『働いたら負けだと思ったので、何もしなかったら勝手に勝ちました』

ふわふわ

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第36話 何もしない女が、選ばれるとき

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第36話 何もしない女が、選ばれるとき


---

 名前だけが残り、
 本人が関与しない状態が定着すると――
 世界は、最後の勘違いを起こす。

 「それでも、この人を選べば間違いない」

 という、
 最も厄介な幻想だ。


---

「お嬢様」

 朝、マリエの声には、
 珍しく緊張が混じっていた。

「正式な……
 “指名”が届いています」

「指名?」

 ファワーリスは、
 静かにカップを置いた。

「はい。
 王宮からです」

 その言葉に、
 空気がわずかに張り詰める。


---

 書簡の内容は、
 丁寧で、理路整然としていた。

> 現在の安定した運営体制を評価し、
中立的立場からの象徴的存在として、
お名前をお借りしたい――



 借りる、という表現。
 だが実際は、
 責任だけを置いていく依頼だ。

 ファワーリスは、
 最後まで読み終えると、
 静かに紙を畳んだ。

「……選ばれましたね」

 マリエが、小さく言う。

「ええ」

 否定も驚きもない。

「最終段階ですわ」


---

 昼前、
 公爵が娘のもとを訪れた。

「断るのか?」

「はい」

 即答だった。

「理由は?」

 ファワーリスは、
 少し考えてから答える。

「“選ばれる”ということは、
 誰かの責任を
 引き受ける前提になります」

「象徴として、
 名前だけでも……」

「それが一番、危険です」

 彼女は、
 きっぱりと言った。

「名前だけの責任は、
 引き受けた覚えがなくても、
 必ず請求されます」


---

 午後、
 王宮へ向けた返書が作成された。

 内容は、簡潔だった。

> 私は、
いかなる立場にも就きません。

判断にも、
責任にも、
関与いたしません。



 理由の説明はない。
 感情も、配慮も、
 付け加えない。

「……強いですね」

 マリエが呟く。

「強くはありません」

 ファワーリスは、静かに答えた。

「一貫しているだけです」


---

 その返書が届いた夜、
 王宮では短い会話が交わされた。

「……断られた」

「当然だな」

「だが、
 これで完全に外れた」

「いや」

 一人が、首を振る。

「これで、
 選ばない女として
 完成した」

 誰も、反論しなかった。


---

 夜。

 書斎で、
 ファワーリスは日記を開く。

『選ばれたとき』

 そう書いて、
 少しだけ考える。

 選ばれることは、
 光栄ではない。

 多くの場合、
 便利だから、選ばれる。

(だから)

 選ばれたときこそ、
 拒否しなければならない。


---

 ファワーリス・シグナスは、
 今日も何もしなかった。

 だが、
 世界が差し出した
 最後の役割を、
 静かに拒んだ。

 選ばれない。
 使われない。
 象徴にならない。

 それは、
 何もしない女が
 最後に手に入れる
 完全な自由だった。

 何もしないのが勝ち。

 その言葉は、
 もはや皮肉でも標語でもない。

 ――彼女の生き方、そのものだった。
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