不明だという話を聞かされるとエマは全身の血の気が引いて座り込んでしまった。
そんな彼女を慌てた様子で二人が支える。
ロキはそこまで、この天界を憎んでいるのだろうか。
どの神々も、彼の悪戯に困り果てていたが、彼の知恵を借りて危機を脱した事もあるようで、義弟として評価をしていた話も夫から聞いていたエマは、戻れない所まで憎しみ合ってしまった兄弟を思うと心が痛んだ。
彼らの確執は根深く、エマがこの世界にくる以前のもので、どうする事も出来ない。
「エマ様……天界は滅びます。この宮殿もじきに焼き尽くされてしまう事でしょう。女神たちは巨人族に囚われてしまう。せめてラクニルドゥル様と、エマ様だけでもオレ達は救いたいのです」
「ロキ様は、貴女様を気に入っていらっしゃいます。僕たちが命をかけて盾になりますが、それが叶わぬ時は……」
フギンとムニンは、ヴィズルの命令を忠実に守り、エマと愛息子を守る為に身を犠牲にして終末を乗り越えようとしていた。
それも叶わぬのなら、ロキに恩情を求めろと言う事だろう。エマは頭を降ると顔を上げた。
「ヴィズルは生きてるわ……! 私にはわかる。ヴィズルが居た最後の場所に、私を連れて行ってちょうだい、フギン……ムニン」
エマには確信があった。
神々の黄昏で死の予言をされていた彼の運命を変えるのは自分と、ラクニルドゥルだと言うことを。
戦場で足手まといになる事はじゅうぶんに理解していたが愛する夫の元に向かいたい。
万が一彼が命を落とすような事があれば、共に身を捧げたいとさえ思ってしまうほどに彼を愛していた。
「しかし……危険すぎます。僕たちだけならば戦場を駆け抜ける事も可能ですが、エマ様の身に何かあればヴィズル様に顔向けできません」
「ヨルムンガンドは死にましたが、フェンリルは巨大で獰猛な狼です。巨人族も神々と同じく……いえ、それ以上に強いんですよ……!」
双子の執事は、困ったようにエマを見つめた。自分でも自殺行為だと言う事を無理を承知で頼み込んでいる。
ふと、エマの肩に誰かが触れると、フギンとムニンは目を丸くして後方を見つめた。視線の先には、驚くべく事に漆黒の鎧を身に纏った青年姿のラクニルドゥルが立っている。
生まれる前から成長の早かったが、瞬く間に成長し、母譲りのローズブラウンの髪を靡かせた神々しい男神となり見下ろしていたのだから、エマも目を丸くした。
「ら、ラクニルドゥル……?」
「母上。私が行きましょう。多くの神々が命を落し太陽が失われたいま、私が敵を打ち砕き、新たな太陽となります。父上がもし、逝去されたのならば敵を……他の神々と共に取ります」
「まだ、希望は捨ててないわ! お願い、私も連れていってちょうだい。あの人の帰りが遅くなったら迎えに行くと約束したの。ラクニルドゥル、貴方は私とヴィズルの運命の子よ。家族で行かねばならないの」
エマの真摯な訴えに、ラクニルドゥルはしばらく考えていたようだがやがて頷いた。
母の願いは強く、息子でもエマを制する事が出来ないと悟ったようだ。
「何が起きようとも、馬に乗っている間は私から手を離さないで下さい。私が敵をなぎ払います。フギン、ムニン、案内してくれ」
ラクニルドゥルか言うと、双子の執事達は二羽の烏へと変貌する。ヴィズルの愛馬と変わらぬほどに足の早い白馬を呼ぶと、フードを被ったエマを後ろに乗せた。
太陽と戦の神ラクニルドゥルの手には光輝く白い光の剣が握られている。
世界の終焉に存在しなかったエマとラクニルドゥルは、この世界の希望のようにも思え、負傷した戦死者、ヴァルキリー、戦いの力を持たない神々は彼の背中に思いを託した。
荒れ狂う吹雪と、天地を焼き尽くすような火柱が立ち上がる天界に、白馬が走る。
ラクニルドゥルの光の剣を振れば、吹雪は止み、氷が溶け始め、蛇のようにうずまき天界を焼き尽くす炎は、彼の意思に従うかのように吹き消されてしまった。
エマは息子の背後で、振り落とされまいと必死に捕まりながら、奇跡を目の当たりにして、希望を胸に感じながら強くしがみつく。
二匹の烏が戦場の合間をくぐって駆け抜ける道標を便りに、神々の雄叫びと巨人族の怒号、血しぶき、魔物と戦死者が激しくぶつかりあう戦場を白馬が走り抜けた。
「母上! まずはフェンリルの元へ向かいましょう。姿勢を低くして」
