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第10話 王都を去る――完全決別の旅立ち
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第10話 王都を去る――完全決別の旅立ち
出立の朝は、驚くほど静かだった。
別邸の庭に薄く霧がかかり、空気はひんやりと澄んでいる。
鳥の声も控えめで、まるでこの場所そのものが、彼女の旅立ちを邪魔しないよう気遣っているかのようだった。
リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、荷をまとめ終えた部屋を見渡し、小さく息を吐いた。
(……随分と、あっさりしていますわね)
王太子妃候補として過ごした日々に比べれば、持ち物は驚くほど少ない。
贅沢な衣装も、過剰な装飾品もない。
必要なのは、実用的なドレスと、書類と、本数冊。
そして――自分自身の意思。
「お嬢様、馬車の準備が整いました」
マリアの声に、リオネッタは頷いた。
「ありがとう。……少し、庭を見てから参りましょう」
彼女は、ゆっくりと外へ出る。
この別邸は、彼女にとって“避難場所”だった。
追放ではないが、歓迎もされない場所。
けれど――ここで過ごした時間が、彼女に決断を与えてくれた。
(逃げるためではなく、選ぶために、ここに来た)
それが、今ならはっきりと分かる。
玄関前には、父――ラーヴェンシュタイン侯爵が立っていた。
表情は相変わらず厳格で、感情を多くは語らない。
「……行くのだな」
「はい、父上」
それ以上の言葉は、必要なかった。
だが、侯爵は一歩前に出て、低い声で続ける。
「この選択が、楽な道でないことは承知しているな」
「ええ」
リオネッタは、迷いなく答えた。
「ですが、後悔の少ない道です」
侯爵は、わずかに目を細めた。
「……それでいい」
短い言葉。
だが、それは父なりの承認だった。
続いて、母――エレオノーラ夫人が近づく。
「無理はしないで。……それだけ、約束して」
「はい、母上」
母は、娘の手を取り、そっと握った。
「あなたは、もう“誰かに選ばれる娘”ではないのだから」
その言葉に、胸の奥が静かに温かくなる。
「……分かっています」
別れの挨拶は、それだけだった。
派手な見送りも、涙もない。
だが――十分だった。
馬車が動き出す。
車輪の音が、静かな朝に響く。
窓越しに見える景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
(……王都へ戻ることは、もうないでしょうね)
そう思っても、不思議と胸は痛まない。
王城の舞踏会。
婚約破棄の宣言。
向けられた視線と、囁き。
すべてが、遠い出来事のようだった。
街道を進むうち、王都が見える位置に差しかかる。
城の尖塔が、朝日に照らされて輝いていた。
(……さようなら)
声には出さず、心の中で告げる。
あの場所での彼女は、
常に“期待に応える存在”だった。
だが、もう違う。
彼女は今、
自分の条件で、
自分の立場で、
未来へ向かっている。
馬車が関所を越える頃、マリアが小さく言った。
「……お嬢様。王都を、出ました」
「ええ」
それだけで、十分だった。
境界線を越えた瞬間、胸にあった重しが、すっと軽くなる。
(……自由、ですわね)
感情を押し付けられない自由。
役割を強いられない自由。
誰かの機嫌で価値を測られない自由。
それは、婚約破棄によって失ったものよりも、
はるかに大きな価値を持っていた。
夕方。
宿場町で馬車が一度止まる。
空は茜色に染まり、旅人たちの声が行き交う。
リオネッタは、窓から外を眺め、静かに思う。
(次に会うときは……“グラーフ公爵夫人”として、ですわね)
白い結婚。
干渉のない関係。
それでも――
そこには“対等な立場”がある。
王太子の隣では得られなかったもの。
夜、再び馬車が動き出す。
星が、ひとつ、またひとつと瞬き始めた。
リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、目を閉じ、静かに微笑む。
