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第一章 種子殺人
⑨
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「うっ……ううん……痛っ」
近藤に殴られ、気を失っていた眼鏡の会社員は、ようやく意識を取り戻した。殴る蹴るの暴行を受けて体中が痛むが、顔と頭を狙われなかっただけマシだろう。鳩尾や、肋骨が軋んでもう酔いは、すっかり覚めてしまった。
これは、骨にヒビが入っているだろう。彼はため息をつくと、苛立ったように舌打ちをする。どうやら鞄も、あの半グレの男に漁られ、中身をぶち撒けられているようだ。
この様子では、免許証やクレジットカード、その他の貴重品までも、さっきの男に根こそぎ奪われたかもしれないと思うと、絶望的な気持ちになってしまい重い溜息をつく。キャッシュカードの暗証番号を教えろと犯人に迫られなかっただけ、運が良かったのだろうか。
蹴られた腹を抑えながら、地面に手をつくと、周囲からむせ返るような華の香りがしていることにようやく気づいた。そしてその不自然なほど香る匂いの源を辿るように、視線を泳がせる。
「え」
歌舞伎町の路地に横たわる、人の形をした花の集合体。アンモニアと血の異臭、そしてむせ返るような花の香りが混じった空間は、異形が住む異世界のようにも思え、とても目の前の光景が現実だと、認識できなかった。
これは一体なんだ、こんな不気味なモニュメントなんて、前にあったのだろうか? 近藤という男に追われていた時には気がつかなかっただけなのだろうか。目を細め凝視すると、会社員の男は急にガタガタと震え始める。あれは特殊メイクが施された、気味の悪い『マネキンモニュメント』などではない。あきらかに人間の血が、蔓の間から流れ落ちているように見える。
頭だと思われる場所は、花と蔓でミッチリ覆われ、植物の隙間から血に塗れた舌が、前に突き出しているのがわかると、彼は喉が壊れるほど絶叫した。
「う、うぁぁぁぁ」
彼は、腰を抜かしながら這いつくばるようにして裏路地から、騒がしい通りに出た。あれは趣味の悪いモニュメントなんかじゃない。人間の死体じゃないか、とパニックになり慌てて逃走する。彼には、横たわる花の屍へ手向けられた言葉に、気づく暇もなかっただろう。
『醜い双子の女王蜂に愚かな二人の下僕の死を捧げる。死華』
✤✤✤
「今日はいい天気だな。祭日だし、お客さんの入りも多そうだ」
洗濯物を干し終えると、雲一つない晴天の空を見上げながら葵は呟いた。こんな肌寒さを感じるような日には、カフェテラスでコーヒーを飲みながら、読書をするのが最高の贅沢だ。それを楽しみに訪れる客も少なくない。
ダイニングテーブルには、冬の花のマーガレットが飾られている。季節ごとに、花を飾る習慣ができたのは、妹の凛が将来フラワーアレンジメントの仕事をしたい、と言っていた影響もあるだろう。
もう、その夢は永遠に叶えられることもなく、彼女の習慣だけがこの部屋に悲しく残っている。
サイフォンで淹れたコーヒーに口をつけると葵はため息をつき、TVから聞こえてくるニュースに視線を向けた。
『今日午前、東京都歌舞伎町花街通りで、身元不明の男性の変死体が発見されました。男性は病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。発見した会社員によると、酒に酔った被害者に暴行を受け、意識を取り戻した時には、すでに男性は死亡していたと言うことです。遺体は植物により激しく損傷しており、東京都江東区で見つかった、桜井鳴海さん(18歳)と手口が酷似していることから、警察は他殺と断定し、殺人事件として捜査を始めました』
真剣なまなざしで画面を見ながら、原稿を読む、ニュースキャスターのワイプに、路地が映っている。その通路全体にブルーシートがかけられているのが見え、警察官が立ち物々しい様子が伺えた。
近藤に殴られ、気を失っていた眼鏡の会社員は、ようやく意識を取り戻した。殴る蹴るの暴行を受けて体中が痛むが、顔と頭を狙われなかっただけマシだろう。鳩尾や、肋骨が軋んでもう酔いは、すっかり覚めてしまった。
これは、骨にヒビが入っているだろう。彼はため息をつくと、苛立ったように舌打ちをする。どうやら鞄も、あの半グレの男に漁られ、中身をぶち撒けられているようだ。
この様子では、免許証やクレジットカード、その他の貴重品までも、さっきの男に根こそぎ奪われたかもしれないと思うと、絶望的な気持ちになってしまい重い溜息をつく。キャッシュカードの暗証番号を教えろと犯人に迫られなかっただけ、運が良かったのだろうか。
蹴られた腹を抑えながら、地面に手をつくと、周囲からむせ返るような華の香りがしていることにようやく気づいた。そしてその不自然なほど香る匂いの源を辿るように、視線を泳がせる。
「え」
歌舞伎町の路地に横たわる、人の形をした花の集合体。アンモニアと血の異臭、そしてむせ返るような花の香りが混じった空間は、異形が住む異世界のようにも思え、とても目の前の光景が現実だと、認識できなかった。
これは一体なんだ、こんな不気味なモニュメントなんて、前にあったのだろうか? 近藤という男に追われていた時には気がつかなかっただけなのだろうか。目を細め凝視すると、会社員の男は急にガタガタと震え始める。あれは特殊メイクが施された、気味の悪い『マネキンモニュメント』などではない。あきらかに人間の血が、蔓の間から流れ落ちているように見える。
頭だと思われる場所は、花と蔓でミッチリ覆われ、植物の隙間から血に塗れた舌が、前に突き出しているのがわかると、彼は喉が壊れるほど絶叫した。
「う、うぁぁぁぁ」
彼は、腰を抜かしながら這いつくばるようにして裏路地から、騒がしい通りに出た。あれは趣味の悪いモニュメントなんかじゃない。人間の死体じゃないか、とパニックになり慌てて逃走する。彼には、横たわる花の屍へ手向けられた言葉に、気づく暇もなかっただろう。
『醜い双子の女王蜂に愚かな二人の下僕の死を捧げる。死華』
✤✤✤
「今日はいい天気だな。祭日だし、お客さんの入りも多そうだ」
洗濯物を干し終えると、雲一つない晴天の空を見上げながら葵は呟いた。こんな肌寒さを感じるような日には、カフェテラスでコーヒーを飲みながら、読書をするのが最高の贅沢だ。それを楽しみに訪れる客も少なくない。
ダイニングテーブルには、冬の花のマーガレットが飾られている。季節ごとに、花を飾る習慣ができたのは、妹の凛が将来フラワーアレンジメントの仕事をしたい、と言っていた影響もあるだろう。
もう、その夢は永遠に叶えられることもなく、彼女の習慣だけがこの部屋に悲しく残っている。
サイフォンで淹れたコーヒーに口をつけると葵はため息をつき、TVから聞こえてくるニュースに視線を向けた。
『今日午前、東京都歌舞伎町花街通りで、身元不明の男性の変死体が発見されました。男性は病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。発見した会社員によると、酒に酔った被害者に暴行を受け、意識を取り戻した時には、すでに男性は死亡していたと言うことです。遺体は植物により激しく損傷しており、東京都江東区で見つかった、桜井鳴海さん(18歳)と手口が酷似していることから、警察は他殺と断定し、殺人事件として捜査を始めました』
真剣なまなざしで画面を見ながら、原稿を読む、ニュースキャスターのワイプに、路地が映っている。その通路全体にブルーシートがかけられているのが見え、警察官が立ち物々しい様子が伺えた。
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