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2巻
2-1
しおりを挟む第一章 シン君王都を満喫する
勇者召喚に巻き込まれて異世界に飛ばされた元社畜の少年シンは、転移先の世界の主神である女神フォルミアルカに気に入られて、様々なスキルを授かった。
しかし、彼が望んだのは平穏なスローライフ。数々のチートスキルで無双すれば得られたはずの富や名声などかなぐり捨てて、彼はティンパイン王国の片田舎にあるタニキ村で狩人として生活を始めるのだった。
静かな田舎暮らしを満喫していたシンだったが、何故かその村に蟄居させられてきた王子様〝ティル〟ことティルレインに、妙に懐かれてしまう。ちょいちょいおかしな言動をするこの迷惑王子の手綱を上手く捌けるということで、シンはなし崩し的にお世話係をする羽目に。
そしてある日、シンはティルレインの病気の検査に半ば強引に付き合わされる形で王都を訪れるのだが……ここで思わぬ事態に直面する。
シンの詰問がきっかけで、ティルレインが以前付き合っていたアイリーンという女性に精神操作されていたことが判明したのだ。
この大手柄により、シンは王子の恩人としてティンパイン王国の重鎮たちから大きな信頼という名の重荷を背負わされ、彼の王都滞在はなんとも居心地の悪いものになったのだった。
さて、ようやく王城を出る許可を得たシンは、城下町の宿に部屋を取り、しばらくそこに滞在することにした。
しかし、気ままな宿屋生活も、平和だったのは最初の数日だけ。以後、毎日のようにティルレインから封蝋のついた立派な封筒が届くようになってしまう。
中身は泣き言がびっちり書かれた手紙である。
だいぶ酷い洗脳魔法を施されていたのだから、大人しく治療を受けるべきだ。ここで音を上げてしまっては、今までの苦労が無駄になる。
シンは溜息をつきながら、手紙を持ってきてくれた人に返事を代筆してもらい「周りに迷惑かけるんじゃねぇよ、オルァ」と釘を刺しておいた。
ちなみに、彼は文字は読めるが、書くことができない。正確に言えば、簡単な単語くらいは並べられるが、きちんとした文章となると難しい、といったところだ。
書き慣れていないどころか、この世界で手紙なんて一度も書いたことがないのだから当然と言えば当然だ。むしろ、読めるだけマシだろう。
封書をよこすのはティルレインだけではなく、たまに宰相や国王からも「何か望みはないかな~」と、チラッチラこちらを窺いつつ捕食しそうな気配の手紙が来る。
シンにも望みがあると言えばあった。国立図書館の閲覧だ。
その場所は、貴族と一部の特別な許可を得た平民にしか解放されていない。
シンはこの世界について調べたかったし、あわよくばそこから役立つ技能やスキルをゲットできる可能性もある。
異世界では今後何が役に立つかわからないのだ。まして基本はソロ活動のシンは、なんでも自分でこなさなければならない。
そんなわけでシンは、せっかく王都に来たのだからと、色々な店を見て回ることにした。
さすが王都というだけあって、品揃えは豊富だ。いくつかめぼしい店を物色したシンは、さっそく弓を新調した。軽さを重視しているため、トレントという樹木の魔物を材料に使った、ちょっと良い弓である。
他にも、簡単な調合器具、服や帽子を数点、冬籠りに向けて毛布や布団なども購入した。少し標高が高いタニキ村では雪が降るかもしれないので、暖かいブーツやゴーグル、コートといったものも必要になる。しかしこれは予算の都合により断念した。彼の手持ちを考えると、もう少し稼がなければ心許ない。
そこでシンは、タニキ村で溜め込んでいた山の幸を小出しにして売り捌き、当座の資金にすることにした。また、胡桃や木苺、コケモモや山桃を宿屋に差し入れして、食事代などをサービスしてもらった。これらは余剰分で、冬の備蓄にしても多すぎる。
