白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ

文字の大きさ
9 / 38

第9話 即決――リオネッタの判断

しおりを挟む
第9話 即決――リオネッタの判断

 朝の光が、別邸の窓から静かに差し込んでいた。

 鳥のさえずり。
 風に揺れる木々の音。
 王都の喧騒とは無縁の、穏やかな時間。

 リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、ベッドから起き上がり、ゆっくりと深呼吸をした。

(……よく眠れましたわね)

 それは、久しぶりの感覚だった。

 婚約者だった頃、眠りはいつも浅かった。
 明日の予定、失言の可能性、期待に応えられているか。
 頭の中は、常に誰かの評価で埋め尽くされていた。

 だが今は違う。

(……決めるだけ)

 昨夜、何度も条件を思い返した。
 書き出し、整理し、裏側を想像し、欠点を探した。

 それでも――。

(致命的な不利は、見当たりませんでした)

 むしろ、驚くほど誠実だ。

 曖昧な期待を持たせない。
 感情を前提にしない。
 自由と立場を、等価で交換する。

 それは、“愛のない結婚”ではない。
 “感情に依存しない契約”だ。

 そして何より。

(私は、もう――誰かの感情の調整役は、したくありません)

 朝食後、リオネッタは書斎に向かった。
 机の上には、アレスト・グラーフ公爵からの書状と、条件をまとめた写し。

 マリアが、そっと声をかける。

「お嬢様……本当に、今日お返事を?」

「ええ」

 迷いは、ない。

「長く考える必要はありませんわ。
 これは……感情の問題ではなく、判断の問題ですもの」

 マリアは、不安そうに唇を噛んだ。

「ですが……白い結婚、というのは……」

「ええ、分かっています」

 リオネッタは、優しく微笑んだ。

「世間から見れば、冷たい選択でしょう。
 でも――」

 言葉を選び、静かに続ける。

「私にとっては、ようやく“自分の人生を自分で選ぶ”ということなの」

 それは、マリアに向けた言葉であると同時に、
 自分自身への確認でもあった。

 昼前。
 隣国の使者が、再び別邸を訪れた。

 応接室に通されると、使者は一礼する。

「本日は、お返事を伺いに参りました」

「ええ」

 リオネッタは、背筋を伸ばし、はっきりと告げた。

「――お受けいたします」

 一瞬、使者の目が見開かれた。

「……即決、ですな」

「はい」

 迷いのない声だった。

「条件は、すべて理解しました。
 その上で――私にとって最も合理的で、誠実な選択だと判断しました」

 使者は、深く頭を下げる。

「我が主も、貴女の判断力を高く評価されることでしょう」

 リオネッタは、ほんの少しだけ笑った。

(評価、ですか)

 かつては、王太子の機嫌や感情を満たすために評価されていた。
 今は、判断力と姿勢を見られている。

 ――それだけで、十分に違う。

「一点だけ、付け加えさせてください」

 リオネッタは、静かに言った。

「この結婚において、私は“守られるだけの存在”でいるつもりはありません」

 使者は、頷く。

「それは、我が主も承知の上です」

「でしたら――」

 彼女は、真っ直ぐに視線を向ける。

「私は、対等な立場で在りたい」

 使者は、わずかに口元を緩めた。

「その言葉を、そのままお伝えいたします」

 応接室を出る際、使者は振り返り、こう言った。

「……失礼ながら。
 貴女が“捨てられた令嬢”と噂されているのは、実に滑稽ですな」

 リオネッタは、肩をすくめる。

「噂は、噂ですわ」

 事実は、
 “選ばれなかった”のではなく、
 “より良い場所を選んだ”だけ。

 使者が去った後、部屋には静けさが戻った。

 マリアが、そっと言う。

「……これで、お嬢様は隣国へ……」

「ええ。近いうちに」

 リオネッタは、窓の外を見つめた。

 王都の方向。
 かつて、自分の人生が決められていた場所。

(……振り返る必要はありませんわね)

 そこには、未練も後悔もない。

 ただ一つ、確かな実感があった。

(私は、選びました)

 感情ではなく。
 義務でもなく。
 自分の意思で。

 夜。

 机に向かい、隣国行きの準備書類を確認する。
 名前。
 肩書き。
 立場。

 “アレスト・グラーフ公爵の妻”。

 そこに、“王太子妃候補”という文字は、もうない。

 リオネッタは、そっと目を閉じた。

 婚約破棄は、終わりではなかった。
 むしろ――。

「……始まり、ですわね」

 誰にも聞こえない声で、そう呟く。

 白い結婚。
 感情に縛られない関係。
 そして、自由。

 それは、
 彼女が初めて手に入れた――
 自分だけの未来への選択だった。


-
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがない」 そう言われて王太子から婚約破棄された公爵令嬢ノエリア・ヴァンローゼ。 ――ですが本人は、わざとらしい嘘泣きで 「よ、よ、よ、よ……遊びでしたのね!」 と大騒ぎしつつ、内心は完全に平常運転。 むしろ彼女の目的はただ一つ。 面倒な恋愛も政治的干渉も避け、平穏に生きること。 そのために選んだのは、冷徹で有能な公爵ヴァルデリオとの 「白い結婚」という、完璧に合理的な契約でした。 ――のはずが。 純潔アピール(本人は無自覚)、 排他的な“管理”(本人は合理的判断)、 堂々とした立ち振る舞い(本人は通常運転)。 すべてが「戦略」に見えてしまい、 気づけば周囲は完全包囲。 逃げ道は一つずつ消滅していきます。 本人だけが最後まで言い張ります。 「これは恋ではありませんわ。事故ですの!」 理屈で抗い、理屈で自滅し、 最終的に理屈ごと恋に敗北する―― 無自覚戦略無双ヒロインの、 白い結婚(予定)ラブコメディ。 婚約破棄ざまぁ × コメディ強め × 溺愛必至。 最後に負けるのは、世界ではなく――ヒロイン自身です。 -

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました

ほーみ
恋愛
 その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。 「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」  そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。 「……は?」  まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし

さき
恋愛
愛のない結婚と冷遇生活の末、六年目の結婚記念日に夫に殺されたプリシラ。 だが目を覚ました彼女は結婚した日の夜に戻っていた。 魔女が行った『六年間の時戻し』、それに巻き込まれたプリシラは、同じ人生は歩まないと決めて再び六年間に挑む。 変わらず横暴な夫、今度の人生では慕ってくれる継子。前回の人生では得られなかった味方。 二度目の人生を少しずつ変えていく中、プリシラは前回の人生では現れなかった青年オリバーと出会い……。

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...