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第十話 婚約の話と、割り込む現実
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第十話 婚約の話と、割り込む現実
翌朝、リリカはいつもより早く王城へ戻っていた。
裏通りの菓子店を離れる瞬間、胸の奥にわずかな引っかかりを覚えたが、その理由を考える余裕はなかった。王城からの呼び出しは、たいてい「余計な話」を伴う。
「王女殿下、お待ちしておりました」
応接室に通されるなり、柔らかな笑みを浮かべた貴族たちが立ち上がった。
その中に混じる、見覚えのある人物。
(……やはり、ですわね)
第二王子アルベルト。
端正な顔立ちに穏やかな微笑みを張り付けた、王城でも評判の“人当たりの良い王子”。
「お久しぶりですね、リリカ」
「ええ。お変わりありませんか、アルベルト殿下」
礼儀正しく応じながら、内心では身構えていた。
この場に彼がいる。
それだけで、話の内容はほぼ読めている。
席に着くと、年配の貴族が咳払いをした。
「さて、本題に入りましょう。王女殿下もご承知の通り、近隣諸国との関係は微妙な均衡の上にあります」
「ええ」
「そこで――新たな婚約のお話です」
来た。
リリカは表情を崩さず、ただ静かに続きを待つ。
「相手は有力貴族家。資金力もあり、王国にとって有益な縁談となりましょう」
「……私の意思は?」
問いは、静かだったが鋭かった。
貴族たちは一瞬、言葉に詰まる。
「もちろん、殿下のお気持ちも――」
「建前は結構ですわ」
リリカは穏やかに遮った。
「これは、国益のための話でしょう?」
沈黙。
それが、答えだった。
アルベルトが、ここぞとばかりに口を開く。
「リリカ。君の立場なら理解できるはずだ」
「理解は、していますわ」
彼女は即答した。
「ですが、納得はしておりません」
その言葉に、空気がぴしりと張り詰めた。
「私は、すでに王国のために動いています。結果も出しています」
誰も知らないはずの事実。
だが、彼女の声音には確信があった。
「これ以上、私の時間と行動を縛る必要がありますか?」
アルベルトは、わずかに目を細めた。
「……噂の菓子店か」
心臓が、ひとつ跳ねた。
だが、リリカは動じない。
「噂話ですわ」
「そうかな?」
彼は微笑んだまま、続ける。
「王都の金の流れが、少し変わり始めている。誰かが、裏で舵を取っている」
リリカは、ゆっくりと息を吸った。
「それが、私だと?」
「可能性の話だ」
アルベルトは肩をすくめる。
「だが、もしそうなら――君は少し、自由に動きすぎだ」
その言葉には、はっきりとした牽制が含まれていた。
「婚約すれば、その自由も制限できる」
場の誰もが、口には出さないが、同じことを考えている。
(……やはり、この人は)
穏やかな仮面の下にあるものを、リリカははっきりと感じ取った。
「お返事は、少し待っていただけますか」
彼女は静かに言った。
「現在、王都の経済について独自に調査を進めています。その結果をお見せした上で、判断したいのです」
貴族たちは顔を見合わせる。
「調査、ですか」
「ええ。感情ではなく、数字で話したいのです」
アルベルトはしばらく彼女を見つめ、やがて頷いた。
「いいだろう。だが、期限は設ける」
「構いませんわ」
応接室を出た瞬間、リリカは小さく息を吐いた。
(想定より、早く踏み込んできましたわね)
婚約話は、ただの縁談ではない。
自由を奪い、動きを止めるための枷。
その日の夕方。
リリカは裏通りの菓子店を訪れた。
シオンは、仕込みの最中だったが、彼女の表情を見てすぐに気づいた。
「……何かあったな」
「ええ」
リリカは、短く頷いた。
「婚約の話が、正式に出ました」
シオンの手が、止まる。
「……そうか」
それだけしか、言えなかった。
店内に、重い沈黙が落ちる。
「安心なさい」
リリカは、すぐに続けた。
「受けるつもりはありません」
「……だが」
「ええ。簡単ではありませんわ」
彼女は、まっすぐにシオンを見た。
「だから、結果を出します。誰にも文句を言わせないほどの」
シオンは、その瞳を見つめ返す。
迷いはない。
だが、覚悟の重さは伝わってくる。
「……俺に、できることは?」
リリカは、ほんの一瞬だけ驚いた顔をした後、微笑んだ。
「美味しい菓子を作ってください」
「それだけでいいのか」
「それが、一番難しいのです」
彼は、静かに頷いた。
「……分かった」
オーブンの中で、菓子が焼けている。
甘い香りが、再び店内に広がった。
だが今日は、その香りの奥に、確かな緊張が混じっている。
