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第10話 辺境公爵、優雅すぎる令嬢に出会う
しおりを挟むその日の朝、エレノアはのんびりと髪を整えていた。
「ミリア、今日の朝食は軽めで構いませんわ。
なんだか……甘いものが食べたい気分ですの」
「……お嬢様。今日は“その方”が来られる日ですよ」
ミリアは緊張で声が震えていた。
「その方」とは、もちろんノルヴィア公爵ライナルト。
辺境を束ねる冷徹な男として知られ、
王都の騎士団すら頭を下げる存在。
だがエレノアは、ぽかんと瞬きを一度。
「そういえば、そんなことも言ってましたわね。
では、お茶菓子は三種に増やしておきましょうか」
ミリアは頭を抱えた。
「お嬢様……緊張、しないのですか……?」
「しますわよ?」
「えっ」
エレノアは真剣に言った。
「もし公爵様のお口に合わないお菓子を出してしまったら……
料理長が落ち込みますもの!」
ミリアは崩れ落ちた。
(違う意味の緊張でしたわ……!)
そして昼過ぎ――
屋敷の前に黒い騎馬の列が静かに止まった。
侍女が駆け込んでくる。
「お嬢様……公爵様が到着なさいました……!」
エレノアは紅茶の仕上げを丁寧に注ぎ、立ち上がった。
「ではお会いしましょう。
ミリア、姿勢は大事ですわよ。背筋を伸ばして」
(緊張していないのはお嬢様だけです……!)
玄関扉が開かれた瞬間、
冷気のような空気が一気に流れ込んだ。
ノルヴィア公爵ライナルト。
大柄ではないものの、鍛えられた体躯。
整った金髪に鋭い蒼の瞳。
歩くだけで場の空気を支配するような威圧感。
ミリアは思わず息を呑む。
(ひいい……本物の“辺境の獅子”……!)
しかしエレノアは優雅にスカートをつまみ、軽く会釈した。
「ようこそお越しくださいました、公爵様。
アルディナ侯爵家のエレノアでございます」
ライナルトはほんの一瞬だけ目を細めた。
(落ち着きすぎだ……。
泣き崩れたという話は何だったのだ?)
「急な訪問にもかかわらず、丁寧な対応に礼を言う。
君に、直接確認したいことがあって来た」
エレノアは静かに微笑む。
「ご質問がありましたら、どうぞお好きなだけ」
その堂々たる姿に、公爵の側近たちまで驚いていた。
ライナルトは本題に入る。
「まず——君は第一王子との婚約を破棄された身だ。
にもかかわらず、周囲の噂では“ひどく落ち込んでいる”と聞いた。
しかし……」
彼の蒼の瞳がじっとエレノアを射抜く。
「まったくそうは見えない」
エレノアは自然と微笑んだ。
(まあ……そうでしょうね)
「ええ、わたくしは別に落ち込んでおりません」
ライナルトは息を止めた。
「落ち込んで……いない?」
「はい。むしろ、自由を得て喜んでおりますわ」
ミリアの口元がぴくんと震える。
(言った……お嬢様、ついに言った……!)
ライナルトは眉を寄せる。
「喜んで……?」
「ええ。
わたくし、王宮のしきたりや、殿下の“毎日のご機嫌取り”に疲れておりましたの。
婚約破棄のおかげで、読書とお菓子作りと昼寝の時間が増えましたわ。
感謝すらしております」
ライナルトは固まった。
(感謝……?
婚約破棄を……?)
公爵の側近たちも、
「この令嬢……強すぎるのでは……」
と目を見張っている。
エレノアは続けた。
「殿下は……とても可愛らしい方でしたけれど、
わたくしとは価値観が違いましたの。
ですから、お互いに不幸になる前に解消されたのは良いことですわ」
ライナルトはしばらく黙り、
そして初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……噂話との落差が激しすぎる」
「噂は盛られるものですわ」
「確かに。だが……」
ライナルトはゆっくりと言葉を紡いだ。
「君のような者なら——
泣き崩れる理由など、最初からなかったのだろうな」
エレノアは軽く首を傾げる。
「では、公爵様。
泣き崩れていたのは“演技”だと、そう思われます?」
「……君ならありえる」
エレノアは笑った。
「ご想像にお任せいたしますわ」
ミリアの胃がキリキリし始めた。
(お嬢様……公爵様を翻弄し始めてます……!)
ライナルトは視線を落とし、一息ついて告げた。
「エレノア・アルディナ。
君について、誤解を解く必要が出てきた。
王宮に対しても、周囲に対しても」
「誤解?」
「君が“捨てられた被害者”ではなく——
殿下が“判断を誤っただけ”だということをだ」
エレノアは思わず瞬いた。
(……この方、わたくしを庇おうとしている?)
ライナルトは続ける。
「それが、私が来た目的の一つだ」
エレノアは口元に手を添え、柔らかく微笑んだ。
「まあ……公爵様は、随分とお優しい方なのですわね」
ライナルトの心臓が、わずかに跳ねた。
(優しい……?
私が……?)
その言葉は、彼が生きてきた中でほとんど言われたことのないものだった。
エレノアは気づかない。
この瞬間、ライナルトの中で——
エレノアという存在が“特別に分類され始めた”ことを。
公爵は決して表情に出さないが、
瞳は確かに彼女を捉え続けていた。
「……君とは、今後も話す必要がありそうだ」
「ええ、わたくしでお役に立つことがあれば」
その声に、ライナルトは静かに頷いた。
二人の最初の出会いは、
驚きと興味と、わずかな温度を孕んで——
確かに幕を開けたのだった。
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