エマは恐ろしい戦場に目をつむり体を固くしていた。流星のように現れたラクニルドゥルは行く手を阻む、巨人族を次々に薙ぎ払っていく。
神々や戦死者達も、まさか彼がヴィズルとエマの息子だとは思いもせず、突然現れた雄々しく強力な神の加勢に士気が上がった。
「母上、フェンリルが見えました」
「ヴィズル、待ってて……今行くわ!」
エマは祈るような気持ちでようやく瞳を開く。
ラクニルドゥルの白馬が嘶いたかと思うと大きく躍動し、戦場の頭上を飛び越えた。
✤✤✤
戦場を白馬が大きく飛び越えると、死の世界にいた番犬よりも大きく獰猛で恐ろしい灰色の狼がいた。
金色にギラギラと光る恐ろしい目に、その大きな口はまるで別の世界に繋がっているかのような漆黒の空洞になっている。
ロキの息子で厄災である三兄弟の長子は神々を次々と飲み込み、また戦死者達を飲み込んでいた。
その側にはヴィズルの姿は無く、エマは背中に冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
(ヴィズルはこの魔獣に飲み込まれてしまったというの?)
馬から降りたラクニルドゥルに続き、エマが降りようとすると、息子は頭を振った。魔獣の習性で動き回る者を獲物として襲いかかるのだろうか。
首元の大きな千切れた鎖が動くたびに、エマは心臓が激しく脈打つのを感じる。姿勢を低くして剣を持つラクニルドゥルをフェンリルは舐めるような視線で追い掛けていた。
睨み合いが続き、ラクニルドゥルが小さな枝を踏んだ瞬間、それを合図に魔獣は襲いかかってきた。
体をひるがえし、斬り込む太陽と戦の神に怒り狂い襲いかかってくるフェンリルを、地形を利用して攻防する様子を見守りながら、エマは自分の胸を抑えた。
(胸が熱い……、ヴィズルは……ここにいるんだわ)
隻眼の戦神の返答は無くとも、最愛の夫がこの場所にいることをエマは本能で感じ取っていた。まるで、魂が互いを引き合うように存在を感じ、彼がまだ生きている事を確信したエマは知恵を巡らせる。
(私ができる事は何かしら)
この、世界の終焉で愛する人達に出来る事があるとすれば、ただ一つだけ。
エマは故郷や愛する人たちを思う歌を彼らの為に歌った。その透き通る美しい声音は戦場を駆け抜け、神々や魔族、巨人族たちの頭上に鳴り響く。
その美しい歌を聞いた誰もが、敵味方関係なく手を止めて天を仰いだ。
「母上……」
エマの美しい歌声は、例外なくラクニルドゥルと魔獣フェンリルにも届いていた。
その声に惹かれるように大きな狼が唸り声を上げながら、彼女の目前まで迫ると口を開け彼女に生暖かい息を吹きかける。
エマは歌を止める事無く、魔獣の前で歌を歌い続けると、獰猛な狼がよろめきだし苦悶の表情を浮かべた。
――――奇跡が起こった。
腹を割くようにして槍の先が見えたかと思うと、獣の大きな腹から押し出されるようにヴィズルが這い出してきたのだ。
止めを刺すように、つかさずラクニルドゥルがフェンリルの首を斬り落とすと、地響きをたてて魔獣が横たわる。
「ヴィズル!」
「父上!」
二人が最高神に駆け寄ると、槍を支えに立ち上がったヴィズルがエマと青年になったラクニルドゥルを抱き止めた。
「戦場まで来たのか、エマ。ほんとうにお前は無謀な女だな……だが、約束を果たしに来たな。
お前の美しい歌声に気付かなかったら、フェンリルの腹の中で息絶えていた事だろう」
「私は貴方の妻よ。必ず駆けつけると言ったわ……きっと生きていると信じていたの」
凛とした表情だったが、エマの体は震えていた。恐ろしい思いをしながら、諦めず、己の命を顧みないで、愛を貫いた最愛の妻に最大の敬意を表し、ヴィズルは強く抱きしめた。
「我が息子、ラクニルドゥルよ。勇敢なお前のお陰でフェンリルに食われていた神々の何人かは救われた。これで最後だ」
「父上、ロキと炎の巨人が世界のすべてを焼き尽くしております。止めなければ」
二人は頷くと、神々を従えて神々の黄昏の元凶となったロキの元へと向かった。
世界を焼き尽くす炎を放つ巨人をヴィズルと神々が死闘の末に打ち倒し、ラクニルドゥルとロキは激しい死闘の末に、白い光の剣と名付けられた輝く剣でロキに止めを差した。
こうして、神々の黄昏は終わりを迎える。
戦場ではロキが率いる巨人の戦士と、神々が激しくぶつかり合い、それに続くように戦死者達が魔物と死闘を繰り広げている。
