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第十五話 崩れ始めた均衡
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第十五話 崩れ始めた均衡
再調査の開始は、思っていた以上に早かった。
王城の一角に設けられた臨時の審問室には、教会から派遣された高位司祭たちが並び、壁際には記録係が控えている。
空気は張りつめ、祈りの場とはまったく異なる、冷たい理性が支配していた。
リーネは、中央の椅子に座っていた。
白い聖衣は同じだが、そこに宿るはずの「聖性」は、今や彼女自身にも感じられない。
向けられる視線は、信仰ではなく検証の目だった。
「聖女リーネ」
最年長の司祭が、静かに口を開く。
「これより、聖女認定に関わる再調査を開始します」
「……はい」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
逃げ場がないと理解した時、人は不思議と腹を括れるものだ。
「まず、過去一年間の奇跡の発現について。
発生時刻、立ち会い人員、事前準備について、説明を」
淡々とした問い。
だが、その一つ一つが、
これまで曖昧に済まされてきた部分を、容赦なく照らし出す。
「……祈りの時間に、信徒の方々が集まり……」
リーネは、記憶を辿りながら答える。
だが、答えれば答えるほど、
自分が「奇跡の主体」ではなかった事実が、
はっきりと浮かび上がってくる。
「その儀式の準備は、誰が?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……王城の方々が」
「具体的には?」
「……エルミナ・ローゼンベルク様が」
名前が出た瞬間、
記録係のペンが、止まることなく走った。
司祭たちは、互いに視線を交わす。
「つまり、儀式の日時、場所、参加者の選定、
信徒への事前説明――
その多くを、彼女が担っていた、と」
「……はい」
それは、否定しようのない事実だった。
審問は、長時間に及んだ。
祈りの言葉。
対応の仕方。
信徒が不安を口にした際の返答。
そのすべてにおいて、
リーネは、自分が「与えられた役」を演じていただけだと、
否応なく自覚させられていく。
一方、別室では。
「……これは、想定以上だな」
宰相が、低く呟いた。
「聖女個人の問題では済まない」
教会の再調査は、
リーネ個人の能力不足を問うだけでなく、
王家の体制そのものに切り込んでいた。
――なぜ、ここまで一人に依存していたのか。
その答えは、あまりにも明白だ。
王家は、
エルミナ・ローゼンベルクという存在に、
判断も調整も責任も、すべてを預けていた。
「殿下」
宰相は、アドリアンを見た。
「このままでは、教会は“聖女制度”そのものに、
疑義を呈するでしょう」
「……分かっている」
アドリアンの声は、重かった。
聖女を失えば、王家の権威はさらに揺らぐ。
だが、守ろうとすれば、教会との対立は避けられない。
どちらを選んでも、
もう以前の均衡には戻れない。
一方、王城の外では。
隣国の政庁で、私は静かに報告書を読んでいた。
「……再調査、始まりましたね」
マリアが、控えめに言う。
「ええ」
私は頷いた。
「遅かれ早かれ、起きたことです」
それは、復讐ではない。
誰かを陥れるための行動でもない。
ただ、
歪んだ均衡が、正しい位置へ戻ろうとしているだけ。
「王家は、耐えられるでしょうか」
マリアの問いに、私は少しだけ考えた。
「耐えるかどうかは、分かりません」
正直な答えだった。
「ただ、
これまでのやり方を続けることは、もうできない」
夜。
再調査を終えたリーネは、自室に戻ると、
そのまま床に座り込んだ。
「……全部、崩れちゃった」
自分が信じてきたもの。
自分が拠り所にしてきた立場。
それらは、
自分の足で立っていたわけではなかった。
だが同時に、
心の奥で、奇妙な静けさが生まれている。
「……でも」
小さく、息を吸う。
「このままじゃ、終われない」
聖女としてではなくてもいい。
王家に選ばれた存在でなくてもいい。
――何かを、学ばなければならない。
そう思えたことだけが、
今の彼女を支えていた。
同じ夜、アドリアンは一人、執務室で書類を見つめていた。
そこにあるのは、
エルミナが去る前にまとめていた、最後の引き継ぎ資料。
丁寧で、簡潔で、
それでいて、先を見据えた内容。
「……俺は」
呟きが、闇に溶ける。
「何も見ていなかった」
彼女が支えていた均衡は、
愛情でも、義務でもなく、
徹底した責任感と覚悟だった。
それを、
当然のものとして受け取っていた。
均衡は、すでに崩れ始めている。
そして、その崩れは、
もう誰の力でも止められない。
――失われた均衡の先に、
何が生まれるのか。
それを決めるのは、
過去に縋る者ではなく、
現実と向き合える者だけだった。
再調査の開始は、思っていた以上に早かった。
王城の一角に設けられた臨時の審問室には、教会から派遣された高位司祭たちが並び、壁際には記録係が控えている。
空気は張りつめ、祈りの場とはまったく異なる、冷たい理性が支配していた。
リーネは、中央の椅子に座っていた。
白い聖衣は同じだが、そこに宿るはずの「聖性」は、今や彼女自身にも感じられない。
向けられる視線は、信仰ではなく検証の目だった。
「聖女リーネ」
最年長の司祭が、静かに口を開く。
「これより、聖女認定に関わる再調査を開始します」
「……はい」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
逃げ場がないと理解した時、人は不思議と腹を括れるものだ。
「まず、過去一年間の奇跡の発現について。
発生時刻、立ち会い人員、事前準備について、説明を」
淡々とした問い。
だが、その一つ一つが、
これまで曖昧に済まされてきた部分を、容赦なく照らし出す。
「……祈りの時間に、信徒の方々が集まり……」
リーネは、記憶を辿りながら答える。
だが、答えれば答えるほど、
自分が「奇跡の主体」ではなかった事実が、
はっきりと浮かび上がってくる。
「その儀式の準備は、誰が?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……王城の方々が」
「具体的には?」
「……エルミナ・ローゼンベルク様が」
名前が出た瞬間、
記録係のペンが、止まることなく走った。
司祭たちは、互いに視線を交わす。
「つまり、儀式の日時、場所、参加者の選定、
信徒への事前説明――
その多くを、彼女が担っていた、と」
「……はい」
それは、否定しようのない事実だった。
審問は、長時間に及んだ。
祈りの言葉。
対応の仕方。
信徒が不安を口にした際の返答。
そのすべてにおいて、
リーネは、自分が「与えられた役」を演じていただけだと、
否応なく自覚させられていく。
一方、別室では。
「……これは、想定以上だな」
宰相が、低く呟いた。
「聖女個人の問題では済まない」
教会の再調査は、
リーネ個人の能力不足を問うだけでなく、
王家の体制そのものに切り込んでいた。
――なぜ、ここまで一人に依存していたのか。
その答えは、あまりにも明白だ。
王家は、
エルミナ・ローゼンベルクという存在に、
判断も調整も責任も、すべてを預けていた。
「殿下」
宰相は、アドリアンを見た。
「このままでは、教会は“聖女制度”そのものに、
疑義を呈するでしょう」
「……分かっている」
アドリアンの声は、重かった。
聖女を失えば、王家の権威はさらに揺らぐ。
だが、守ろうとすれば、教会との対立は避けられない。
どちらを選んでも、
もう以前の均衡には戻れない。
一方、王城の外では。
隣国の政庁で、私は静かに報告書を読んでいた。
「……再調査、始まりましたね」
マリアが、控えめに言う。
「ええ」
私は頷いた。
「遅かれ早かれ、起きたことです」
それは、復讐ではない。
誰かを陥れるための行動でもない。
ただ、
歪んだ均衡が、正しい位置へ戻ろうとしているだけ。
「王家は、耐えられるでしょうか」
マリアの問いに、私は少しだけ考えた。
「耐えるかどうかは、分かりません」
正直な答えだった。
「ただ、
これまでのやり方を続けることは、もうできない」
夜。
再調査を終えたリーネは、自室に戻ると、
そのまま床に座り込んだ。
「……全部、崩れちゃった」
自分が信じてきたもの。
自分が拠り所にしてきた立場。
それらは、
自分の足で立っていたわけではなかった。
だが同時に、
心の奥で、奇妙な静けさが生まれている。
「……でも」
小さく、息を吸う。
「このままじゃ、終われない」
聖女としてではなくてもいい。
王家に選ばれた存在でなくてもいい。
――何かを、学ばなければならない。
そう思えたことだけが、
今の彼女を支えていた。
同じ夜、アドリアンは一人、執務室で書類を見つめていた。
そこにあるのは、
エルミナが去る前にまとめていた、最後の引き継ぎ資料。
丁寧で、簡潔で、
それでいて、先を見据えた内容。
「……俺は」
呟きが、闇に溶ける。
「何も見ていなかった」
彼女が支えていた均衡は、
愛情でも、義務でもなく、
徹底した責任感と覚悟だった。
それを、
当然のものとして受け取っていた。
均衡は、すでに崩れ始めている。
そして、その崩れは、
もう誰の力でも止められない。
――失われた均衡の先に、
何が生まれるのか。
それを決めるのは、
過去に縋る者ではなく、
現実と向き合える者だけだった。
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