また、購入した器具を使って、宿の部屋で初歩的な薬の調合も始めた。まだ下級ポーションや毒消し程度しか作れないが、簡単に素材が揃うのでチャレンジしやすいのだ。
この手のルーチンワークが嫌いではないシンは、気がついたら滅茶苦茶作りまくってしまい、すぐに在庫を持て余すことになった。ストックは『異空間バッグ』スキルに収納し、残りは小分けにして道具屋に売る。
数をこなせば品質も向上するようで、ポーションの買い取り価格はだんだん上がってきている。
当然、こうした売買ばかりでなく、シンは冒険者業にも精を出していた。
しかし、いくら弓で遠距離攻撃できるとはいえ、彼はソロ冒険者なのであまり無理はできない。
彼が積極的に受けている仕事は、ゴブリンやウルフ、ボアといった魔物の退治だ。
数が多く、人への被害が出やすい一方で、身近な素材としての需要も高い。
午前中に狩りと採取を終えたシンは、報告のために王都の冒険者ギルドを訪れていた。
「じゃあ、シン君。今日のゴブリン退治と採取の依頼達成分ね。全部で七千ゴルドよ」
ニコニコとしたギルドのお姉さんが、カウンターの上に報酬が入った袋を置く。
「はい、ありがとうございます」
ティンパイン王国の王都の治安は悪くないものの、シンは念のため貨幣を数える。
彼女がピンハネしているとは思っていないが、人の手による作業なのだから数え間違いはあるかもしれない。
銀行、レジ、換金所、その他窓口など金銭の授受が多い場所において使われる言葉で、『現金その場限り』というものがある。現金は貰ったその場で確認しないと、持ち帰った後で間違いに気づいて文句を言っても取り返しがつかないのだ。このあたりの感覚は、異世界でも日本でも同じだった。
ティンパイン王国で流通している貨幣は、銅貨、銀貨、金貨、虹金貨という順番で価値が上がっていく。材質の違いだけでなく、見た目でもわかりやすいように、それぞれ固有の模様や数字が打たれている。
最も高価な虹金貨は、それ一枚で王都の一等地を屋敷付きで購入できるという破格の価値を持っていて、その美しさから美術的価値も高く、コレクターもいるらしい。
今のシンにはまるで関わりのない話だったが。
シンが貰ったお金を仕舞っていると、納品物を整理していたギルドの受付職員が嬉しそうな目を向けてきた。
「シン君は依頼品の採り方が綺麗だし、均一な品を持ってきてくれてありがたいわ」
そうなるように特別気を遣っているわけではない。強いて言えば、日本人として生まれた国民性というか、性格的なものだ。雑な採取で枯らしてしまっては勿体ない。
そもそも、提出した依頼品は、事前に採取してストックしてあった分なので、〝当たり外れ〟は少なかった。
それに、小さすぎるものを出しても次に繋がらない。規格外品扱いで買い叩かれるし、最悪、買い取りすらしてもらえない可能性もある。だったら、在庫からある程度の品質のものをまとめて出してしまおうという考えだ。
もちろん、王都の周囲を散策がてら、植物の生育環境を調べたり、新たに採取したりもしている。
また、シンが枝葉を丁寧に切っているおかげで、薬草などが繰り返し採れることが判明した。
採取して残った株に、気まぐれに余ったポーションを振りかけたところ、翌日見たら新しい芽が生えていたのだ。珍しい種類の薬草やキノコでも試したら、多少効き目には差はあったものの、概ね似たような効果が得られた。
人間の回復薬は、植物にとって万能液肥のようである。
(ズルっぽいけど、納品も調合も安定するから、便利なんだよな)
褒められてちょっと気恥ずかしさと後ろめたさを覚えるシンであった。
