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第11話 名を持たぬ圧力
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第11話 名を持たぬ圧力
夜明け前の政庁は、ひどく静かだった。
焚き火の熾が、かすかに音を立てる。
書類をまとめていたカグラは、ふと手を止めた。
「……静かすぎますわね」
外で見張りに立つ者たちの声も、足音もない。
不安というより、違和感だった。
そのとき、天幕の外から控えめな声がかかる。
「失礼いたします。至急、ご確認いただきたいものが」
「どうぞ」
入ってきたのは、伝令役の青年だった。
その表情は、硬い。
「今朝方、周辺の村々に“通達”が出回っていることが判明しました」
「通達、ですか?」
差し出された紙片には、簡潔な文が記されていた。
――
《この地に集う者たちは、正規の国家ではない。
彼らとの取引・往来は、各自の判断に委ねる》
――
「……随分と、親切な書き方ですこと」
カグラは、紙を指でなぞった。
「禁止ではない。
だが、守らない者は“自己責任”――そういう形ですわね」
「発信元は?」
「不明です。ただ……」
青年は言葉を切り、続けた。
「複数の国の印章が、意図的に使われていません」
国王が、低く唸る。
「名を伏せた圧力か。
最も卑怯で、最も効く手じゃな」
禁止すれば反発を招く。
許可すれば正当化してしまう。
だから、“判断を委ねる”。
(上手ですわね……)
「影響は?」
「すでに、物資の持ち込みを躊躇する商人が出始めています」
「村人たちは?」
「……様子見、です」
カグラは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「恐怖を煽るには、十分ですね」
(剣も兵も使わず、
“孤立”だけを狙う)
「対抗策は?」
側近の一人が問う。
「簡単です」
カグラは、はっきりと言った。
「名を持たないなら、名を与えましょう」
「……どういう意味です?」
「こちらから、“名を名乗る”のです」
一瞬、沈黙。
「国として、ですか?」
「いいえ」
首を振る。
「国ではありません」
視線が集まる。
「“共同体”としてです」
「共同体……」
「守るもの、責任、規範。
それを明文化し、公開する」
国王が、楽しそうに目を細めた。
「なるほど。
圧力に、透明性で返すか」
「名を伏せた脅しには、
名を掲げた約束を」
カグラは、紙を取り上げ、さらさらと書き始めた。
・交易の自由
・通行の安全
・紛争時の仲裁
・外部への不干渉
「……これを?」
「はい。
“サクラ共同体憲章”として」
誰かが、息を呑んだ。
「それは、ほぼ――」
「ええ。ほぼ“国家”です」
カグラは、微笑んだ。
「でも、名乗りません」
名を名乗らないから、奪えない。
責任を明かすから、潰せない。
「これを、周辺の村と商人に配布します」
「反発は?」
「あります」
「孤立は?」
「一時的には」
カグラは、窓の外を見た。
朝日が、集落を照らし始めている。
「でも、信頼は残ります」
しばしの沈黙の後、国王が頷いた。
「やれ。
これは“剣を持たぬ戦”じゃ」
その日、サクラの地には、一枚の文書が配られた。
名も、印章も、威圧もない。
だが、約束だけは、はっきりと書かれていた。
そして――
名を持たぬ圧力は、
名を持たぬまま、力を失い始める。
人は、“脅し”よりも、
“約束”を選ぶからだ。
サクラ王国は、
また一つ、
血を流さずに、世界と向き合う術を手に入れていた。
夜明け前の政庁は、ひどく静かだった。
焚き火の熾が、かすかに音を立てる。
書類をまとめていたカグラは、ふと手を止めた。
「……静かすぎますわね」
外で見張りに立つ者たちの声も、足音もない。
不安というより、違和感だった。
そのとき、天幕の外から控えめな声がかかる。
「失礼いたします。至急、ご確認いただきたいものが」
「どうぞ」
入ってきたのは、伝令役の青年だった。
その表情は、硬い。
「今朝方、周辺の村々に“通達”が出回っていることが判明しました」
「通達、ですか?」
差し出された紙片には、簡潔な文が記されていた。
――
《この地に集う者たちは、正規の国家ではない。
彼らとの取引・往来は、各自の判断に委ねる》
――
「……随分と、親切な書き方ですこと」
カグラは、紙を指でなぞった。
「禁止ではない。
だが、守らない者は“自己責任”――そういう形ですわね」
「発信元は?」
「不明です。ただ……」
青年は言葉を切り、続けた。
「複数の国の印章が、意図的に使われていません」
国王が、低く唸る。
「名を伏せた圧力か。
最も卑怯で、最も効く手じゃな」
禁止すれば反発を招く。
許可すれば正当化してしまう。
だから、“判断を委ねる”。
(上手ですわね……)
「影響は?」
「すでに、物資の持ち込みを躊躇する商人が出始めています」
「村人たちは?」
「……様子見、です」
カグラは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「恐怖を煽るには、十分ですね」
(剣も兵も使わず、
“孤立”だけを狙う)
「対抗策は?」
側近の一人が問う。
「簡単です」
カグラは、はっきりと言った。
「名を持たないなら、名を与えましょう」
「……どういう意味です?」
「こちらから、“名を名乗る”のです」
一瞬、沈黙。
「国として、ですか?」
「いいえ」
首を振る。
「国ではありません」
視線が集まる。
「“共同体”としてです」
「共同体……」
「守るもの、責任、規範。
それを明文化し、公開する」
国王が、楽しそうに目を細めた。
「なるほど。
圧力に、透明性で返すか」
「名を伏せた脅しには、
名を掲げた約束を」
カグラは、紙を取り上げ、さらさらと書き始めた。
・交易の自由
・通行の安全
・紛争時の仲裁
・外部への不干渉
「……これを?」
「はい。
“サクラ共同体憲章”として」
誰かが、息を呑んだ。
「それは、ほぼ――」
「ええ。ほぼ“国家”です」
カグラは、微笑んだ。
「でも、名乗りません」
名を名乗らないから、奪えない。
責任を明かすから、潰せない。
「これを、周辺の村と商人に配布します」
「反発は?」
「あります」
「孤立は?」
「一時的には」
カグラは、窓の外を見た。
朝日が、集落を照らし始めている。
「でも、信頼は残ります」
しばしの沈黙の後、国王が頷いた。
「やれ。
これは“剣を持たぬ戦”じゃ」
その日、サクラの地には、一枚の文書が配られた。
名も、印章も、威圧もない。
だが、約束だけは、はっきりと書かれていた。
そして――
名を持たぬ圧力は、
名を持たぬまま、力を失い始める。
人は、“脅し”よりも、
“約束”を選ぶからだ。
サクラ王国は、
また一つ、
血を流さずに、世界と向き合う術を手に入れていた。
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