12 / 38
第12話 契約確認――白い結婚の最終調整
しおりを挟む
第12話 契約確認――白い結婚の最終調整
執務室での初対面から一夜が明け、城はいつも通りの静けさを保っていた。
朝の鐘が鳴り終わる頃、リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、客用として用意された部屋の窓辺に立ち、城下町を見下ろしていた。
(……本当に、落ち着いた土地ですわね)
人の流れは整然としており、無駄な混乱がない。
王都のような派手さはないが、必要なものが必要な場所にある。
――グラーフ公爵の性格が、そのまま街になったようだ。
「お嬢様。そろそろ、契約の確認のお時間です」
マリアの声に、リオネッタは振り返った。
「ええ。参りましょう」
彼女は深呼吸をひとつし、扉を出る。
今日行われるのは、結婚の最終条件確認。
形式上の手続きでありながら、実質的には――
“どこまで互いを信用できるか”を測る場でもある。
再び案内された執務室には、すでにアレスト・グラーフがいた。
昨日と同じ、無駄のない佇まい。
だが、机の上に置かれた書類の量は、明らかに多い。
「座ってくれ」
「ありがとうございます」
向かい合って腰を下ろす。
沈黙は、重くない。
互いに、沈黙を“無駄な間”だとは思っていないからだ。
「では、確認を始める」
アレストは、書類を一枚ずつ示しながら進めていく。
「まず、婚姻の公表時期。
国内外の混乱を避けるため、段階的に発表する」
「異論はありません」
感情を刺激しないための配慮。
それは、リオネッタにとっても都合がいい。
「次に、居住区。
城内に、専用の区画を用意する」
「“共有”ではなく?」
リオネッタが問いかけると、アレストは即答した。
「当面は、別だ。
同居が義務になると、干渉が生じやすい」
(……徹底していますわね)
だが、それがありがたい。
「社交への参加は、貴女の判断に委ねる」
「最低限は、こなします」
「それで十分だ」
やり取りは、淡々と続く。
そして――核心。
「最後に、“夫婦としての関係”について」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
アレストは、書類を閉じ、はっきりと告げる。
「私は、契約以上の関係を、今は求めない」
“今は”。
その一言に、リオネッタは気づいたが、表情には出さない。
「承知しています」
「誤解が生じないよう、確認しておく」
アレストの視線は、真っ直ぐだった。
「これは、“拒絶”ではない。
互いに、期待を持たないための線引きだ」
その言葉に、リオネッタは少しだけ考え、こう答えた。
「……とても、誠実だと思います」
アレストは、一瞬だけ目を細めた。
「そう受け取る者は、少ない」
「感情を曖昧にしたまま関係を結ぶより、
最初に線を引く方が、ずっと親切ですわ」
沈黙。
短いが、意味のある間。
「……理解が早いな」
それは、評価だった。
「では、こちらからも一点」
リオネッタは、姿勢を正した。
「私は、公爵夫人としての責務は果たします。
ですが――意見を述べることを、遠慮しません」
「構わない」
即答。
「意見を封じる妻は、不要だ」
その言葉に、胸の奥が静かに温かくなる。
(……本当に、対等ですのね)
王太子の隣では、
“正しい答え”を先回りして差し出すことが求められていた。
ここでは、
“考えた意見”を述べることが許されている。
それは、大きな違いだった。
書類への署名が、淡々と進む。
インクが紙に染み、
白い結婚の条件が、現実のものになっていく。
最後に、アレストがペンを置いた。
「これで、契約は成立だ」
「はい」
二人は立ち上がる。
形式的な握手。
だが、昨日よりも、わずかに温度がある。
「……一つ、忠告しておく」
アレストが、低い声で言った。
「この結婚は、“楽”ではない」
「分かっています」
「周囲は、必ず詮索する」
「慣れていますわ」
リオネッタは、微笑んだ。
「“悪役令嬢”でしたから」
その言葉に、アレストの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……その噂は、ここでは通用しない」
短い断言。
それだけで、十分だった。
契約確認が終わり、執務室を出る。
廊下を歩きながら、リオネッタは思う。
(……これは、結婚というより)
同盟だ。
だが、冷たい同盟ではない。
互いの立場を尊重し、
侵食せず、侵されない関係。
その日の午後、城内に正式な通達が回った。
――リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、
グラーフ公爵家の正妻として迎えられる。
それは、
彼女が“守られる存在”になることを意味しない。
選ばれ、認められた存在になるということだった。
部屋に戻ったリオネッタは、窓を開け、深く息を吸う。
(……ここからですわね)
白い結婚は、ゴールではない。
むしろ――
対等な関係が始まる、スタートラインだ。
そして彼女は、まだ知らない。
この冷徹な公爵が、
どれほど頑固で、
どれほど一度決めた相手を手放さない男なのかを。
---
執務室での初対面から一夜が明け、城はいつも通りの静けさを保っていた。
朝の鐘が鳴り終わる頃、リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、客用として用意された部屋の窓辺に立ち、城下町を見下ろしていた。
(……本当に、落ち着いた土地ですわね)
人の流れは整然としており、無駄な混乱がない。
王都のような派手さはないが、必要なものが必要な場所にある。
――グラーフ公爵の性格が、そのまま街になったようだ。
「お嬢様。そろそろ、契約の確認のお時間です」
マリアの声に、リオネッタは振り返った。
「ええ。参りましょう」
彼女は深呼吸をひとつし、扉を出る。
今日行われるのは、結婚の最終条件確認。
形式上の手続きでありながら、実質的には――
“どこまで互いを信用できるか”を測る場でもある。
再び案内された執務室には、すでにアレスト・グラーフがいた。
昨日と同じ、無駄のない佇まい。
だが、机の上に置かれた書類の量は、明らかに多い。
「座ってくれ」
「ありがとうございます」
向かい合って腰を下ろす。
沈黙は、重くない。
互いに、沈黙を“無駄な間”だとは思っていないからだ。
「では、確認を始める」