黙っていると、まだ用があると思われたのか、受付の女性が小首を傾げる。
「他に依頼は受ける?」
「そうですね。どんなのがあるか、見せてもらえますか?」
依頼カードがファイリングされたノートをめくりながら確認する。
定番の採取依頼から討伐依頼はもちろん、護衛、配達、街の清掃や溝のドブさらいまであって、実に幅広い。
しかし、清掃やドブさらいは不人気のようで、未達になっている数が多かった。危険性が少ないからか、他よりも賃金も低い。
「この依頼はねぇ、初心者向きなんだけど……最近の子はやりたがらないのよね」
冒険者業がなかなか軌道に乗らないビギナー向けのクエストらしい。
内容はいたって普通の掃除だが、たまに低級の魔物が出てきたりするので、ギルドに回ってくるのだそうだ。
これらも街の人に感謝されたり、コネができたりする立派な仕事だが、『冒険者』っぽくないし、地味な汚れ仕事だからか、受ける人は少ないという。
「魔物を倒すのだけが冒険者業じゃないんだけどねぇ……」
苦笑するお姉さん。冒険者になりたてのイキった人間はいるだろうと、シンも納得する。
「僕がやりましょうか?」
依頼されていた区域には、シンの利用している宿泊施設街が含まれていた。そういえば……と、シンは宿屋の裏の排水路が臭っていたことに思い至る。
「いいの? シン君はFランクなのに……」
シンはビギナーとは言いがたいが、試したいこともあるので、構わないと頷いた。
すると、ギルドの受付職員はぱぁっと表情を輝かせ、どこからか持ってきた追加のファイルをどさどさとカウンターに積み上げる。
「えーと、どこが一番古かったかしら……いや、緊急要請分からがいいかしら?」
「これ、まさか全部……?」
さすがに引いた様子のシンを見て、受付職員は慌てて縋りつく。
「ぜ、全部じゃなくていいのよ!? 一部でいいの! あ、あったこの五番街の下水路なんだけど」
受付職員はシンを逃すまいと目をギラギラさせる。
しかし、下水は間違いなく臭い。シンは洗剤や石鹸になる『セケンの実』の手持ちがどれくらいあったか心配になった。
結局、五番街の水路以外にも近隣のドブさらいを受けることになった。
出来高制で、作業範囲に応じて報酬が支払われるため、小出しに貰えるそうだ。
ギルドを出たシンは、五番街の外れから下水路に入る。
一番着古した服と簡素な布マスクと手袋を装備し、耐水性のあるブーツも履いてきた。全て使い捨ての覚悟である。もちろん、清掃のためにモップやブラシも借りてきた。
しかし……はっきり言おう。
そこは極めて劣悪な環境だった。
汚い、臭い、危険。見事な『3K』である。
真夏のドブ水のよくある腐敗臭に加えて、アンモニアのようなツンとした刺激臭も感じる。病原菌がウヨウヨいそうである。
あまりに臭いせいか、人どころか動物や虫の気配すらしない。
シンは基本、魔法に頼らずなんでも自分の手で頑張ってこなしてきたが、さすがにこれは無理だ。
迂闊にやれば、得体の知れない病気を拾ってしまいそうだ。清掃をしに来たのであって、感染症第一号になりに来たのではない。
シンはすぐさま手作業ではなく魔法での作業に作戦変更した。
気を抜いて歩くだけで足を滑らせそうな、妙なぬかるみがいっぱいある中、とりあえず、片っ端から洗浄魔法をかけまくる。
ランプを持ちながら周囲を照らし、壁、床、そして水路の順にどんどん洗浄していく。
壁や床は比較的簡単に綺麗になったが、下水路というだけあって、水路は汚い。
汚水が詰まってろくに流れていないのが余計に悪いのだろう。汚水というより、汚泥のように沈殿している。
試しにちょんとゴミを突っ込んでみたところ、濁りまくっていて透明度はゼロ。
(うーん、これだけ汚いと、もう洗浄じゃなくて浄化からか?)