ロキの息子である巨大な蛇が海から陸に上がると、人々は水に飲まれ多くの者達の命が奪われた。
さらなる被害を止めるべく、巨大な蛇と戦った雷の神トールが相打ちになってからと言うもの、ヴィズルからの便りは途絶えしまい、エマは不安な日々を過ごしていた。
時折、遠くに聞こえる爆発音や火柱がこの世界の果ての激しい戦争が宮殿のすぐそこまで差し迫っていることを否応なしに意識させる。
恐ろしい地響きが伝わって、戦う力を持たない神や女神、負傷したヴァルキリーたちや戦死者たちがその度に恐怖におののいた。
エマもまた、彼らと同じ戦場に行くほどの力はなく、この宮殿で負傷者の手当や、彼らの為に癒やしの歌を唄う事で傷ついた者達の心を支えようとしていた。
その間に、息子ラクニルドゥルとの時間をできるだけ取り、父親のいない寂しさや世界の終焉の恐ろしさを感じさせないように努める。
ラクニルドゥルはエマが思うよりも冷静で手のかからないどころか、率先して母親の手伝いをするような心の優しい子供に育っていた。
「エマ様」
「お話しがあります」
「どうしたの、フギン。ムニン」
ヴァルキリーの包帯を変えていたエマは、双子の執事に声をかけられて振り向いた。フギンとムニンの表情は固く、この場所では話せない内容だと言う事をひと目で悟ると、血のついた手を拭いて彼らと共に廊下に出た。
「エマ様、最高位の女神であらせられる貴女様が、下働き同然の格好で手当にあたられるなんて……申し訳ありません。僕たちが不甲斐無いばかりに、そのような事までさせてしまって」
「構わないわ、私がやりたくてやっているのよ。それにドレスだと汚れてしまうわ、フギン」
フギンが申し訳無さそうに肩を落とすと、エマは微笑み頭を振った。自ら負傷者の手当を申し出たのは、この状況で位に関係なく助け合う事が最善だと感じたからだ。
エマは、彼らがそれを伝えるためだけに自分を呼び出した訳ではないだろうと言う事を薄々感じていたので、目を伏せるムニンに視線を向けると問い正す。
「ムニン、何かあったの……?」
「はい。フリッグ様が逝去されました。バルドル様が亡くなられてから、精神を病み……、邪悪な巨人族を恐れて」
「そう……なの」
最愛の息子を亡くして、心を病んでしまったフリッグの追い打ちをかけるように訪れた巨人族の襲来と神々の黄昏が、彼女の心を壊してしまったようだ。
今なら、息子を失って嘆く彼女の気持ちが良くわかる。ヴィズルとの関係が自分がこの世界に訪れるとうの昔に破綻していた彼女にとって、バルドルは最後の希望であり、自慢だったのだろう。
その彼の命を奪ったのが、もう一人の不遇の息子だと言う悲劇に耐えられるはずもない。
彼女から酷い仕打ちも受けたが、エマはフリッグに対して憐れみさえ感じられた。
「もう一つ、悪い知らせがあります。多くの古き神々が巨人族との戦いで相打ちになり命を落としました。
そしてヴィズル様は、ロキの息子であるフェンリルと戦い、生死が不明になっております」
「狡知の神であるロキは火の巨人を使い、天界を全て焼き尽くしてしまうつもりなのでしょう」
フェンリルと戦い、生死が不明だという話を聞かされるとエマは全身の血の気が引いて座り込んでしまった。
そんな彼女を慌てた様子で二人が支える。
ロキはそこまで、この天界を憎んでいるのだろうか。
どの神々も、彼の悪戯に困り果てていたが、彼の知恵を借りて危機を脱した事もあるようで、義弟として評価をしていた話も夫から聞いていたエマは、戻れない所まで憎しみ合ってしまった兄弟を思うと心が痛んだ。
彼らの確執は根深く、エマがこの世界にくる以前のもので、どうする事も出来ない。
「エマ様……天界は滅びます。この宮殿もじきに焼き尽くされてしまう事でしょう。女神たちは巨人族に囚われてしまう。せめてラクニルドゥル様と、エマ様だけでもオレ達は救いたいのです」
「ロキ様は、貴女様を気に入っていらっしゃいます。僕たちが命をかけて盾になりますが、それが叶わぬ時は……」
フギンとムニンは、ヴィズルの命令を忠実に守り、エマと愛息子を守る為に身を犠牲にして終末を乗り越えようとしていた。
それも叶わぬのなら、ロキに恩情を求めろと言う事だろう。エマは頭を降ると顔を上げた。
