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第17話 愛に気づく瞬間
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戦いが終わった後の王城は、奇妙なほど静かだった。
遠くの回廊で兜の音が小さく響き、焦げた匂いと血の匂いが入り混ざって漂う。
空気は重く、天井の高い石壁がその重みを増幅しているかのようだった。
ノエルは、まだ温もりの残るクロエの身体を抱きしめた。
彼女の顔色は蒼白で、唇がかすかに震えている。
「もう少しで医師が来る。だから……目を閉じては駄目だ。」
震える声で囁くと、彼女の瞳が薄く開いた。
「殿下……わたし、平気です。ほんの少し痛いくらい。」
「君は嘘が下手だ。」
「ふふ……そうですね。いつも本当のことを言えません。」
「なら今くらいは、素直に頼ってくれ。」
そう言った彼の声に、涙がにじんだ。
医師と侍女が駆け寄り、次々と包帯と薬草を用意する。
クロエは担架に乗せられながら、ノエルの袖をそっと掴んだ。
「殿下……お願いがあります。」
「言ってみなさい。」
「もし、私が目を覚まさなかったら……どうか笑ってください。」
「何を言うんだ。」
「涙より、笑顔の方が、きっと似合います。」
ノエルの胸の奥に、何かが軋んだ。
「勝手なことを言うな。君は生きるんだ。私が必ずそうさせる。」
クロエはかすかに微笑みを残し、ゆっくりと目を閉じた。
救護室に彼女を運び終わると、ノエルは廊下に立ち尽くした。
自分の肩の傷などどうでもよかった。
彼女の血の温もりだけが、まだ掌に残っている。
その温もりが、彼の心に火を灯していた。
「……クロエ。」
その名を呼ぶ声は、祈りでもあった。
扉の外で、ルシアンが立っていた。
包帯を巻いた腕を押さえ、沈んだ目をしている。
「殿下、彼女は……?」
「一命は取り留めた。だが安静が必要だ。」
「よかった。」
ルシアンは小さく息を吐き、それから苦い顔をした。
「俺は、どんな顔をして彼女に会えばいいか分からない。あいつを苦しめたのは俺なのに。」
「償う道ならある。」
「どうしてそう言えるんです。」
「人は、傷つけたからこそ誰かを守ることを学べる。それを無駄にするな。」
ノエルの静かな声に、ルシアンは目を伏せた。
「殿下……俺は、あの人が貴方のそばにいることで幸せなら、それでいいと今は思います。」
「それでも、彼女への後悔は消えないだろう。」
「ええ、だろうな。でも、これで前を向けます。」
ルシアンは笑った。涙をこらえたような笑み。
そして小さく頭を下げ、歩き去って行った。
残されたノエルは、沈む夕日の中で拳を握った。
再び扉の向こうを見つめる。
「クロエ……どうか、戻ってきてくれ。」
夜が訪れ、王都の灯がまたたく。
王妃セレーネは城門の前で、無事を確認するために現場を歩いていた。
名誉を失った宰相は拘束され、反乱は終息に向かっている。
だがセレーネの心配はただ一つ、息子と、彼を支えた侍女のことだった。
「ノエル、あなたはようやく本当の愛を見つけたのね。」
月を見上げて王妃は呟く。
「それがどんなに苦しいものであっても、愛だけが人を王たらしめる。」
その夜、クロエの夢の中では、あの日と同じ夜風が吹いていた。
回廊の端で、誰かが優しい声をかける。
――大丈夫ですか、と。
ふと振り向くと、旅人の姿をしたノエルが、あの時の微笑みのままで立っている。
「また会いましたね。」
「……夢、ですか?」
「夢かもしれません。でも、心は嘘をつかない。」
彼はクロエに近づき、そっと手を取る。
「君がいなければ、私は自分を見失っていた。」
「殿下……。」
「いや、今日だけは“ノエル”で構わない。」
「ノエル様……私は貴方を――」
言葉の続きが風に消え、光が満ちていく。
目を開けると、淡い光が窓から差していた。
白い天井、包帯で巻かれた肩の鈍い痛み。
クロエは自分が生きていることを知った。
「……ここは……。」
「気がついたんですね。」
ベッドの傍らで、ノエルが立っていた。
その姿は夜明けの光を背に受け、まるで幻のようだった。
「殿下……無事で……?」
「君があの矢を止めてくれたおかげでな。」
「よかった……本当によかった……。」
涙が頬を伝う。
ノエルがゆっくりと近づき、彼女の手を握った。
「あの時、君が言ったこと。覚えているか?」
「……最初に差し伸べてくださった、あの手のこと。」
「そう。あれは助けるためじゃなかった。君に触れて、自分の生き方を確かめたかった。」
クロエは目を見開く。
ノエルの瞳は真っ直ぐで、王族としての冷たさではなく、ひとりの男の温かさを宿していた。
「私は、王太子として多くのものを守ってきた。けれど、君を守ると決めた時ほど、自分が生きていると感じたことはない。」
「殿下……。」
「君を特別だと思ってはいけない――そう自分に言い聞かせてきた。でも、もう嘘はつけない。」
ノエルの手が、彼女の頬に伸びる。
その指先が触れた瞬間、胸の奥が痛いほど高鳴った。
「私は君を王城で取り立てた侍女としてではなく、クロエという一人の女性として愛している。」
長い沈黙が降りる。
クロエは目を閉じ、涙がこぼれた。
「ずるい方……こんな時に。」
「言わずにはいられなかった。」
「そんな言葉を聞いたら、立ち上がれなくなります。」
「いい。まだ立たなくていい。今は休んでほしい。」
ノエルの声が優しく響き、クロエはその手に額を寄せた。
「前に言いましたよね。もし、わたしが誰かを信じることをもう一度覚えたら、その時は――」
「“この想いを返す”と。」
「ええ。だから今、返します。殿下、私は貴方を心から信じています。」
