派手にしない工房は、今日もちゃんと続いている

ふわふわ

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第二十三話 揺さぶりの行方と、選ばれる側

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第二十三話 揺さぶりの行方と、選ばれる側

 監査が始まってから、五日目。

 工房の朝は、相変わらず早い。
 だが、いつもなら自然に流れていた段取りの合間に、わずかな緊張が混じるようになっていた。

「……今日も、来るでしょうか」

 リリカが帳簿を閉じながら、静かに言う。

「ああ」

 シオンは短く答え、オーブンの温度を確認する。

「来ない方が、むしろ不気味だ」

 その言葉通り、午前中には監査官の一団が姿を見せた。
 人数は昨日より少ないが、代わりに視線が鋭い。

「本日は、流通経路の確認を中心に行う」

 先頭の男が告げる。

「承知しました」

 リリカは、すぐに必要な書類を差し出した。

 流通は、意図的に単純化してある。
 中間業者を増やさない。価格操作の余地を作らない。
 裏通りの店の頃から、変えていない方針だ。

「……契約先が、減っていますね」

 監査官の一人が、淡々と指摘する。

「ええ」

 リリカは、包み隠さず頷いた。

「監査中のため、先方が慎重になっているのでしょう」

「不満は?」

「ありません」

 即答だった。

「不安がある中で、無理に取引を続ける方が問題です」

 監査官たちは、互いに視線を交わす。

 彼らが探しているのは、焦りや言い訳だ。
 だが、ここにはそれがない。

 昼過ぎ。
 工房の外が、いつもより騒がしくなった。

「……人が、集まってます」

 若い職人見習いが、控えめに報告する。

 外へ出ると、数人の商人と、近隣の店主たちが立っていた。

「……急に、契約を止められたって聞いた」

「監査のせいだろ?」

 不安そうな声が、重なる。

 リリカは、一歩前に出た。

「ご心配をおかけしています」

 その声は、よく通った。

「現在、工房は監査中です。ですが、不正はありません」

「……本当に?」

「ええ」

 彼女は、はっきりと答える。

「もし、監査の結果、問題が見つかれば、私はすべての責任を負います」

 その言葉に、ざわめきが走る。

「ですが」

 リリカは続けた。

「問題がなければ、この工房は続きます。そして――」

 視線を、集まった商人たちに向ける。

「取引を再開するかどうかは、皆さん自身が決めてください」

 誰かが、ぽつりと呟いた。

「……選べ、ってことか」

「ええ」

 リリカは頷いた。

「強制はしません」

 沈黙が落ちる。

 やがて、一人の年配の商人が、前に出た。

「……正直に言う」

 彼は、リリカを見つめる。

「うちは、小さい。王城と揉めるのは、怖い」

「当然です」

「だが」

 彼は、拳を握りしめた。

「この菓子は、売れる。文句も出ない。客が喜ぶ」

 周囲が、息を呑む。

「……監査が終わるまで、待つ」

 それは、拒絶ではない。

「だが、終わったら――また、取引したい」

 その言葉を皮切りに、似た声が続く。

「うちもだ」

「様子は見るが、切るつもりはない」

「結果次第だな」

 完璧な支持ではない。
 だが、完全な離反でもない。

(十分ですわ)

 リリカは、内心で息を吐いた。

 その夜。
 工房の中で、シオンが低く言った。

「……うまく、やったな」

「いいえ」

 リリカは首を振る。

「現実を、提示しただけです」

「それが、一番難しい」

 彼女は、小さく微笑んだ。

「だから、数字と現場が必要なのです」

 翌日。
 監査は、いよいよ終盤に入った。

「……これで、主要な確認は終わりだ」

 監査官の言葉に、工房内の空気がわずかに緩む。

「結果は、数日以内に」

「承知しております」

 監査官たちが去った後、工房には静けさが戻った。

「……どうなる」

 シオンが、ぽつりと尋ねる。

「問題は、出ません」

 リリカは、迷いなく答えた。

「ただし」

「ただし?」

「“問題が出なかった”ことを、どう扱うか」

 彼女は、外を見やる。

「それは、別の話です」

 その夜、王城の一室。

「……監査では、何も出ない」

「分かっていました」

「なら、どうする」

 沈黙の後、低い声が言った。

「……様子を見る」

 その言葉には、苛立ちが滲んでいる。

「下手に動けば、逆効果だ」

 翌朝。
 工房の前に、いつものように材料が届く。

「……変わらないな」

 シオンが、粉袋を運びながら呟く。

「ええ」

 リリカは、頷いた。

「選ばれる側になる、というのは、こういうことです」

 誰かに守られるのではない。
 誰かに指示されるのでもない。

 必要とされ、使われ、続いていく。

 監査は、まだ終わっていない。
 だが、流れは見え始めていた。

 影が退くときは、音もなく去る。
 その代わりに残るのは、静かな信頼だけだ。

 そしてリリカは、確信していた。

(ここを越えれば、もう戻りませんわね)

 工房の香りは、今日も変わらない。
 それが、答えだった。
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