婚約破棄は、終わりではなかった。
王都を去るこの瞬間こそが、
本当の始まりなのだと。
---
出立の朝は、驚くほど静かだった。
別邸の庭に薄く霧がかかり、空気はひんやりと澄んでいる。
鳥の声も控えめで、まるでこの場所そのものが、彼女の旅立ちを邪魔しないよう気遣っているかのようだった。
リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、荷をまとめ終えた部屋を見渡し、小さく息を吐いた。
(……随分と、あっさりしていますわね)
王太子妃候補として過ごした日々に比べれば、持ち物は驚くほど少ない。
贅沢な衣装も、過剰な装飾品もない。
必要なのは、実用的なドレスと、書類と、本数冊。
そして――自分自身の意思。
「お嬢様、馬車の準備が整いました」
マリアの声に、リオネッタは頷いた。
「ありがとう。……少し、庭を見てから参りましょう」
彼女は、ゆっくりと外へ出る。
この別邸は、彼女にとって“避難場所”だった。
追放ではないが、歓迎もされない場所。
けれど――ここで過ごした時間が、彼女に決断を与えてくれた。
(逃げるためではなく、選ぶために、ここに来た)
それが、今ならはっきりと分かる。
玄関前には、父――ラーヴェンシュタイン侯爵が立っていた。
表情は相変わらず厳格で、感情を多くは語らない。
「……行くのだな」
「はい、父上」
それ以上の言葉は、必要なかった。
だが、侯爵は一歩前に出て、低い声で続ける。
「この選択が、楽な道でないことは承知しているな」
「ええ」
リオネッタは、迷いなく答えた。
「ですが、後悔の少ない道です」
侯爵は、わずかに目を細めた。
「……それでいい」
短い言葉。
だが、それは父なりの承認だった。
続いて、母――エレオノーラ夫人が近づく。
「無理はしないで。……それだけ、約束して」
「はい、母上」
母は、娘の手を取り、そっと握った。
「あなたは、もう“誰かに選ばれる娘”ではないのだから」
その言葉に、胸の奥が静かに温かくなる。
「……分かっています」
別れの挨拶は、それだけだった。
派手な見送りも、涙もない。
だが――十分だった。
馬車が動き出す。
車輪の音が、静かな朝に響く。
窓越しに見える景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
(……王都へ戻ることは、もうないでしょうね)
そう思っても、不思議と胸は痛まない。
王城の舞踏会。
婚約破棄の宣言。
向けられた視線と、囁き。
すべてが、遠い出来事のようだった。
街道を進むうち、王都が見える位置に差しかかる。
城の尖塔が、朝日に照らされて輝いていた。
(……さようなら)
声には出さず、心の中で告げる。
あの場所での彼女は、
常に“期待に応える存在”だった。
だが、もう違う。
彼女は今、
自分の条件で、
自分の立場で、
未来へ向かっている。
馬車が関所を越える頃、マリアが小さく言った。
「……お嬢様。王都を、出ました」
「ええ」
それだけで、十分だった。
境界線を越えた瞬間、胸にあった重しが、すっと軽くなる。
(……自由、ですわね)
感情を押し付けられない自由。
役割を強いられない自由。
誰かの機嫌で価値を測られない自由。
それは、婚約破棄によって失ったものよりも、
はるかに大きな価値を持っていた。
夕方。
宿場町で馬車が一度止まる。
空は茜色に染まり、旅人たちの声が行き交う。
リオネッタは、窓から外を眺め、静かに思う。
(次に会うときは……“グラーフ公爵夫人”として、ですわね)
白い結婚。
干渉のない関係。
それでも――
そこには“対等な立場”がある。
王太子の隣では得られなかったもの。
夜、再び馬車が動き出す。
星が、ひとつ、またひとつと瞬き始めた。
リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、目を閉じ、静かに微笑む。
婚約破棄は、終わりではなかった。
王都を去るこの瞬間こそが、
本当の始まりなのだと。
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