「ヴィズルは生きてるわ……! 私にはわかる。ヴィズルが居た最後の場所に、私を連れて行ってちょうだい、フギン……ムニン」
エマには確信があった。
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戦場で足手まといになる事はじゅうぶんに理解していたが愛する夫の元に向かいたい。
万が一彼が命を落とすような事があれば、共に身を捧げたいとさえ思ってしまうほどに彼を愛していた。
「しかし……危険すぎます。僕たちだけならば戦場を駆け抜ける事も可能ですが、エマ様の身に何かあればヴィズル様に顔向けできません」
「ヨルムンガンドは死にましたが、フェンリルは巨大で獰猛な狼です。巨人族も神々と同じく……いえ、それ以上に強いんですよ……!」
双子の執事は、困ったようにエマを見つめた。自分でも自殺行為だと言う事を無理を承知で頼み込んでいる。
ふと、エマの肩に誰かが触れると、フギンとムニンは目を丸くして後方を見つめた。視線の先には、驚くべく事に漆黒の鎧を身に纏った青年姿のラクニルドゥルが立っている。
生まれる前から成長の早かったが、瞬く間に成長し、母譲りのローズブラウンの髪を靡かせた神々しい男神となり見下ろしていたのだから、エマも目を丸くした。
「ら、ラクニルドゥル……?」
「母上。私が行きましょう。多くの神々が命を落し太陽が失われたいま、私が敵を打ち砕き、新たな太陽となります。父上がもし、逝去されたのならば敵を……他の神々と共に取ります」
「まだ、希望は捨ててないわ! お願い、私も連れていってちょうだい。あの人の帰りが遅くなったら迎えに行くと約束したの。ラクニルドゥル、貴方は私とヴィズルの運命の子よ。家族で行かねばならないの」
エマの真摯な訴えに、ラクニルドゥルはしばらく考えていたようだがやがて頷いた。
母の願いは強く、息子でもエマを制する事が出来ないと悟ったようだ。
「何が起きようとも、馬に乗っている間は私から手を離さないで下さい。私が敵をなぎ払います。フギン、ムニン、案内してくれ」
ラクニルドゥルか言うと、双子の執事達は二羽の烏へと変貌する。ヴィズルの愛馬と変わらぬほどに足の早い白馬を呼ぶと、フードを被ったエマを後ろに乗せた。
太陽と戦の神ラクニルドゥルの手には光輝く白い光の剣が握られている。
世界の終焉に存在しなかったエマとラクニルドゥルは、この世界の希望のようにも思え、負傷した戦死者、ヴァルキリー、戦いの力を持たない神々は彼の背中に思いを託した。
荒れ狂う吹雪と、天地を焼き尽くすような火柱が立ち上がる天界に、白馬が走る。
ラクニルドゥルの光の剣を振れば、吹雪は止み、氷が溶け始め、蛇のようにうずまき天界を焼き尽くす炎は、彼の意思に従うかのように吹き消されてしまった。
エマは息子の背後で、振り落とされまいと必死に捕まりながら、奇跡を目の当たりにして、希望を胸に感じながら強くしがみつく。
二匹の烏が戦場の合間をくぐって駆け抜ける道標を便りに、神々の雄叫びと巨人族の怒号、血しぶき、魔物と戦死者が激しくぶつかりあう戦場を白馬が走り抜けた。
「母上! まずはフェンリルの元へ向かいましょう。姿勢を低くして」
エマは恐ろしい戦場に目をつむり体を固くしていた。流星のように現れたラクニルドゥルは行く手を阻む、巨人族を次々に薙ぎ払っていく。
神々や戦死者達も、まさか彼がヴィズルとエマの息子だとは思いもせず、突然現れた雄々しく強力な神の加勢に士気が上がった。
「母上、フェンリルが見えました」
「ヴィズル、待ってて……今行くわ!」
エマは祈るような気持ちでようやく瞳を開く。
ラクニルドゥルの白馬が嘶いたかと思うと大きく躍動し、戦場の頭上を飛び越えた。
✤✤✤
戦場を白馬が大きく飛び越えると、死の世界にいた番犬よりも大きく獰猛で恐ろしい灰色の狼がいた。
金色にギラギラと光る恐ろしい目に、その大きな口はまるで別の世界に繋がっているかのような漆黒の空洞になっている。
ロキの息子で厄災である三兄弟の長子は神々を次々と飲み込み、また戦死者達を飲み込んでいた。
その側にはヴィズルの姿は無く、エマは背中に冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
(ヴィズルはこの魔獣に飲み込まれてしまったというの?)
