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第20話 公爵の決断――守るべき存在
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第20話 公爵の決断――守るべき存在
夜明け前の城は、ひどく静かだった。
まだ鐘は鳴っていない。
使用人たちも、交代の準備に入る前の、わずかな空白の時間。
アレスト・グラーフは、執務室の窓辺に立ち、外の空気を感じていた。
(……眠れなかったな)
珍しいことだった。
彼は基本的に、睡眠に困ることがない。
必要な休息を、必要なだけ取る。
それが、彼の長年の習慣だった。
だが今夜は違った。
(理由は、分かっている)
脳裏に浮かぶのは、
静かな声、落ち着いた態度、
そして――誰にも媚びず、誰にも依存しない姿。
リオネッタ・ラーヴェンシュタイン。
契約上の妻。
干渉しないと決めた相手。
感情を持ち込まない関係。
(……のはずだった)
机に戻り、報告書を一つ取る。
城下町での評判。
市場での振る舞い。
商人とのやり取り。
どれも、“問題なし”と記されている。
(問題がないことが、問題だ)
彼女は、波風を立てない。
だが――
確実に、影響を与えている。
城内の効率は上がり、
人の不満は減り、
空気は、以前よりも柔らかくなった。
(……放っておくつもりだった)
それが、最初の決断だった。
彼女を“守る”ことは、
同時に“縛る”ことになる。
だから、距離を保った。
だから、干渉しなかった。
だが――。
(状況が、変わってきている)
彼女に対する評価は、
すでに城内だけに留まらない。
周辺領地。
商人組合。
隣国の一部貴族。
“有能な公爵夫人”。
“理知的で、無理をしない女性”。
(……注目され始めている)
それは、喜ばしいことだ。
だが同時に――
危険でもある。
アレストは、机に手を置き、深く息を吸った。
(……俺は)
契約に忠実であろうとしてきた。
感情を排し、合理を優先し、
彼女を“独立した存在”として扱ってきた。
だが、それは――
“放置”とは違う。
(守るべきときに、守らない理由にはならない)
扉が、静かに叩かれた。
「……入れ」
入ってきたのは、側近の一人だった。
「公爵閣下。
隣国からの情報です」
短い報告。
――王太子側が、内部の不調を隠しきれていないこと。
――責任転嫁が始まり、
――“元婚約者”の名が、陰で囁かれ始めていること。
アレストの目が、わずかに細くなる。
「……彼らは、彼女を利用するつもりか」
「可能性は、否定できません」
側近は、慎重に言った。
「公然とではありませんが……
噂の形で、揺さぶるつもりでしょう」
アレストは、即答しなかった。
しばしの沈黙。
そして、低く言う。
「……許可しない」
その声に、迷いはなかった。
「彼女は、我が領の公爵夫人だ」
契約上の立場。
だが、それだけではない。
「誰の失策の尻拭いも、
彼女がする必要はない」
側近は、深く頭を下げた。
「では、どのように?」
アレストは、椅子に腰を下ろし、
はっきりと告げる。
「段階的に、公表を進める」
「婚姻の……?」
「そうだ。
彼女の立場を、曖昧なままにしておく理由はない」
白い結婚。
感情を前提としない関係。
だが――
“守られない結婚”という意味ではない。
(……俺は、決めた)
彼女を、
ただの契約相手として扱うのは、
もう終わりだ。
午前。
アレストは、珍しく執務時間を調整し、
リオネッタの屋敷を訪れた。
事前の連絡は、最低限。
干渉しない、という約束を守るためだ。
応接室で向かい合う二人。
「……何か、問題が?」
リオネッタは、静かに尋ねた。
「問題ではない」
アレストは、率直に答える。
「だが、状況が動いている」
彼は、隠さず説明した。
王太子側の混乱。
噂の兆し。
そして――
彼女の評価が、外へ広がっていること。
リオネッタは、黙って聞いていた。
「……私に、何を求めていらっしゃいますか?」
問いは、冷静だった。
依存も、期待もない。
アレストは、その姿勢を――
改めて尊重した。
「選択肢を提示する」
そう前置きして、続ける。
「第一に、今まで通り、距離を保つ。
その代わり、外部の動きには、こちらが対処する」
「第二に」
一拍置く。
「私が、前に出る。
公爵夫人としての立場を、明確にする」
それは、
“守る”という意思表示だった。
リオネッタは、しばらく考え――
そして、口を開いた。
「……公爵閣下」
「何だ」
「私を守る、という判断は――
義務ですか?
