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第二章 婚前編

【結婚式147時間前からの5・3日間】

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 【結婚式147時間前からの5・3日間】午前七時、乳児院の朝がはじまる。

「円佳せんせーっ!」

 朝、起こしにいくと子供たちが飛びついてきてくれた。
 一人一人を抱きしめる。

 ここにいるのはさまざまな事情により、親と暮らせない子ばかりが預けられている。

 私達職員は、子供たちに『スタートからつまづいてしまった』と思ってほしくない。
 一般的な家庭より大家族だけど、愛をもって子供たちに接しているつもり。
 キラキラな笑顔を向けてもらえると、今日も一日頑張ろうと思う。

 ……どの職場もそうなんだろうけれど、乳児院の一日も戦場だ。

 零歳児から一番大きくて六歳児まで着替えさせてご飯を食べさせ、歯磨きにトイレ。
 合間に洗濯、布団干し。子供たちと一緒に掃除。
 お昼を食べさせてから、運動。

 ドッヂボールをしている子たちを見て、ふいに思った。
 私、透也君と家庭を築きたかったな。
 彼の赤ちゃんを産んで、抱っこしている私を、透也君に抱きしめて欲しかった……。

 鼻の奥がツンとしそうになる。
 いかん、今は眼の前の子たちが第一。

「透也君なんて、ぺっぺーだ!」
「せんせー?」
「なんでもない」

 思わず、声に出てしまったらしい。

 ……お遊戯に工作に紙芝居や歌の時間とおやつ、お昼寝。
 洗濯を取り込んで分類して、自分の引き出しにしまわせる。

 合間に業者との打ち合わせや、児童相談所や保健所、家庭裁判所。
 同業施設など、関係各所に連絡をとる。
 親との面談をし、親子の対面に立ち会う。

 なんとか時間を作って一緒に文字や算数の勉強をしたり、トイレトレーニングに付き合ってはうまく出来た子を褒めてあげる。

 夕飯に歯磨き、お風呂、寝かしつけ。
 先生方とのミーティングで特別養子制度への取り組みについて話し合う。

 夜。
 くたくたになってベッドに飛び込むやいなや、透也君の顔が浮かんできてしまった。

 忙しいときは誤魔化せるけど、一人になったり静かになると、途端に彼の面影がのしかかってくる。


 思いだすのは、私に甘えてきた仕草や彼の拗ねた表情。 

『世の中、難しいことなんてなにもない』と思っている態度。
 私にも隠れてトレーニングしている姿。
 こっそり覗きみた、仕事をしているときの横顔。

 嘉島を背負うために努力している人。
 懐に入れてしまえば、冷たくなりきれない優しい人。

 TV電話の向こうで透也君に導かれながら、自分で体を高め歓びの声を上げた夜。
 あのとき、彼は『円佳、愛してるよ』と言ったのだ。

『両思いの人と結婚出来るなんて、奇跡ってあるんだなぁ……』

 私が透也君のことを想いながら感謝して、シャワーを浴びたのは次の朝のこと。 

 私は透也君のことが大好きで、私の人生は透也君が全てだった。
 彼も私を愛してくれてると思っていた。

「初めて会ったときから浴びるようにもらった言葉は、全て嘘だったってことだよね」

 夢物語に浸っていた自分が嗤えてくる。
 
「人生の半分以上を一緒に過ごしてきたのに……っ」

 ミッションさえクリアしてしまえば、良心はちっとも痛まずあっさりと私を棄ててしまえる。
 それくらい、彼にとって私は不要な存在だったの?

 彼の中に、私への想いは欠片もないのかな。

「だったら!」

 なんで私を欲しがったの。
 貴方なら、私を傷つけることなく知らないうちに、欲しいものを手に入れられたよね?
 なぜ、私が知らないうちに奪ってくれなかった。
 どうして私に恋心を植え付けたの――――!

 私を堕とすだけ堕としたくせに。
 いずれ私を忘れてしまうであろう透也君が、恨めしくて憎らしい。
 腹立だしい。
 悲しい。
 寂しい。
 恋しい。

 ふと。

「……女(仮)が言ったみたいに、彼は私を殺す、の……?」

 ううん、殺すために結婚しようとしたんだ。
 だって『オ父サンノ特許』さえ手に入れば、私のことは要らないんだもの。

 私が死ねば『妻からの相続物』として簡単に透也君の手に入るのだから。

 むしろ私がずっと生き続けていたら、透也君がほんとうに結婚したい女性との障害でしかない。

「それもいいかな……、透也君の役には立つんだし……」

 頭の芯がぼうっとしてきた。考えたくない。
 泣き疲れて寝落ちする寸前に、天啓のようにひらめいた。

「そうだっ、『オ父サンノ特許』を透也君にあげよう!」

 私と結婚しなくても譲渡する、という書面を嘉島家の弁護士さんに作ってもらえばいいんじゃない?

 今まで、母の給料や自分が働いて得たお金で生きてきた。
 会ったことのない父親の特許料なんて、あてにしていない。

「どうせ、こっちは一般人だもの。そんなものを持ってたって、宝の持ち腐れだし」

 透也君が欲しがっているのならば、彼に使ってもらえばいい。そのほうが特許も喜ぶ。

「そうしたら透也君は私と結婚せずに済むし! 別の……、もしかしたら本当に好きな人と結婚出来るかもしれないしね」

 嘉島家は政略結婚がデフォルトで、私と別れたら別れたで透也君はどこかの令嬢と愛のない結婚をするだけなのかもしれない。

 ごろりと寝返りをうって、天井を見上げる。

「透也君が私から自由になったら、私も彼から自由になれるのかなあ? ……それも無理」

 私は浮かんだ疑問を即座に否定した。
 彼とのつながりが未来永劫なくなったとしても、私に刻まれてしまった透也君への想いは消えない。

 だからと言って幸せだった分、他のひとが私の場所にいて笑っているのを見ていられるほど、私は強くない。

『恋を失っても、透也君を好きになれてよかった』
 なんて、一生かかっても達観できないだろう。

 遠くで幸せを祈ってあげられるかな。それも無理。泣き暮らして、恨んでしまうだろう。

 考えただけで、体の半分がちぎれてしまったみたい。
 痛いよ。
 辛いよ。
 寒いよ。

 ……でも。

 私の前でだけ浮かべてくれる、ふにゃりと力の抜けた笑顔。
 温かな胸も優しいキスも私を欲しがる雄のまなざしも、溺れるくらい与えてもらった。

 一個ぐらい、私がプレゼントしたってバチはあたらない。

「むしろ、もらいっぱなしでツケが一気に来たのよ、ウン」

 透也君も父も、私の人生にもともと存在していなかったと思えば、きっと生きていける。

 両方の眼からぼたぼたと涙が溢れ出る。
 とまらない。
 私はベットサイドからティッシュを箱ごと引き寄せて、盛大に鼻をかんだ。

 ……サヨナラをするんだ。
 五年前に出来なかったことを、今度こそやりとげる。

 
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