『働いたら負けだと思ったので、何もしなかったら勝手に勝ちました』

ふわふわ

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第39話 何もしない女が、去る準備をする

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第39話 何もしない女が、去る準備をする


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 何もしないという選択が、
 最後の優しさとして受け取られ始めた頃――
 ファワーリス・シグナスは、
 静かに「次」を考えていた。

 それは、前に出ることではない。
 関わることでも、選ばれることでもない。

 去る準備だった。


---

「お嬢様?」

 朝、マリエが書類を整理しながら首を傾げる。

「最近、
 領内の報告を……
 ほとんどご覧になっていません」

「ええ」

 ファワーリスは、
 特に隠すこともなく答えた。

「見る必要がなくなりました」

「……それは」

「問題がないから、ではありませんわ」

 彼女は、カップを置いて続ける。

「問題が起きても、
 私を経由しなくなったからです」

 マリエは、はっと息を呑んだ。


---

 彼女が意識的に距離を取り始めてから、
 現場は自律的に動くようになった。

 判断は現場で完結し、
 責任は当事者が引き受け、
 結果は記録される。

 そこに、
 ファワーリスの名前はない。

(完成、ですわね)

 胸中で、そう呟く。


---

 昼下がり、
 公爵が娘を訪ねてきた。

「……最近、
 お前がいなくても、
 すべてが回っている」

「ええ」

「それは、
 お前の望みか?」

 一瞬、
 ファワーリスは考えた。

「望み、というより……
 確認です」

「確認?」

「私がいなくても、
 何も壊れない、という」

 公爵は、
 静かに頷いた。

「……寂しくはないか」

「ありません」

 即答だった。

「役割を終えたものが、
 その場に留まる方が、
 不自然です」


---

 夕方。

 ファワーリスは、
 屋敷の回廊をゆっくり歩いた。

 使用人たちは、
 彼女を見て一礼するが、
 何かを期待する様子はない。

 それが、
 何よりの証拠だった。


---

「お嬢様……
 どこかへ、行かれるのですか?」

 マリエの問いは、
 半分、冗談のようだった。

「いいえ」

 ファワーリスは微笑む。

「まだです」

 だが、続けた。

「ただ、
 “いつでも行ける”状態には
 しておこうと思います」

「行ける……?」

「ええ」

 穏やかな声。

「ここに留まる理由が、
 もうありませんから」


---

 夜。

 書斎で、
 ファワーリスは最後の日記を開く。

 何ページも白紙が続く。

 そして、
 一行だけ記した。

『準備完了』

 それ以上、
 書くことはなかった。


---

 ファワーリス・シグナスは、
 今日も何もしなかった。

 だがそれは、
 停滞でも、逃避でもない。

 いつでも去れるという自由を、
 手に入れたということだった。

 何もしないのが勝ち。

 その哲学は、
 ついに「その場にいる必要すらない」
 境地へと辿り着いた。

 残るのは、
 彼女がいなくても回る世界と、
 彼女自身の静かな選択だけ。

 ――そして物語は、
 最後の一話へ向けて、
 音もなく歩き出していた。
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