悪魔を消滅させるようなものや、高度な解呪といった高位魔法でなければ、シンでも使える。
えいや、と浄化魔法を掛けてみると、周囲の水が綺麗になる。
しかしそれも一瞬だけで、すぐさま汚泥に呑み込まれてしまう。
さらに魔力を込めて広範囲に行うと、汚泥の中に潜んでいたらしいポイズンスライムやアシッドスライムといった魔物たちが飛び出してきた。
不浄を好むらしいこの魔物たちにとって、浄化の魔法は大打撃だったらしい。飛び出た直後にヘロヘロになって溶けて死んだ。彼らにしてみれば、シンの行いは爆破テロ並みの所業だろう。
シンは無心で浄化・浄化・浄化たまに洗浄、そして水魔法で押し流し……と繰り返して、なんとか水路を一本綺麗にできた。
出てきたのはスライム系だけではなく、鼠の魔物やナメクジのような魔物、下級のゴースト系など。それらも大半は浄化魔法で死滅し、たまに魔石や毒石をころころと残した。
まれに果敢に飛び掛かってくる魔物もいたが、シンにモップやブラシで殴打されて撃沈した。
唯一シンが肝を冷やしたのは、奥の方から巨大なゴキブリが飛んできた時だ。
大嫌いな虫ということで、風魔法で木っ端微塵にした。
粉々になった死骸に鼠が一斉に群がるが、これは見て見ぬふり。死体の上の魔石も手で触りたくないので無言で蹴り飛ばし、なかったことにした。
その後はただただ心を無にして、サーチ&デストロイ。
シンは異世界に来てもゴキブリとは和睦できなかった。
多分、一生無理だろう。来世にご期待くださいと言っておく。
◆
下水路掃除を終えたシンは、ギルドに向かう前に、自分に入念に洗浄の魔法を重ね掛けした。
全身の不快感は相当なもので、吐く息すら下水の臭いに染まっている気がして、普段なら買わないミント入りのレモンティーを購入したほどだ。
じゅうううっとストローで吸いながら、シンは必死に気持ちを切り替える。
あの暗黒腐臭空間に比べればどこだってパラダイスだ。日差しが燦々と降り注ぐ表通りを、いつにも増してフレッシュな気持ちで歩ける。
ちなみに、この世界のストローは、もともと穴の開いている筒状の植物を切って使っているようだ。
ギルドに報告しに行くと、シンの顔を見た受付職員があからさまに驚いてぎょっとしていた。
「え、もう五番街の下水路が終わったの?」
確かに、肉体労働だけでやったら、数日掛かっても終わらなかっただろう。魔法万歳である。
「はい。それで、下級ですが魔物も出たので、これは買い取りしてもらえるのかなって」
シンは魔物が落とした魔石などをカウンターの上に並べる。
「ええ、もちろんよ。えっと、ポイズンスライムの毒石ね。アシッドスライムの魔石もある! うわぁ、ダストマウスがいっぱい……数えるので、預かります! これはホロゴーストの霊石と魔石!! あそこ、そんなのまで棲み着いていたの!?」
検品していたギルド職員は驚きの声を上げた。あまり良くない魔物がいたらしい。
「魔法で浄化しながらやっていたら、奥から出てきました」
「そ、そう……この魔物、狡賢くて物理攻撃が効かないから、初心者殺しなのよ。Iランクのビギナーが行かなくて良かったわ」
汚水を浄化していた時に水面や奥の水路から出てきて、勝手に死に絶えていっただけなので、シンとしてはどんな魔物がいたのか、あまり気にしていなかった。
実感が湧かず、そうなのか? と首を傾げる。
それより、ここにきてひたすら掃除してきた疲れが出てきて辛かった。
「あの、今日は疲れたので、明日取りに来るのは可能ですか?」
「大丈夫よ。ありがとう、お疲れ様。これが引き換え札だから、提示してね」
「はい、ありがとうございます」