それとも、意思ですか?」
核心を突く問い。
アレストは、視線を逸らさなかった。
「意思だ」
短く、しかし明確に。
「私は、
“守る価値がある存在”を、
見過ごすつもりはない」
その言葉に、
リオネッタの表情が、わずかに和らいだ。
「……でしたら」
彼女は、静かに頷いた。
「第二の選択肢を」
その瞬間、
アレストは理解した。
(……これは)
契約の延長ではない。
彼自身の決断だ。
白い結婚。
冷徹な公爵。
その関係は、
いま、静かに――
だが確実に、形を変え始めていた。
夜明け前の城は、ひどく静かだった。
まだ鐘は鳴っていない。
使用人たちも、交代の準備に入る前の、わずかな空白の時間。
アレスト・グラーフは、執務室の窓辺に立ち、外の空気を感じていた。
(……眠れなかったな)
珍しいことだった。
彼は基本的に、睡眠に困ることがない。
必要な休息を、必要なだけ取る。
それが、彼の長年の習慣だった。
だが今夜は違った。
(理由は、分かっている)
脳裏に浮かぶのは、
静かな声、落ち着いた態度、
そして――誰にも媚びず、誰にも依存しない姿。
リオネッタ・ラーヴェンシュタイン。
契約上の妻。
干渉しないと決めた相手。
感情を持ち込まない関係。
(……のはずだった)
机に戻り、報告書を一つ取る。
城下町での評判。
市場での振る舞い。
商人とのやり取り。
どれも、“問題なし”と記されている。
(問題がないことが、問題だ)
彼女は、波風を立てない。
だが――
確実に、影響を与えている。
城内の効率は上がり、
人の不満は減り、
空気は、以前よりも柔らかくなった。
(……放っておくつもりだった)
それが、最初の決断だった。
彼女を“守る”ことは、
同時に“縛る”ことになる。
だから、距離を保った。
だから、干渉しなかった。
だが――。
(状況が、変わってきている)
彼女に対する評価は、
すでに城内だけに留まらない。
周辺領地。
商人組合。
隣国の一部貴族。
“有能な公爵夫人”。
“理知的で、無理をしない女性”。
(……注目され始めている)
それは、喜ばしいことだ。
だが同時に――
危険でもある。
アレストは、机に手を置き、深く息を吸った。
(……俺は)
契約に忠実であろうとしてきた。
感情を排し、合理を優先し、
彼女を“独立した存在”として扱ってきた。
だが、それは――
“放置”とは違う。
(守るべきときに、守らない理由にはならない)
扉が、静かに叩かれた。
「……入れ」
入ってきたのは、側近の一人だった。
「公爵閣下。
隣国からの情報です」
短い報告。
――王太子側が、内部の不調を隠しきれていないこと。
――責任転嫁が始まり、
――“元婚約者”の名が、陰で囁かれ始めていること。
アレストの目が、わずかに細くなる。
「……彼らは、彼女を利用するつもりか」
「可能性は、否定できません」
側近は、慎重に言った。
「公然とではありませんが……
噂の形で、揺さぶるつもりでしょう」
アレストは、即答しなかった。
しばしの沈黙。
そして、低く言う。
「……許可しない」
その声に、迷いはなかった。
「彼女は、我が領の公爵夫人だ」
契約上の立場。
だが、それだけではない。
「誰の失策の尻拭いも、
彼女がする必要はない」
側近は、深く頭を下げた。
「では、どのように?」
アレストは、椅子に腰を下ろし、
はっきりと告げる。
「段階的に、公表を進める」
「婚姻の……?」
「そうだ。
彼女の立場を、曖昧なままにしておく理由はない」
白い結婚。
感情を前提としない関係。
だが――
“守られない結婚”という意味ではない。
(……俺は、決めた)
彼女を、
ただの契約相手として扱うのは、
もう終わりだ。
午前。
アレストは、珍しく執務時間を調整し、
リオネッタの屋敷を訪れた。
事前の連絡は、最低限。
干渉しない、という約束を守るためだ。
応接室で向かい合う二人。
「……何か、問題が?」
リオネッタは、静かに尋ねた。
「問題ではない」
アレストは、率直に答える。
「だが、状況が動いている」
彼は、隠さず説明した。
王太子側の混乱。
噂の兆し。
そして――
彼女の評価が、外へ広がっていること。
リオネッタは、黙って聞いていた。
「……私に、何を求めていらっしゃいますか?」
問いは、冷静だった。
依存も、期待もない。
アレストは、その姿勢を――
改めて尊重した。
「選択肢を提示する」
そう前置きして、続ける。
「第一に、今まで通り、距離を保つ。
その代わり、外部の動きには、こちらが対処する」
「第二に」
一拍置く。
「私が、前に出る。
公爵夫人としての立場を、明確にする」
それは、
“守る”という意思表示だった。
リオネッタは、しばらく考え――
そして、口を開いた。
「……公爵閣下」
「何だ」
「私を守る、という判断は――
義務ですか?
それとも、意思ですか?」
核心を突く問い。
アレストは、視線を逸らさなかった。
「意思だ」
短く、しかし明確に。
「私は、
“守る価値がある存在”を、
見過ごすつもりはない」
その言葉に、
リオネッタの表情が、わずかに和らいだ。
「……でしたら」
彼女は、静かに頷いた。
「第二の選択肢を」
その瞬間、
アレストは理解した。
(……これは)
契約の延長ではない。
彼自身の決断だ。
白い結婚。
冷徹な公爵。
その関係は、
いま、静かに――
だが確実に、形を変え始めていた。
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