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第十七話 戻るという選択肢
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第十七話 戻るという選択肢
王城の使者が帝都に到着したのは、灰色の雲が低く垂れ込めた朝だった。
公式訪問ではない。
儀礼も、行列もない。
それが、王国側の立場を如実に物語っていた。
「……ネフェリア・フォン・クロイツベルク様に、面会を」
使者は、宰相府の受付でそう名乗った。
声は丁寧だが、どこか硬い。
案内役の官吏は、淡々と頷く。
「少々、お待ちください」
待たされる時間は、短くも長くもなかった。
だが、その沈黙の中で、使者は嫌でも理解する。
――ここは、王国ではない。
ほどなくして、応接室へ通される。
ネフェリアは、すでに席に着いていた。
簡素な執務服。
だが、その姿勢には、揺るぎがない。
「お久しぶりです、ネフェリア様」
使者は深く頭を下げる。
「本日は、王太子殿下よりの非公式な書簡をお預かりしております」
「……そう」
ネフェリアは、感情を表に出さずに答えた。
差し出された封書を受け取り、
中身に目を通す。
文章は、丁寧だった。
配慮も、反省も、並べられている。
そして、最後にこう結ばれていた。
「王国に戻り、再び力を貸してほしい」
ネフェリアは、すぐには返事をしなかった。
使者の視線が、わずかに揺れる。
「……条件については、柔軟に対応するとのことです」
「そう」
彼女は、書簡を机に置いた。
「では、条件を伺いましょう」
使者は、ほっとしたように息を吐く。
「役職については、王太子妃候補に限らず――」
「その話は、不要です」
ネフェリアは、静かに遮った。
使者が、言葉を失う。
「わたくしが確認したいのは、別のことです」
ネフェリアは、視線を上げる。
「王国は、わたくしがいなくても、
回る仕組みを整えましたか?」
一瞬の沈黙。
「……それは」
使者は、答えに詰まる。
沈黙が、答えだった。
「では、次です」
ネフェリアは、続ける。
「戻った場合、
わたくしの判断に、
誰が責任を持ちますか」
「それは……最終的には、王太子殿下が」
「“最終的に”では、遅い」
ネフェリアの声は、淡々としている。
「問題が起きたとき、
わたくしに押し付けられる余地が残ります」
使者は、何も言えない。
「最後に」
ネフェリアは、わずかに息を整えた。
「わたくしが去った理由を、
本当に理解していますか」
使者は、口を開きかけ、
そして閉じた。
「……王太子殿下は、
あなたの価値を、今は深く認識されています」
「“今は”、ですね」
ネフェリアは、小さく微笑んだ。
それは、皮肉でも嘲笑でもない。
ただ、現実を受け止めた表情だった。
「評価は、
失ってからでは遅いのです」
使者は、深く頭を下げる。
「……お返事は」
「お返事は、すでに出ています」
ネフェリアは、はっきりと言った。
「王国に戻るつもりは、ありません」
その言葉は、冷たくも強くもなかった。
ただ、確定した事実として、そこにあった。
「わたくしは、
逃げたのではありません」
ネフェリアは、静かに続ける。
「選び直しただけです。
自分が、正しく扱われる場所を」
使者は、何度も頭を下げ、
応接室を後にした。
扉が閉まったあと、
室内には、静寂が戻る。
「……よろしかったのですか」
同席していたセドリックが、控えめに尋ねる。
「はい」
ネフェリアは、迷いなく答えた。
「戻る、という選択肢は、
最初から存在しませんでした」
「後悔は?」
「ありません」
即答だった。
帝国では、
彼女の助言は、
必要な分だけ求められ、
必要な分だけ尊重される。
王国では、
それが、できなかった。
それだけの違いだ。
一方、王国。
王太子は、使者からの報告を受け、
長く沈黙していた。
「……そうか」
それだけを、呟く。
怒りも、驚きもない。
ただ、胸の奥に、
静かな痛みが広がる。
選択肢は、確かにあった。
だが、
それを“選べる時間”は、
もう残っていなかった。
王太子は、窓の外を見つめる。
王都の街は、今日も動いている。
だが、その動きは、
どこか重く、遅い。
「……戻らない、か」
その言葉は、
誰に向けたものでもなかった。
帝国では。
ネフェリアは、再び執務に戻っていた。
新しい案件。
新しい判断。
そこには、
「過去を取り戻す」ための時間は、
もう存在しない。
第十七話は、
“戻るという選択肢が、
正式に消えた瞬間”
を描いていた。
それは、
ざまぁでも、復讐でもない。
ただ、
選ばれなかった場所が、
選ばれなかった理由を、
静かに突きつけられただけの話だった。
王城の使者が帝都に到着したのは、灰色の雲が低く垂れ込めた朝だった。
公式訪問ではない。
儀礼も、行列もない。
それが、王国側の立場を如実に物語っていた。
「……ネフェリア・フォン・クロイツベルク様に、面会を」
使者は、宰相府の受付でそう名乗った。
声は丁寧だが、どこか硬い。
案内役の官吏は、淡々と頷く。
「少々、お待ちください」
待たされる時間は、短くも長くもなかった。
だが、その沈黙の中で、使者は嫌でも理解する。
――ここは、王国ではない。
ほどなくして、応接室へ通される。
ネフェリアは、すでに席に着いていた。
簡素な執務服。
だが、その姿勢には、揺るぎがない。
「お久しぶりです、ネフェリア様」
使者は深く頭を下げる。
「本日は、王太子殿下よりの非公式な書簡をお預かりしております」
「……そう」
ネフェリアは、感情を表に出さずに答えた。
差し出された封書を受け取り、
中身に目を通す。
文章は、丁寧だった。
配慮も、反省も、並べられている。
そして、最後にこう結ばれていた。
「王国に戻り、再び力を貸してほしい」
ネフェリアは、すぐには返事をしなかった。
使者の視線が、わずかに揺れる。
「……条件については、柔軟に対応するとのことです」
「そう」
彼女は、書簡を机に置いた。
「では、条件を伺いましょう」
使者は、ほっとしたように息を吐く。
「役職については、王太子妃候補に限らず――」
「その話は、不要です」
ネフェリアは、静かに遮った。
使者が、言葉を失う。
「わたくしが確認したいのは、別のことです」
ネフェリアは、視線を上げる。
「王国は、わたくしがいなくても、
回る仕組みを整えましたか?」
一瞬の沈黙。
「……それは」
使者は、答えに詰まる。
沈黙が、答えだった。
「では、次です」
ネフェリアは、続ける。
「戻った場合、
わたくしの判断に、
誰が責任を持ちますか」
「それは……最終的には、王太子殿下が」
「“最終的に”では、遅い」
ネフェリアの声は、淡々としている。
「問題が起きたとき、
わたくしに押し付けられる余地が残ります」
使者は、何も言えない。
「最後に」
ネフェリアは、わずかに息を整えた。
「わたくしが去った理由を、
本当に理解していますか」
使者は、口を開きかけ、
そして閉じた。
「……王太子殿下は、
あなたの価値を、今は深く認識されています」
「“今は”、ですね」
ネフェリアは、小さく微笑んだ。
それは、皮肉でも嘲笑でもない。
ただ、現実を受け止めた表情だった。
「評価は、
失ってからでは遅いのです」
使者は、深く頭を下げる。
「……お返事は」
「お返事は、すでに出ています」
ネフェリアは、はっきりと言った。
「王国に戻るつもりは、ありません」
その言葉は、冷たくも強くもなかった。
ただ、確定した事実として、そこにあった。
「わたくしは、
逃げたのではありません」
ネフェリアは、静かに続ける。
「選び直しただけです。
自分が、正しく扱われる場所を」
使者は、何度も頭を下げ、
応接室を後にした。
扉が閉まったあと、
室内には、静寂が戻る。
「……よろしかったのですか」
同席していたセドリックが、控えめに尋ねる。
「はい」
ネフェリアは、迷いなく答えた。
「戻る、という選択肢は、
最初から存在しませんでした」
「後悔は?」
「ありません」
即答だった。
帝国では、
彼女の助言は、
必要な分だけ求められ、
必要な分だけ尊重される。
王国では、
それが、できなかった。
それだけの違いだ。
一方、王国。
王太子は、使者からの報告を受け、
長く沈黙していた。
「……そうか」
それだけを、呟く。
怒りも、驚きもない。
ただ、胸の奥に、
静かな痛みが広がる。
選択肢は、確かにあった。
だが、
それを“選べる時間”は、
もう残っていなかった。
王太子は、窓の外を見つめる。
王都の街は、今日も動いている。
だが、その動きは、
どこか重く、遅い。
「……戻らない、か」
その言葉は、
誰に向けたものでもなかった。
帝国では。
ネフェリアは、再び執務に戻っていた。
新しい案件。
新しい判断。
そこには、
「過去を取り戻す」ための時間は、
もう存在しない。
第十七話は、
“戻るという選択肢が、
正式に消えた瞬間”
を描いていた。
それは、
ざまぁでも、復讐でもない。
ただ、
選ばれなかった場所が、
選ばれなかった理由を、
静かに突きつけられただけの話だった。
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