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第7話 王子宮の乱れと、変わらぬ優雅な午後
しおりを挟むエレノアは午後のティータイムに、焼きたてのクッキーをつまみながら本をめくっていた。
クッションにもたれ、好きな姿勢で読書ができるという些細な自由が、何よりの幸せに感じられる。
「ミリア、今日の紅茶は少し軽めの香りですわね。落ち着きますわ」
「はい、お嬢様。最近はお疲れかと思いまして……」
「疲れてませんわよ? むしろ毎日寝起きが素晴らしいほど快適ですもの」
ミリアは苦笑いを浮かべる。
この二日間、エレノアが“婚約破棄されて落ち込んでいる人間”の要素を一ミリも見せないことに、もはやツッコミすら追いつかなくなっていた。
そんなとき、別の侍女が慌ただしく駆け込んでくる。
「お嬢様! 王子宮で……とうとう大問題が!」
エレノアは紅茶を飲む手を止め、静かに顔を上げた。
ただし、瞳の奥に「楽しみ」という色が混じっているのはミリアにだけ分かる。
「まあ、今度は何を?」
「リリィ様の素行について、複数の貴族から正式な苦情が入ったそうです! しかも王子殿下が、殿下の私物であった宝飾品を次々渡していたことが発覚し、王宮内が大混乱に…!」
(まあ、そうでしょうね。あの方、お金の匂いがすると止まらないタイプでしたもの)
侍女はさらに続けた。
「殿下はリリィ様を庇って『全部私の意思だ!』と叫ばれたとかで……
それが逆に、王宮で“殿下が完全に操られている”と噂に……」
エレノアは目を瞬かせた。
(操られている……いえ、本人が好きで舞い上がってるだけですわよね?)
しかし、世間の受け取りは違う。
「エレノア様を捨てた結果がこれか」
「殿下は判断を誤った」
「やはり令嬢のほうが良かったのでは」
そんな声が、王都中で広まっているらしい。
ミリアが言う。
「お嬢様の株が……また上がっております」
「まあ、勝手に評価されるのは困りませんけれど。
わたくし、もう王宮に戻る気はゼロですもの」
エレノアはふわりと微笑む。
戻る意志がないどころか、
彼女の心はむしろ“近づきたくない”方向に全力で傾いていた。
侍女がさらに言葉を続ける。
「それと……公爵家の使いが、王宮に出入りしているそうです」
エレノアは本から顔を上げた。
「公爵家と……王宮?」
「はい。どうやら“とある令嬢”に関する調査が行われているとか」
ミリアと侍女は、そわそわとエレノアを見る。
「お嬢様のことでは……?」
エレノアはしばし考えた。
(公爵家……ライナルト公爵。
たしか一度、王都の書庫で遠目に見かけた方。
冷徹で有能、そして他者に興味がないと評判の……)
しかし、なぜ彼が自分を調べるのだろう。
「心当たりはありませんわ。
わたくし、有名人でもなんでもありませんもの」
ミリアは言いかけて、やめた。
(いや……今、王都で一番話題の令嬢ですけれど……)
侍女は恐縮しながらも続ける。
「ただ……公爵家の調査は、殿下の暴走を重く見た王宮が相談したのでは、という話もありまして……
“エレノア様側に問題がなかったかどうか”と」
「問題? わたくしに?」
エレノアは本気で不思議そうに首をかしげた。
(問題があったとしたら、むしろ殿下との婚約時代のストレスのほうですわよね?)
「まぁ、どちらにせよ。わたくしに非がないことは明白ですもの。
誰が調べてもそうなりますわ」
そう言い切ったエレノアは、もう一度紅茶を口に運ぶ。
落ち着いた仕草に、侍女たちは安心と同時に呆れがこみ上げる。
「……お嬢様、本当に動じませんね」
「婚約破棄した程度で人生が揺らぎます?
そんな余裕のない考え方、いたしませんわ」
エレノアの自信に満ちた声は、屋敷の窓から外へ流れていった。
その頃、遠く離れた公爵領ノルヴィアでもまた、ひとりの男が静かに呟いていた。
「本当に……泣くような娘ではない。
何を隠している?」
ライナルト公爵の瞳には、興味と疑念が交錯している。
その視線の先にあるのが、
当の本人が“自由のクッキー”を食べながら優雅に読書する令嬢だとは、
まだ誰も知らなかった。
エレノアの日常は今日も平和だった。
けれど、彼女の周囲ではすでに、大きな流れが動き始めている。
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