『働いたら負けだと思ったので、何もしなかったら勝手に勝ちました』

ふわふわ

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第38話 何もしないという、最後の優しさ

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第38話 何もしないという、最後の優しさ


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 人は、誰かに話を聞いてもらうと、
 つい「助けられた」と思ってしまう。

 だが――
 それは、本当だろうか。


---

 前日の出来事は、
 静かに、だが確実に波紋を広げていた。

「……ファワーリス様のもとを訪ねた者が、
 少し落ち着いた様子で戻ってきたそうです」

 朝の報告で、マリエがそう伝える。

「そう」

 ファワーリスは、
 特別な感想も示さず頷いた。

「感謝していた、と」

「でしょうね」

 淡々とした返答。

「人は、
 自分の言葉を遮られなかっただけで、
 救われた気分になるものです」


---

 だが、その“感謝”は、
 また別の誤解を生む。

「……同じように、
 話を聞いてほしい、という方が
 増えそうです」

 マリエの声には、
 わずかな懸念が滲んでいた。

「ええ」

 ファワーリスは、
 窓の外に視線を向けたまま答える。

「そうなるでしょう」

「お断り、なさいますか?」

 一瞬の沈黙。

「いいえ」

 その答えに、
 マリエは目を見開く。

「ですが……
 それでは、また……」

「同じではありません」

 静かだが、はっきりした声。


---

「話を聞くことと、
 関与することは、違います」

 ファワーリスは続ける。

「助言しない。
 評価しない。
 結論を出さない。
 責任を分けない」

「……それでも?」

「それでも、
 “聞いた”という事実だけが残ります」

 それは、
 相手にとっては救いに見えるかもしれない。

 だが実際は、
 何も渡していない。


---

 午後、
 二人目の訪問者が現れた。

 彼もまた、
 失敗を抱え、
 判断に迷い、
 誰にも話せずにいた。

「私は……
 どうすればよかったのでしょうか」

 問いは、
 答えを求めているようで、
 実はそうではない。

 ファワーリスは、
 ゆっくりと首を横に振った。

「それは、
 私が答える問いではありません」

 それだけを告げ、
 あとは沈黙した。


---

 長い沈黙。

 その間、
 彼女は一切、
 相手を導かない。

 やがて、
 男は自分で口を開いた。

「……私は、
 結果を恐れていました」

 誰にも促されずに。

「だから、
 決断を遅らせた」

 ファワーリスは、
 何も言わない。

 それで十分だった。


---

 夜。

 マリエが、
 少し複雑そうに言う。

「……優しいですね」

「いいえ」

 即答だった。

「優しさではありません」

「では?」

「距離です」

 短く、明確な言葉。

「踏み込まない、
 という距離」


---

 書斎で、
 ファワーリスは日記を開く。

『最後の優しさ』

 そう書いて、
 少し考える。

 助けないこと。
 導かないこと。
 背負わないこと。

 それらは、
 冷酷に見える。

 だが実際は、
 相手の人生を奪わないための、
 最後の配慮だ。


---

 ファワーリス・シグナスは、
 今日も何もしなかった。

 手を差し伸べず、
 言葉も与えず、
 答えも出さない。

 それでも、
 人は自分の足で立ち上がる。

 何もしないのが勝ち。

 それは、
 誰かを救うためではなく、
 誰かの人生を、
 その人自身に返すための選択だった。
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