涙の代わりに笑みを浮かべ、クロエは目を閉じた。
ノエルの瞳が熱く揺れる。
彼の心が、この瞬間、確かにほどけた。
医師が入ってくる音がしても、二人は手を離さなかった。
静かな光が部屋に満ちていく――。
それは、長い戦いの果てにようやく訪れた安らぎの時間。
愛と信頼が、ようやく重なったその瞬間だった。
続く
遠くの回廊で兜の音が小さく響き、焦げた匂いと血の匂いが入り混ざって漂う。
空気は重く、天井の高い石壁がその重みを増幅しているかのようだった。
ノエルは、まだ温もりの残るクロエの身体を抱きしめた。
彼女の顔色は蒼白で、唇がかすかに震えている。
「もう少しで医師が来る。だから……目を閉じては駄目だ。」
震える声で囁くと、彼女の瞳が薄く開いた。
「殿下……わたし、平気です。ほんの少し痛いくらい。」
「君は嘘が下手だ。」
「ふふ……そうですね。いつも本当のことを言えません。」
「なら今くらいは、素直に頼ってくれ。」
そう言った彼の声に、涙がにじんだ。
医師と侍女が駆け寄り、次々と包帯と薬草を用意する。
クロエは担架に乗せられながら、ノエルの袖をそっと掴んだ。
「殿下……お願いがあります。」
「言ってみなさい。」
「もし、私が目を覚まさなかったら……どうか笑ってください。」
「何を言うんだ。」
「涙より、笑顔の方が、きっと似合います。」
ノエルの胸の奥に、何かが軋んだ。
「勝手なことを言うな。君は生きるんだ。私が必ずそうさせる。」
クロエはかすかに微笑みを残し、ゆっくりと目を閉じた。
救護室に彼女を運び終わると、ノエルは廊下に立ち尽くした。
自分の肩の傷などどうでもよかった。
彼女の血の温もりだけが、まだ掌に残っている。
その温もりが、彼の心に火を灯していた。
「……クロエ。」
その名を呼ぶ声は、祈りでもあった。
扉の外で、ルシアンが立っていた。
包帯を巻いた腕を押さえ、沈んだ目をしている。
「殿下、彼女は……?」
「一命は取り留めた。だが安静が必要だ。」
「よかった。」
ルシアンは小さく息を吐き、それから苦い顔をした。
「俺は、どんな顔をして彼女に会えばいいか分からない。あいつを苦しめたのは俺なのに。」
「償う道ならある。」
「どうしてそう言えるんです。」
「人は、傷つけたからこそ誰かを守ることを学べる。それを無駄にするな。」
ノエルの静かな声に、ルシアンは目を伏せた。
「殿下……俺は、あの人が貴方のそばにいることで幸せなら、それでいいと今は思います。」
「それでも、彼女への後悔は消えないだろう。」
「ええ、だろうな。でも、これで前を向けます。」
ルシアンは笑った。涙をこらえたような笑み。
そして小さく頭を下げ、歩き去って行った。
残されたノエルは、沈む夕日の中で拳を握った。
再び扉の向こうを見つめる。
「クロエ……どうか、戻ってきてくれ。」
夜が訪れ、王都の灯がまたたく。
王妃セレーネは城門の前で、無事を確認するために現場を歩いていた。
名誉を失った宰相は拘束され、反乱は終息に向かっている。
だがセレーネの心配はただ一つ、息子と、彼を支えた侍女のことだった。
「ノエル、あなたはようやく本当の愛を見つけたのね。」
月を見上げて王妃は呟く。
「それがどんなに苦しいものであっても、愛だけが人を王たらしめる。」
その夜、クロエの夢の中では、あの日と同じ夜風が吹いていた。
回廊の端で、誰かが優しい声をかける。
――大丈夫ですか、と。
ふと振り向くと、旅人の姿をしたノエルが、あの時の微笑みのままで立っている。
「また会いましたね。」
「……夢、ですか?」
「夢かもしれません。でも、心は嘘をつかない。」
彼はクロエに近づき、そっと手を取る。
「君がいなければ、私は自分を見失っていた。」
「殿下……。」
「いや、今日だけは“ノエル”で構わない。」
「ノエル様……私は貴方を――」
言葉の続きが風に消え、光が満ちていく。
目を開けると、淡い光が窓から差していた。
白い天井、包帯で巻かれた肩の鈍い痛み。
クロエは自分が生きていることを知った。
「……ここは……。」
「気がついたんですね。」
ベッドの傍らで、ノエルが立っていた。
その姿は夜明けの光を背に受け、まるで幻のようだった。
「殿下……無事で……?」
「君があの矢を止めてくれたおかげでな。」
「よかった……本当によかった……。」
涙が頬を伝う。
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「あの時、君が言ったこと。覚えているか?」
「……最初に差し伸べてくださった、あの手のこと。」
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「殿下……。」
「君を特別だと思ってはいけない――そう自分に言い聞かせてきた。でも、もう嘘はつけない。」
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「“この想いを返す”と。」
「ええ。だから今、返します。殿下、私は貴方を心から信じています。」
涙の代わりに笑みを浮かべ、クロエは目を閉じた。
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彼の心が、この瞬間、確かにほどけた。
医師が入ってくる音がしても、二人は手を離さなかった。
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愛と信頼が、ようやく重なったその瞬間だった。
続く
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