馬から降りたラクニルドゥルに続き、エマが降りようとすると、息子は頭を振った。魔獣の習性で動き回る者を獲物として襲いかかるのだろうか。
首元の大きな千切れた鎖が動くたびに、エマは心臓が激しく脈打つのを感じる。姿勢を低くして剣を持つラクニルドゥルをフェンリルは舐めるような視線で追い掛けていた。
睨み合いが続き、ラクニルドゥルが小さな枝を踏んだ瞬間、それを合図に魔獣は襲いかかってきた。
体をひるがえし、斬り込む太陽と戦の神に怒り狂い襲いかかってくるフェンリルを、地形を利用して攻防する様子を見守りながら、エマは自分の胸を抑えた。
(胸が熱い……、ヴィズルは……ここにいるんだわ)
隻眼の戦神の返答は無くとも、最愛の夫がこの場所にいることをエマは本能で感じ取っていた。まるで、魂が互いを引き合うように存在を感じ、彼がまだ生きている事を確信したエマは知恵を巡らせる。
(私ができる事は何かしら)
この、世界の終焉で愛する人達に出来る事があるとすれば、ただ一つだけ。
エマは故郷や愛する人たちを思う歌を彼らの為に歌った。その透き通る美しい声音は戦場を駆け抜け、神々や魔族、巨人族たちの頭上に鳴り響く。
その美しい歌を聞いた誰もが、敵味方関係なく手を止めて天を仰いだ。
「母上……」
エマの美しい歌声は、例外なくラクニルドゥルと魔獣フェンリルにも届いていた。
その声に惹かれるように大きな狼が唸り声を上げながら、彼女の目前まで迫ると口を開け彼女に生暖かい息を吹きかける。
エマは歌を止める事無く、魔獣の前で歌を歌い続けると、獰猛な狼がよろめきだし苦悶の表情を浮かべた。
――――奇跡が起こった。
腹を割くようにして槍の先が見えたかと思うと、獣の大きな腹から押し出されるようにヴィズルが這い出してきたのだ。
止めを刺すように、つかさずラクニルドゥルがフェンリルの首を斬り落とすと、地響きをたてて魔獣が横たわる。
「ヴィズル!」
「父上!」
二人が最高神に駆け寄ると、槍を支えに立ち上がったヴィズルがエマと青年になったラクニルドゥルを抱き止めた。
「戦場まで来たのか、エマ。ほんとうにお前は無謀な女だな……だが、約束を果たしに来たな。
お前の美しい歌声に気付かなかったら、フェンリルの腹の中で息絶えていた事だろう」
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凛とした表情だったが、エマの体は震えていた。恐ろしい思いをしながら、諦めず、己の命を顧みないで、愛を貫いた最愛の妻に最大の敬意を表し、ヴィズルは強く抱きしめた。
「我が息子、ラクニルドゥルよ。勇敢なお前のお陰でフェンリルに食われていた神々の何人かは救われた。これで最後だ」
「父上、ロキと炎の巨人が世界のすべてを焼き尽くしております。止めなければ」
二人は頷くと、神々を従えて神々の黄昏の元凶となったロキの元へと向かった。
世界を焼き尽くす炎を放つ巨人をヴィズルと神々が死闘の末に打ち倒し、ラクニルドゥルとロキは激しい死闘の末に、白い光の剣と名付けられた輝く剣でロキに止めを差した。
こうして、神々の黄昏は終わりを迎える。
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【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
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逃げたかったのは、
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無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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