婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第九話 静かなる招待状

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第九話 静かなる招待状

 ローゼンベルク公爵家別邸に、ひときわ重みのある封書が届いたのは、午後の静かな時間だった。

 封蝋は黒。
 刻まれている紋章は、鋭角的な剣と十字を組み合わせたもの。

「……クロイツ家ですね」

 マリアが、わずかに息を呑む。

「ええ」

 私は、指先で封蝋をなぞった。

 クロイツ家。
 隣国を実質的に動かしている宰相家。
 そして、その当主――アイゼン・クロイツは、“冷酷無比”の異名を持つ人物。

 王都では、彼の名を知らぬ者はいない。
 だが、同時にこうも囁かれている。

 ――無駄を嫌い、能力しか見ない。

 私は、ゆっくりと封を切った。

 中にあったのは、簡潔な文面だった。

『エルミナ・ローゼンベルク公爵令嬢
 一度、お話をしたい
 貴女の都合の良い日時を知らせてほしい
 ――アイゼン・クロイツ』

 飾り気はない。
 だが、その一行一行が、無駄なく整っている。

「……ずいぶん、率直ですね」

 マリアが言う。

「ええ。好感が持てる」

 私は、正直にそう思った。

 駆け引きも、過剰な礼辞もない。
 ただ、必要だから会いたい。

 それだけ。

「お断りには……なりませんよね?」

「もちろん」

 私は即答した。

「理由が、はっきりしている方が好きです」

 数日後。

 私は、隣国との国境に近い都市で、クロイツ家の使節と落ち合った。

 迎えの馬車は質素だが、無駄がない。
 護衛も最小限で、しかし隙はない。

「エルミナ様」

 案内役の男が、深く一礼する。

「宰相閣下は、貴女をお待ちです」

 通されたのは、街を見下ろす高台の館だった。

 応接室に足を踏み入れると、すでに一人の男が立っていた。

 黒髪に、鋭い灰色の瞳。
 装飾の少ない衣服。
 無駄のない立ち姿。

 ――アイゼン・クロイツ。

「はじめまして」

 低く、落ち着いた声。

「エルミナ・ローゼンベルク公爵令嬢」

「お招きいただき、光栄です」

 私は礼を返す。

 視線が、ほんの一瞬だけ交わる。
 互いを測るような、静かな時間。

「率直に話そう」

 アイゼンは、椅子を勧めながら言った。

「貴女の動きは、見ていた」

「光栄ですわ」

「王家を離れ、地方商会と直接交渉。
 契約の速度と精度、どれも優秀だ」

 褒め言葉だが、感情はない。
 事実の確認に近い。

「ありがとうございます」

「そこで、提案がある」

 彼は、一枚の書類を机に置いた。

「隣国との共同事業だ」

 私は、書類に目を落とす。

 物流網の統合、税制の緩和、通貨の調整。
 どれも、大規模だが現実的な内容。

「……大胆ですね」

「必要だからだ」

 即答。

「貴女の能力は、王国一国に留めるには惜しい」

 その言葉に、私は小さく息を吐いた。

「随分と、率直ですわね」

「遠回しは、時間の無駄だ」

 彼は、私をまっすぐに見た。

「私は、能力にしか興味がない。
 貴女が王太子の婚約者だったかどうかも、
 聖女がどうなったかも、関係ない」

 ――それが、彼の秤。

 肩書でも、噂でもない。
 ただ、できるか、できないか。

「……条件を、確認させてください」

 私は、そう言って書類を読み進めた。

 拘束はない。
 命令権もない。
 だが、責任と裁量は明確だ。

「ずいぶん、自由ですね」

「無駄に縛れば、能力は鈍る」

 アイゼンは、淡々と続ける。

「私は、貴女を使いたいのではない。
 一緒に動きたい」

 その一言に、私は指を止めた。

「……それは」

「誤解するな。
 これは仕事の話だ」

 即座に付け加えられる。

 だが、その言葉の裏に、確かな尊重があった。

 一方、王城では。

「……クロイツ家が、エルミナに接触した?」

 報告を受けたアドリアンは、青ざめた。

「なぜ……!」

「当然でしょう」

 重臣が、疲れた声で答える。

「彼女の価値を、正しく見ている者がいるということです」

 アドリアンは、拳を握りしめる。

 ――自分は、見ていなかった。

 その事実が、胸に重くのしかかる。

 夕暮れ。

 私は、館の窓辺に立っていた。

「……少し、考えさせてください」

 そう告げると、アイゼンは頷いた。

「構わない」

 急かさない。
 縛らない。

 それだけで、この男が“違う”と分かる。

「返事は、いつでもいい」

「ええ」

 私は、微笑んだ。

 王家から離れたことで、
 私はようやく、正当に“量られる場所”に立った。

 この招待状は、命令でも救済でもない。

 ――選択肢だ。

 静かに差し出された一枚のカードを、
 どう切るかは、私自身が決める。

 そう思いながら、私はゆっくりと息を吸った。

 物語は、確実に次の段階へ進み始めていた。
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