札を貰ったシンは、ぺこりと頭を下げてギルドから出ていった。
手を振ってシンを見送ったギルドの受付職員は、彼の姿が見えなくなったのを確認すると、すぐさまギルド長の執務室に駆け込んだ。
「ギルド長! ついにあの依頼が達成されました! 五年物の壁のシミになっていた下水路掃除依頼が!」
彼女の喜びに満ちた声からもわかるように、下水路掃除は掃除系の依頼の中でも特に不人気なのだ。とにかく汚くて臭いから、一度やったあとは二度とやらないという人も少なくない。
ところが、シンは最も劣悪と言われる五番街を綺麗にしてきたらしい。
確認をするまでもなく、五番街のあの地獄の腐臭ゾーンが消え失せたという噂が既にギルドまで届きはじめていた。かなり綺麗にやってくれたのだろう。
しかもシンは、残りの依頼も突き返さなかった。つまり、壁のシミとなっていた他の依頼カードも減る。依頼者や近隣住民からの突き上げもあったため、ギルドは狂喜乱舞である。
そんなこととは露知らず、シンは女性に臭いと言われずに済んだとほっとしていた。
割と図太いシンでも、人に言われたくない言葉くらいある。
ましてや、受付職員は明るく親切で可愛らしい人だったので、余計にそう思ったのだった。
◆
神界の中でも一際大きな神殿に、男の笑い声が響いていた。
いかにも上機嫌といった様子で、傲慢さの滲む哄笑だ。
「ふはははは! ようやく俺様の素晴らしさがわかったようだな、あの女神たちも!」
声の出所である部屋には屈強な男の石像があり、その足元には玉座のように豪奢な椅子が一脚置かれている。
そこにふんぞり返って高笑いしているのは、この世界における大神の一柱である戦神バロス。
もとは異世界から来た人間で、前の世界ではゲーム好きのフリーターだった。課金しすぎて借金を背負うほどののめり込み具合で、そんなどん底の生活から逃れるためにも、この世界への召喚は渡りに船だったと言える。
『バロス』というのは彼の本名ではなく、重課金していたゲームのアバターの名前だ。彼にとって、過去の名は恥ずべきものであり、唾棄すべき弱く惨めな黒歴史そのものだった。
この世界に来てからのバロスは、『勇者』としてたくさんの魔物を屠り、人々を救った。苦しい思いもたくさんした。しかし、魔王を倒したことで、彼の生活は一変する。
全ての者が彼をもて囃した。名誉、財産、そして美しい女たち。まさに世界の全てを手中に収めるような栄華を手に入れた。そして今では、戦神として祭り上げられ、神界の女神たちを娶るまでになったのだった。
「そういや、なんか揃いも揃って変な約束させられたけど……まあいいか」
女神たちが彼との結婚の条件に出した契約書には、妙な条件が記載されていた。
どれもこれも大した内容ではなかったし、弱小女神たちのせめてもの抵抗なのだろう。
破ったとしても一日のうち数分動物になるとか、喋ってはいけないとか、そんなものだ。
周囲を見回せば、今までバロスに捧げられた女や、奪ってきた女たちがいた。
皆、黙って膝を折り、祈るように指を胸の前で組んでいる。
確か、この女はどこぞの貴族の娘で、その横にいるのは、戦神であるバロスを信仰する騎士の恋人だった女――戦の勝利の見返りとして捧げられた貢物――だったはずだ。
その手の貢物は多かったので、うろ覚えだ。
そうでなくても、目に入った若く見目麗しい女は次から次へと手に入れてきた。
しかし、そんなバロスでも自分のモノにできなかった女がいた。
バロスが勇者だった時の、テイラン王国の末姫だ。美しく気が強い娘だった。
魔王を倒し、現人神とばかりに称えられていたバロスが、ちょうど姉姫に飽きていた頃、妻の一人にしてやると言ったら、彼女は頑なにこれを拒んだ。