日常は、確実に揺らぎ始めていた。
それでも、リリカは止まらない。
この店も、この関係も――
誰かの都合で、奪わせはしないと決めていた。
翌朝、リリカはいつもより早く王城へ戻っていた。
裏通りの菓子店を離れる瞬間、胸の奥にわずかな引っかかりを覚えたが、その理由を考える余裕はなかった。王城からの呼び出しは、たいてい「余計な話」を伴う。
「王女殿下、お待ちしておりました」
応接室に通されるなり、柔らかな笑みを浮かべた貴族たちが立ち上がった。
その中に混じる、見覚えのある人物。
(……やはり、ですわね)
第二王子アルベルト。
端正な顔立ちに穏やかな微笑みを張り付けた、王城でも評判の“人当たりの良い王子”。
「お久しぶりですね、リリカ」
「ええ。お変わりありませんか、アルベルト殿下」
礼儀正しく応じながら、内心では身構えていた。
この場に彼がいる。
それだけで、話の内容はほぼ読めている。
席に着くと、年配の貴族が咳払いをした。
「さて、本題に入りましょう。王女殿下もご承知の通り、近隣諸国との関係は微妙な均衡の上にあります」
「ええ」
「そこで――新たな婚約のお話です」
来た。
リリカは表情を崩さず、ただ静かに続きを待つ。
「相手は有力貴族家。資金力もあり、王国にとって有益な縁談となりましょう」
「……私の意思は?」
問いは、静かだったが鋭かった。
貴族たちは一瞬、言葉に詰まる。
「もちろん、殿下のお気持ちも――」
「建前は結構ですわ」
リリカは穏やかに遮った。
「これは、国益のための話でしょう?」
沈黙。
それが、答えだった。
アルベルトが、ここぞとばかりに口を開く。
「リリカ。君の立場なら理解できるはずだ」
「理解は、していますわ」
彼女は即答した。
「ですが、納得はしておりません」
その言葉に、空気がぴしりと張り詰めた。
「私は、すでに王国のために動いています。結果も出しています」
誰も知らないはずの事実。
だが、彼女の声音には確信があった。
「これ以上、私の時間と行動を縛る必要がありますか?」
アルベルトは、わずかに目を細めた。
「……噂の菓子店か」
心臓が、ひとつ跳ねた。
だが、リリカは動じない。
「噂話ですわ」
「そうかな?」
彼は微笑んだまま、続ける。
「王都の金の流れが、少し変わり始めている。誰かが、裏で舵を取っている」
リリカは、ゆっくりと息を吸った。
「それが、私だと?」
「可能性の話だ」
アルベルトは肩をすくめる。
「だが、もしそうなら――君は少し、自由に動きすぎだ」
その言葉には、はっきりとした牽制が含まれていた。
「婚約すれば、その自由も制限できる」
場の誰もが、口には出さないが、同じことを考えている。
(……やはり、この人は)
穏やかな仮面の下にあるものを、リリカははっきりと感じ取った。
「お返事は、少し待っていただけますか」
彼女は静かに言った。
「現在、王都の経済について独自に調査を進めています。その結果をお見せした上で、判断したいのです」
貴族たちは顔を見合わせる。
「調査、ですか」
「ええ。感情ではなく、数字で話したいのです」
アルベルトはしばらく彼女を見つめ、やがて頷いた。
「いいだろう。だが、期限は設ける」
「構いませんわ」
応接室を出た瞬間、リリカは小さく息を吐いた。
(想定より、早く踏み込んできましたわね)
婚約話は、ただの縁談ではない。
自由を奪い、動きを止めるための枷。
その日の夕方。
リリカは裏通りの菓子店を訪れた。
シオンは、仕込みの最中だったが、彼女の表情を見てすぐに気づいた。
「……何かあったな」
「ええ」
リリカは、短く頷いた。
「婚約の話が、正式に出ました」
シオンの手が、止まる。
「……そうか」
それだけしか、言えなかった。
店内に、重い沈黙が落ちる。
「安心なさい」
リリカは、すぐに続けた。
「受けるつもりはありません」
「……だが」
「ええ。簡単ではありませんわ」
彼女は、まっすぐにシオンを見た。
「だから、結果を出します。誰にも文句を言わせないほどの」
シオンは、その瞳を見つめ返す。
迷いはない。
だが、覚悟の重さは伝わってくる。
「……俺に、できることは?」
リリカは、ほんの一瞬だけ驚いた顔をした後、微笑んだ。
「美味しい菓子を作ってください」
「それだけでいいのか」
「それが、一番難しいのです」
彼は、静かに頷いた。
「……分かった」
オーブンの中で、菓子が焼けている。
甘い香りが、再び店内に広がった。
だが今日は、その香りの奥に、確かな緊張が混じっている。
日常は、確実に揺らぎ始めていた。
それでも、リリカは止まらない。
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