アレストは、書類を一枚ずつ示しながら進めていく。
「まず、婚姻の公表時期。
国内外の混乱を避けるため、段階的に発表する」
「異論はありません」
感情を刺激しないための配慮。
それは、リオネッタにとっても都合がいい。
「次に、居住区。
城内に、専用の区画を用意する」
「“共有”ではなく?」
リオネッタが問いかけると、アレストは即答した。
「当面は、別だ。
同居が義務になると、干渉が生じやすい」
(……徹底していますわね)
だが、それがありがたい。
「社交への参加は、貴女の判断に委ねる」
「最低限は、こなします」
「それで十分だ」
やり取りは、淡々と続く。
そして――核心。
「最後に、“夫婦としての関係”について」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
アレストは、書類を閉じ、はっきりと告げる。
「私は、契約以上の関係を、今は求めない」
“今は”。
その一言に、リオネッタは気づいたが、表情には出さない。
「承知しています」
「誤解が生じないよう、確認しておく」
アレストの視線は、真っ直ぐだった。
「これは、“拒絶”ではない。
互いに、期待を持たないための線引きだ」
その言葉に、リオネッタは少しだけ考え、こう答えた。
「……とても、誠実だと思います」
アレストは、一瞬だけ目を細めた。
「そう受け取る者は、少ない」
「感情を曖昧にしたまま関係を結ぶより、
最初に線を引く方が、ずっと親切ですわ」
沈黙。
短いが、意味のある間。
「……理解が早いな」
それは、評価だった。
「では、こちらからも一点」
リオネッタは、姿勢を正した。
「私は、公爵夫人としての責務は果たします。
ですが――意見を述べることを、遠慮しません」
「構わない」
即答。
「意見を封じる妻は、不要だ」
その言葉に、胸の奥が静かに温かくなる。
(……本当に、対等ですのね)
王太子の隣では、
“正しい答え”を先回りして差し出すことが求められていた。
ここでは、
“考えた意見”を述べることが許されている。
それは、大きな違いだった。
書類への署名が、淡々と進む。
インクが紙に染み、
白い結婚の条件が、現実のものになっていく。
最後に、アレストがペンを置いた。
「これで、契約は成立だ」
「はい」
二人は立ち上がる。
形式的な握手。
だが、昨日よりも、わずかに温度がある。
「……一つ、忠告しておく」
アレストが、低い声で言った。
「この結婚は、“楽”ではない」
「分かっています」
「周囲は、必ず詮索する」
「慣れていますわ」
リオネッタは、微笑んだ。
「“悪役令嬢”でしたから」
その言葉に、アレストの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……その噂は、ここでは通用しない」
短い断言。
それだけで、十分だった。
契約確認が終わり、執務室を出る。
廊下を歩きながら、リオネッタは思う。
(……これは、結婚というより)
同盟だ。
だが、冷たい同盟ではない。
互いの立場を尊重し、
侵食せず、侵されない関係。
その日の午後、城内に正式な通達が回った。
――リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、
グラーフ公爵家の正妻として迎えられる。
それは、
彼女が“守られる存在”になることを意味しない。
選ばれ、認められた存在になるということだった。
部屋に戻ったリオネッタは、窓を開け、深く息を吸う。
(……ここからですわね)
白い結婚は、ゴールではない。
むしろ――
対等な関係が始まる、スタートラインだ。
そして彼女は、まだ知らない。
この冷徹な公爵が、
どれほど頑固で、
どれほど一度決めた相手を手放さない男なのかを。
---
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました
鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがない」
そう言われて王太子から婚約破棄された公爵令嬢ノエリア・ヴァンローゼ。
――ですが本人は、わざとらしい嘘泣きで
「よ、よ、よ、よ……遊びでしたのね!」
と大騒ぎしつつ、内心は完全に平常運転。
むしろ彼女の目的はただ一つ。
面倒な恋愛も政治的干渉も避け、平穏に生きること。
そのために選んだのは、冷徹で有能な公爵ヴァルデリオとの
「白い結婚」という、完璧に合理的な契約でした。
――のはずが。
純潔アピール(本人は無自覚)、
排他的な“管理”(本人は合理的判断)、
堂々とした立ち振る舞い(本人は通常運転)。
すべてが「戦略」に見えてしまい、
気づけば周囲は完全包囲。
逃げ道は一つずつ消滅していきます。
本人だけが最後まで言い張ります。
「これは恋ではありませんわ。事故ですの!」
理屈で抗い、理屈で自滅し、
最終的に理屈ごと恋に敗北する――
無自覚戦略無双ヒロインの、
白い結婚(予定)ラブコメディ。
婚約破棄ざまぁ × コメディ強め × 溺愛必至。
最後に負けるのは、世界ではなく――ヒロイン自身です。
-
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました
ほーみ
恋愛
その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。
「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」
そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。
「……は?」
まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし
さき
恋愛
愛のない結婚と冷遇生活の末、六年目の結婚記念日に夫に殺されたプリシラ。
だが目を覚ました彼女は結婚した日の夜に戻っていた。
魔女が行った『六年間の時戻し』、それに巻き込まれたプリシラは、同じ人生は歩まないと決めて再び六年間に挑む。
変わらず横暴な夫、今度の人生では慕ってくれる継子。前回の人生では得られなかった味方。
二度目の人生を少しずつ変えていく中、プリシラは前回の人生では現れなかった青年オリバーと出会い……。
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる