白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ

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第8話 白い結婚の提案

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第8話 白い結婚の提案

 隣国の使者が去った後も、応接室にはしばらく静寂が残っていた。

 リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、机の上に置かれた公爵からの書状を見つめながら、指先でゆっくりと縁をなぞる。

(……救済、ですか)

 その言葉の響きは、優しいようでいて、どこか冷静だった。
 感情ではなく、状況を見極めた上での判断。

 アレスト・グラーフ公爵という人物は、噂通り――いや、それ以上に合理主義者なのだろう。

「お嬢様……」

 マリアが、遠慮がちに声をかけてくる。

「怖い顔をしていらっしゃいますが……」

「そう見えました?」

 リオネッタは、ふっと微笑んだ。

「いえ。むしろ、考え事が楽しくて」

 マリアは、困惑したように瞬きをする。

 婚約破棄された直後に、
 隣国の公爵から政略結婚の打診。
 しかも、それが“白い結婚”の可能性を含んでいる。

 普通なら、混乱し、怯え、慎重になりすぎて動けなくなる局面だ。

 だが、リオネッタの胸にあるのは――。

(……安心、ですわね)

 誰かに「愛されること」を求められない結婚。
 誰かの感情を満たす義務がない関係。

 それは、かつて王太子の隣で感じていた重圧とは、正反対のものだった。

 数日後。

 正式な返答を聞くため、再び隣国の使者が別邸を訪れた。
 今回は、より詳細な条件を携えて。

 応接室に通された使者は、開口一番、こう告げた。

「我が主は、貴女の意思を最優先すると申しております」

 その言葉に、リオネッタは小さく頷く。

「では、条件をお聞かせください」

 使者は、淡々と読み上げ始めた。

「第一に、婚姻は両国にとっての政略的同盟とする」

(当然ですわね)

「第二に、互いの私生活への干渉は行わない」

 リオネッタの唇が、わずかに緩む。

「第三に、夫婦としての形式は保つが、
 子を成す義務は課さない」

 マリアが、思わず息を呑んだ。

(……ここまで、はっきりと)

 隣国の公爵は、曖昧さを嫌うのだろう。
 だからこそ、最初から“期待しない”。

「第四に、貴女の行動は原則として自由。
 社交・学問・事業活動、すべて制限しない」

 リオネッタは、内心で静かに驚いていた。

(制限しない……?)

 貴族の妻となれば、通常は夫の意向に従い、
 領地経営や社交も“補佐役”に回る。

 だが、この条件は違う。

「そして最後に」

 使者は、一瞬だけ言葉を切った。

「我が主は、こう付け加えています」

 ――この結婚によって、
 貴女が“失うもの”がないようにしたい。

 リオネッタは、思わず目を伏せた。

(……本当に、不思議な方)

 情を語らない。
 だが、冷酷でもない。

 損得だけでなく、“相手の立場”を計算に入れている。

「質問を、してもよろしいですか?」

 リオネッタは、静かに口を開いた。

「もちろんです」

「公爵は……なぜ、私を選ばれたのですか?」

 率直な問いだった。

 婚約破棄された令嬢。
 悪役令嬢と噂される存在。

 政略結婚の相手としては、決して“無難”ではない。

 使者は、一瞬だけ視線を落とし、こう答えた。

「我が主は、こう言っておりました」

 ――“問題を起こさなかった者は、信用できる”。

 その言葉に、リオネッタは静かに納得する。

(……なるほど)

 婚約破棄の場で、彼女は何も言わなかった。
 反論も、暴露も、感情的な行動も。

 それは、彼女が“何もできなかった”からではない。

 ――“しなかった”のだ。

 その違いを、見抜く人物がいた。

(評価される場所が、変わっただけ)

 王都では“冷たい女”。
 隣国では“信頼できる人材”。

 同じ行動でも、見る目が違えば、意味も変わる。

「……条件は、私にとって非常に有利です」

 リオネッタは、正直に言った。

「ですから、一点だけ確認させてください」

 使者は、頷く。

「この結婚において――
 私が“愛される努力”をする必要は、ありますか?」

 部屋の空気が、わずかに張りつめた。

 使者は、はっきりと答える。

「ありません」

 そして、こう続けた。

「我が主は、愛情を義務にするつもりはない、と」

 その瞬間。

 リオネッタの胸の奥で、何かがほどけた。

(……理想的ですわ)

 感情に振り回されない。
 期待を押し付けられない。
 それでいて、立場と安全は保証される。

 これ以上、何を望めというのか。

「返答まで、猶予はどれほど?」

「公爵は、急かすつもりはないと」

 リオネッタは、少し考えた後、微笑んだ。

「では……長くは、お待たせしません」

 使者は、深く一礼した。

 その日の夜。

 リオネッタは、部屋の机に向かい、一人で考えていた。

 王太子妃という未来。
 感情に振り回され、完璧を求められ続ける人生。

 そして――
 白い結婚という、新しい形。

(私は、愛されるために生きたいわけではありません)

 求めているのは、尊重と自由。

 静かな時間の中で、彼女は結論に近づいていた。

 窓の外、夜空には星が瞬いている。

 リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、そっと呟いた。

「……本当に、皮肉ですわね」

 婚約破棄されたことで、
 彼女は初めて――
 “選ぶ側”になれたのだから。


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