婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第十七話 王家に残された手札

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第十七話 王家に残された手札

 聖女認定返上の内々の通達が出てから、王城の空気はさらに重く沈んだ。

 公には「体調不良による静養」と発表されたが、
 噂というものは、公式発表よりも遥かに早く、正確に広がる。

「……結局、奇跡はなかったらしい」

「王家が、隠しているだけでは?」

「いや、教会が動いたという話だ」

 侍女や下級役人の囁きは、
 回廊を伝って、あっという間に城全体へ浸透していった。

 象徴を失った王家は、
 もはや「揺らいでいる」のではない。
 はっきりと、信頼を失い始めていた。

 重臣会議は、連日のように開かれていた。

 だが、結論は出ない。

「……次の一手が必要です」

 宰相が、疲れ切った声で言う。

「このままでは、地方領主たちが独自に動き出すでしょう」

「それは避けねばならん」

 別の重臣が、焦りを隠せずに応じる。

「王家の統制が失われたと思われれば――」

「だからこそ、象徴が必要なのだ」

 誰かが、そう口にした。

 その瞬間、会議室の空気が、わずかに凍る。

 象徴。
 その言葉は、今や呪いに近かった。

「……殿下」

 宰相は、慎重にアドリアンを見た。

「次の象徴として考えられるのは、
 王太子ご自身、あるいは――」

 言葉が、途中で止まる。

 その続きを、誰もが理解していた。

 ――エルミナ・ローゼンベルク。

 アドリアン・ルクレールは、ゆっくりと顔を上げた。

「……彼女は、戻らない」

 それは、願望ではなく、
 事実を受け入れた言葉だった。

「それでもです」

 宰相は、あくまで冷静だ。

「“彼女の名”は、まだ生きています」

 王城が回っていた時代。
 秩序が保たれていた頃。
 人々が不安を感じなかった日々。

 その中心にいた名は、
 今も記憶の中で、強い重みを持っている。

「……名前だけ、か」

 アドリアンは、苦く笑った。

「随分と、都合のいい話だな」

 彼女を理解しなかった。
 支えようともしなかった。

 それでも、
 都合が悪くなれば、名だけを利用する。

 それが、王家に残された手札だった。

 一方、隣国の政庁では。

 私は、地方から届いた報告書に目を通していた。

「……王国内で、動きが活発化しています」

 マリアが、資料を差し出す。

「特に、北部と沿岸部の領主たちが」

「当然ね」

 私は、静かに答える。

「象徴を失えば、
 次は“自分で判断できる者”を探す」

 それが、現実だ。

「接触は、まだ?」

「はい。
 ただ、様子見の使者が増えています」

 私は、少しだけ目を細めた。

 王家が握っていたはずの糸が、
 少しずつ、私のほうへ流れてきている。

 それは、
 私が望んだからではない。

 空白があれば、
 そこに流れ込むものがある。

 それだけのことだ。

 同じ頃、王城の奥まった一室では。

「……殿下、本当に、よろしいのですか」

 側近が、ためらいがちに問う。

「エルミナ様に、使者を送るなど……」

「他に、手はあるか?」

 アドリアンは、静かに問い返した。

 答えは、分かりきっている。

 ない。

「……内容は」

「“復帰”の要請ではない」

 彼は、はっきりと言った。

「協力の打診だ」

 それは、
 王太子としてではなく、
 一人の無力な立場からの言葉。

 少なくとも、
 彼自身は、そう思っていた。

「……手紙は、私が書く」

 机に向かい、ペンを取る。

 だが、書き出しで、手が止まった。

 何を書けばいい?

 謝罪か。
 後悔か。
 それとも、国の現状か。

「……遅すぎる」

 小さく、呟く。

 だが、遅すぎても、
 やらなければならないことがある。

 一方、修道院へ向かう馬車の中で。

 リーネは、揺れる景色をぼんやりと眺めていた。

 聖女の衣は、もう着ていない。
 代わりに、質素な修道女の服。

「……不思議ですね」

 付き添いの修道女が、穏やかに微笑む。

「何が、ですか?」

「失ったはずなのに……
 少し、楽なんです」

 修道女は、驚かずに頷いた。

「重すぎる役割は、
 人を押し潰しますから」

 その言葉に、リーネは静かに息を吐いた。

 学び直す日々は、厳しいだろう。
 だが、少なくとも、
 ここでは“演じる必要”はない。

「……私、ちゃんと考えます」

 何を信じるのか。
 どう生きるのか。

 それを、
 自分の頭で。

 夜。

 私は、政庁の書斎で、
 一通の書状を受け取った。

 封蝋には、見覚えのある紋章。

「……王太子、ですか」

 マリアが、静かに言う。

 私は、すぐには開かなかった。

 机の上に置き、
 しばらく、そのままにする。

 王家に残された手札。
 それが、
 私の名であるという現実。

「……選ぶのは、私」

 小さく、そう呟く。

 もう、誰かの均衡を保つために、
 戻ることはない。

 だが、
 この手紙が示すものは、
 王家が、ようやく“自分の過ち”を
 認め始めた証かもしれない。

 それをどう扱うか。

 答えは、
 まだ、ここにはない。

 ただ一つ確かなのは――
 王家は、
 もはや、主導権を握っていないということだった。
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