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33話 エレノア、胸のざわめき
しおりを挟むその日の午後、公爵家には王都からの使者が訪れていた。
用件は、辺境の街道整備に関する書簡の確認だという。
エレノアは書庫から資料を持ってきた帰り、
ふと廊下で立ち止まった。
聞き慣れない女性の声が聞こえたのだ。
「まあ、公爵様はお変わりなく……。
王都にいらした頃より、表情が柔らかくなられたように思いますわ」
声の主は、王都から派遣された女性文官。
上品で美しく、知性を感じさせる雰囲気を纏っていた。
ライナルト公爵は対していつも通りの無表情だが――
よく見れば、ごくわずかに口調が柔らかい。
「辺境の状況は君の報告で十分伝わった。
ご苦労だったな」
「光栄です、公爵様。
……王都の者たちは、皆、あなたのお噂をしておりますのよ。
“冷徹”と恐れられた公爵が、別人のようだと――」
女性文官が微笑む。
その柔らかな空気に、
エレノアの胸が――チクリと痛んだ。
(……え? なに、この感覚)
胸の奥がざわつく。
理由はわからない。ただ落ち着かない。
視線を逸らそうとしたそのとき――
「エレノア」
ライナルト公爵が気づいて声をかけた。
「さきほど頼んだ資料だな」
「は、はい。こちらですわ」
エレノアは書類を差し出しつつ、
自然と女性文官に目を向けてしまう。
品があり、聡明で、隙がない。
王都貴族として申し分のない女性。
(……こういう方が、公爵様にはお似合いなのでは?)
胸の奥のざわつきは強まるばかり。
女性文官はエレノアにも微笑みかけた。
「あなたがエレノア嬢……王都ではお噂をよく聞いておりますわ。
公爵様がここまで信頼なさるのですもの、きっと素晴らしい方なのでしょうね」
「い、いえ……わたくしなど……」
反射的に謙遜してしまう。
すると、横で公爵が静かに言った。
「彼女は優秀だ。謙遜する必要はない」
「……っ」
その一言に胸が熱くなる。
けれど同時に――
(どうしてこんなに心が揺れるのかしら)
女性文官が公爵と親しげに話すたび、
なぜか喉が詰まり、呼吸が浅くなる。
(公爵様が誰と話そうと、わたくしには関係ないはず……)
そう思っても、胸のモヤモヤは晴れなかった。
短い会談が終わり、文官が帰っていく。
エレノアはその背中を見つめながら、胸に手を当てた。
(……なに? これ。どうしてこんな……)
言葉にできない感情が渦巻く。
そのとき、隣から優しい声がした。
「エレノア」
「ひゃっ!?」
「驚かせたか?」
「あ、いえ……少し、考えごとをしていましたので」
公爵の瞳がまっすぐ彼女を見ている。
その視線に、また心臓が跳ねた。
「……体調でも悪いのか?」
「そ、そんなことはありませんわ!」
思わず声が大きくなり、エレノアは真っ赤になる。
(な、なんなの……今日のわたくし……)
恥ずかしさと、わけのわからないざわめき。
その両方に胸が占領されていた。
ライナルト公爵は、彼女の変化に気づいていない。
だが――その静かな瞳は、どこか柔らかかった。
エレノアは自覚できていなかった。
このざわめきが“恋”への入り口だということに。
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