婚約破棄されたけど、白い結婚のおかげで人生最高ですわ!

ふわふわ

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2-2 静寂を破る紅茶事件

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第2章 干渉しないはずの同居生活

2-2 静寂を破る紅茶事件

 

 辺境伯邸に暮らし始めてから、十日ほどが過ぎた。
 カチュアの生活は驚くほど平穏で――それがまた、心地よかった。

 朝は目が覚めた時に起き、
 昼はお菓子を焼き、
 午後は紅茶を飲み、
 夜は本を読みながらまどろむ。

 王都での暮らしが嘘のように、誰も彼女を急かさない。
 (あぁ、これが“理想の結婚生活”というものですわね)

 

 夜の帳が下り、屋敷が静まり返るころ。
 カチュアはお決まりの「夜のティータイム」を楽しんでいた。
 明かりを落とした暖炉の前で、湯気の立つカップを両手で包み、
 口元をほころばせながら、焼き菓子をひとつ。

 「……夜更けの紅茶とクッキー。罪深い組み合わせですわ」
 ミリーが呆れ顔で返す。
 「もう寝る時間ですよ、お嬢様」
 「寝る前に糖分を取ると、夢が甘くなるのですわ」
 「……そんな理屈、聞いたことありません」

 

 ――その時、扉が“コン、コン”と叩かれた。

 この屋敷で夜に訪ねてくる人など、ひとりしかいない。
 「まさか……旦那様?」
 ミリーが慌てて立ち上がるが、カチュアは落ち着いて扉を開けた。

 そこには、やはりライナルトが立っていた。
 薄い黒のシャツに、肩まで流れる黒髪。
 普段の軍服姿とは違い、私服姿の彼はどこか柔らかい印象を与えた。

 「……こんな時間に申し訳ない。まだ起きていたのか?」
 「ええ、紅茶を飲んでおりましたの。寝る前の至福のひとときですわ」

 ライナルトの視線がテーブルに向かう。
 そこには――スコーン、タルト、クッキー、チョコレート。
 どう見ても“寝る前の軽食”の域を超えていた。

 「……これは、すべて一人で?」
 「もちろんですわ。分ける相手がいませんもの」

 「……糖分の摂りすぎは体に悪い」
 「まぁ、干渉しない契約のはずですのに?」

 ピシリ、と空気が一瞬止まる。
 ミリーが背後で「お嬢様……!」とヒヤヒヤしている。

 ライナルトはしばらく黙り込み、そして静かに言った。
 「……では、干渉ではなく“助言”だ」
 「まぁ、言葉の綾で逃げましたわね」
 「君が倒れて困るのは、私だからな」

 その一言に、カチュアの手が止まった。
 「……困る?」
 「妻が倒れれば、医師を呼び、手配をし、領内が騒がしくなる。
  そういう意味だ」
 「まぁ、情緒のかけらもございませんわね」

 そう言いながらも、なぜか頬が少しだけ熱くなる。
 無愛想な理屈の裏に、ほんの少しの“気遣い”が隠れていることを、
 彼女はもう感じ取っていた。

 

 ライナルトは無表情のまま、机上の茶葉缶を手に取る。
 「……紅茶、アールグレイか」
 「ええ。柑橘の香りが好きでして」
 「ならば、少しだけラベンダーを混ぜるといい。眠りが深くなる」
 「まぁ、そんなことまでご存じで?」
 「辺境では夜が長い。どう過ごすかは重要だ」

 そう言って、彼は代わりにティーポットを持ち、
 慣れた手つきで湯を注ぎはじめた。

 「……旦那様、自ら紅茶を?」
 「飲み方を教えてもらうより、自分で入れる方が早い」

 湯気の向こうで、黒髪の隙間から見える横顔。
 カチュアは、思わず見とれてしまった。
 彼の動きには一切の無駄がなく、静かな所作の中に品がある。

 

 差し出されたカップから、柔らかな香りが立ち上る。
 「これは……とても良い香りですわ」
 「睡眠用にブレンドした。今夜はそれを飲んで休むといい」
 「……ありがとうございます。けれど、それは干渉ですわね?」
 「助言の延長だ」

 またもやその理屈。
 カチュアはくすりと笑った。
 「旦那様、“干渉しない”契約を守るのが、意外と下手ですわね」
 「……そうかもしれん」
 短く答えたその声が、どこか優しい。

 

 しばらく二人の間に沈黙が落ちる。
 暖炉の火がぱちぱちと弾け、窓の外では風が唸る。
 辺境の夜は寒い――だが、今この部屋だけはほんのり温かかった。

 やがてカチュアが小さく息を吐く。
 「……わたくし、殿下との婚約時代、こんな穏やかな時間を過ごしたことなど一度もありませんわ」
 ライナルトが目を細める。
 「殿下?」
 「ええ。以前の婚約者ですの。“真実の愛”を見つけたとおっしゃって」
 「……なるほど。その結果、君はここに来た」
 「はい。おかげで今、紅茶がいちばん美味しいですわ」

 ライナルトの口元が、かすかに動いた。
 それが“笑った”ように見えたのは、気のせいだろうか。

 「……では、その紅茶の味を忘れないように」
 「はい?」
 「君がまた誰かに傷つけられても、この味を思い出せば、
  平気で笑えるだろうから」

 その言葉に、カチュアの胸がふわりと温かくなった。
 「……旦那様、それも干渉ですわよ」
 「なら、干渉しておこう」

 

 沈黙。
 けれどそれは、不思議と心地よい沈黙だった。
 二人が並んで紅茶をすする音だけが、静かに部屋を満たしていく。

 ――やがて夜が更け、ライナルトは立ち上がった。
 「では、そろそろ休むといい。明日も雪が降るそうだ」
 「ええ。雪見の紅茶も風情がありそうですわ」
 「糖分は控えめに」
 「……っ、最後の一言が余計ですわ!」

 彼は笑いもせず、静かに扉を閉めて去っていった。
 しかしその背中を見送ったカチュアの胸は、
 なぜかほんの少しだけ高鳴っていた。

 

 暖炉の火が消えかけ、ミリーが囁く。
 「お嬢様……なんだか、いい雰囲気でしたね」
 「どこがですの。あの方はただの“健康管理マニア”ですわ」
 「でも、嬉しそうでしたよ?」
 「……嬉しかったのは紅茶が美味しかったからです」

 そう言いつつも、
 カチュアはさっき渡された“ラベンダー入りの紅茶”の香りを嗅ぎながら、
 そっと微笑んだ。

 (まったく……干渉しないなんて言って、この人、絶対に放っておけない性格ですわ)

 

 ――翌朝。
 目を覚ましたカチュアは、枕元に一枚のメモが置かれているのを見つけた。

 > 『厨房に低糖のスコーンを焼かせておいた。
 > 甘すぎない紅茶に合うはずだ。――ライナルト』

 「……っ」

 思わず顔を覆って笑い出す。
 「ほんとうに、“干渉しない旦那様”とは名ばかりですわね」
 けれどその声には、怒りでも皮肉でもない。
 まるで、朝の光みたいに柔らかい響きがあった。

 

 こうして――
 “紅茶事件”をきっかけに、
 カチュアとライナルトの距離は、
 静かに、しかし確実に近づき始めたのだった。


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