彼女はバロスではなく王宮魔術師――その中でも下っ端の男と想い合っていたのだ。これを知ったバロスは激怒し、二人まとめて殺した。二人は互いを守るように折り重なって死んだ。
結局、彼女は最後までバロスのモノにならなかった。
それからだ。バロスが他人の伴侶や恋人や、バロスを強く拒絶する女こそ欲しがるようになったのは。
先ほどまで良い気持ちだったのに、嫌なことを思い出してしまったバロスは、歪みかけた顔を欠伸で誤魔化す。
「ふぁああ、それにしても暇だな。オイ、今日はお前でいいや。その列の奴、まとめて来い」
バロスが何人か指差すと、女たちは自動人形のように立ち上がり、言われた通りについてくる。
寝台に上がったバロスは女たちを並ばせ、まずはどれから楽しもうかと吟味しはじめた。
まず目に入った赤毛で豊満な体つきの女に、顎をしゃくって来いと命じる。
その他にも金髪の泣き黒子が色っぽい女や、茶髪で大人しそうな顔だが胸がとても大きい女などを選んでいく。
どれもこれもバロスが色々なところから集めた美しい妻たちだ。
「じゃあ、まずは――ぐっ!?」
そのうちの一人を寝台に引き込んだところで、バロスは突然、まるで毒を飲んだかのようにのたうち回った。何かドンと、体中に衝撃が走ったのだ。心臓が殴られたような、臓腑を握り潰されたような痛みだった。
暴れすぎて寝台から落ち、掴んだままのシーツをぐちゃぐちゃに巻き込みながら、もんどり打つ。しばらくバタバタと一人暴れていたバロスだが……ややあって異変が収まり、顔を上げる。
やけに女たちや天井が遠い気がする。まあいいかと女を引き寄せようとしたものの……全く手が届かない。よくよく見れば、自分の手に水かきと吸盤のようなものが付いている。
(ななな、なんだ!? ど、どうなっている!? 神力が使えない!? くそ! 喋れもしねえ!)
バロスは今――一匹の小さな蛙になっていた。
――ああ、面白くなってきた。
どこかで美しい神々が笑った。
残酷に、稚く、安堵したように、歓喜しながら――それぞれ思い思いに秘めた感情を浮かべながら。
◆
王都でシンは、相変わらず勤勉に働いていた。
あの後、五番街の下水路の清掃依頼の達成報酬として、本来は三万ゴルドのところ色を付けて五万ゴルドを得たシンは、嬉しくてしばらく水路や街路の掃除依頼を受けまくった。
まるで清掃業でも始めたかのような勢いだ。
潔癖症とか綺麗好きというわけではないが、汚い街より綺麗な街の方が良い。
また、浄化や洗浄、水魔法などの練習にもなったし、あまり見かけない珍しい魔物もたまに出てくる。
それに、依頼を達成するたびに受付職員が食事やジュースを奢ってくれるし、抱きつかんばかりに喜んでくれるのも、シンのやる気を増進させた。
そうして清掃を繰り返すうちに、ようやくギルドの壁にずっと貼り付いていた古紙の依頼カードが綺麗さっぱりなくなった。街も幾分清潔になっただろう。
それを確認し、シンは再び採取や討伐の依頼を受ける生活に戻ることにした。
今日彼が受けたのは、猪系の魔物――ボアの討伐依頼。
掃除以外の依頼を受けるシンを見たある男が「下水道でスライムごっこはやめたのか?」と揶揄してきたが、彼はギルドのベテラン職員にアイアンクローで顔面をキュッとされていた。
首をギュッとされていなかっただけマシだろう。
久々に王都の外に出ての狩りだったが、新調した弓も手に馴染んできたし、どこに何があるかもわかってきた。
シンはさっそく何匹かの獲物を仕留めた。
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